2017年9月22日金曜日

"28. The Room Where It Happens" from Hamilton: An American Musical

"3. My Shot"がハミルトンたちの"I want" ソングでしたが、"27. The Room Where It Happens" は "3. My Shot" ではもちろんのこと、ソロの "13. Wait For It" でも結局態度を保留していたアーロン・バーの遅ればせながらの "I want" ソング。劇場での圧巻のパフォーマンスを見た後でより素晴らしく聞こえるようになった曲で、『ハミルトン』中でもっとも重要!と断言したい気分。結末に向けた決定的な展開が始まります。

<あらすじ>
ハミルトンは懸案の国債発行・国立銀行設立を果たすため、ジェファソン/マディソンとジェファソン邸で秘密の会合を行う。連邦首都をめぐる議会の紛糾に苦慮していたマディソンは、ヴァージニアへの連邦首都移転を条件としてハミルトンに協力する案を出し、両陣営は妥協に至る(らしいが、ただし、秘密会合のため、すべては憶測)。重要な政策決定から締め出されたバーは、「事が起こる部屋」(the room where it happens)に入ること、国政において中心的立場にのしあがることを決意する。

冒頭はバーとハミルトンの軽い(と見える)やりとり。

[Burr] Didja hear the news about good ol' General Mercer.
[Hamilton] no.
[Burr] You know Clemant Street. They renamed it after him. The Mercer legacy is secure.
[Hamilton] Sure.
[Burr] And all he had to do was die.
[Hamilton] That's a lot less work.
[Burr] We oughta give it a try.
[Hamilton] Ha.
[バー] あの懐かしのマーサー将軍についてのニュースは聞いたかい?
[ハミルトン] いいや。
[バー] クレマント通りってあるだろ。あの通りに将軍の名前をつけるってよ。マーサーの遺産はこれで安泰ってわけさ。
[ハミルトン] そうだな。
[バー] ただお亡くなりになっただけなのにな。
[ハミルトン] ずいぶん楽な話だね。
[バー] 俺たちもぜひ試してみなくちゃな。
[ハミルトン] ふん。

ミュージカル『ハミルトン』の大テーマのひとつ、というか、最初と終わりの曲を考えると全体で一番のテーマが「遺産」(legacy)です。それがちょっと緊張感をもった友人同士のやりとりの中にも、しっかりと示されています。もう一点あげるとすれば、これもこの箇所から見ると軽い冗談であるバーの「俺たちもぜひ試してみなくちゃな」は、もちろん、この二人が命のやりとりに至る、それが両者の「遺産」に大きく響くことを予兆しています。

その後、バーが国の借金の話はどうした?と突っ込むと、ハミルトンから意外なせりふが出て、バーもびっくり。

[Hamilton] I guess I'm gonaa fin'ly have to listen to you.
[Burr] Really?
[Hamilton] Talk less, smile more. Do whatever it takes to get my plan on the    Congress floor.
[ハミルトン]  ついにあんたの意見を聞かなくちゃならなくなったみたいだよ。
[バー]   ほんとかよ?
[ハミルトン]  おしゃべりは控えめ、笑顔多めに、だろ。俺の案を議会にとり上げさせるためには何だってするさ。

ハミルトンはバーのことをまったく無視していたわけではないことが分かります。二人のここまで貫かれていた基本姿勢が交錯していくのがポイント。

バーはさらに突っ込んで話を聞こうとしますが、ハミルトンはそれを遮ってジェファソンらとの交渉のため、閉ざされたドアの向こうに行ってしまいます。ここからはジェファソンの本当かどうか分からない話("Thomas claims―")などに基づいた推測の話になる、というのがこの曲のいちばんの趣向ですね。スティーヴン・ソンドハイム/ジョン・ワイドマン『太平洋序曲』に、幕末のペリーと幕府代表との秘密交渉の場面、というかそこに入れない人間たちのムダな右往左往を描いた "Someone in a Tree" という面白い曲があるんですが、その設定を参考にしているそうです。ともあれ、

[Burr] No one really knows how the game is played: The art of the trade, how the sausage gets made. We just assume that it happens
[バー] 誰もどうやってゲームが行われたか本当には分からないんだ、職業上の技術、ソーセージの作り方は秘伝ってわけ。ただ事が起こるんだと、俺たちは推測するだけ。

ソーセージのくだり、生々しくて、ちょっと怪しくていいですね~。

さて、敵同士として部屋に入っていた「移民」と「ヴァージニア人」二人。出てくると、妥協がまとまっている。結果は、

[Burr] The immigrant emerges with unpredecented financial power, a system he can shape however he wants. The Virginians emerge with the nation's capital. Here's the pièce de résistance. No one else is in the room where it happens.
[バー] 移民は前例のない財政権力を手にして現れた、それをどう仕立ててもいいとお墨付きで。ヴァージニア人たちが手にしたのは国の首都。でも傑作なのはね。事が起こる場所には3人の他には誰もいなかったってことさ。

 "pièce de résistance" は見慣れない英語、というか、フランス語からの借用表現なんですけど、発音は「ぴえす・どぅ・れじすとぅぉーんす」(とぅぉーん、は鼻にかかる感じで。聞き直すと、レズリー・オゥドム・ジュニアの発音は英語の "resistance" に近いですね、アクセントも "si"のところにあるし)。辞書による定義では、"(especially with reference to creative work) the most important or remarkable feature" となっています。創作物の一番際立った特徴、ポイント。フランス料理とかで使われるみたいですね。

バーはハミルトンが首都をニューヨークからヴァージニアに売り渡したことを責めますが、ハミルトンはどこ吹く風で次のように答える。

[Hamilton] When you got skin in the game, you stay in the game. But you don't get a win unless you play in the game. Oh, you get love for it, you get hate for it. You get nothing if you wait for it, wait for it, wait!
[ハミルトン] ゲームに食い込んだら、最後まで意地で粘ることさ。でもな、そもそもゲームに飛び込まないと、勝ちは拾えないぜ。まあ、好かれもするし、憎まれもするけど。チャンスをただ待って、待って、待ってじゃ、何も手に入らないね。

"get skin in the game" は有名な投資家ウォーレン・バフェットの表現らしいです。今日見た記事でもバフェットさんは、アメリカに対すると投資は落ち目だというけど、そんなことはない、粘って賭けとけば10倍になって帰ってくる!とおっしゃっていました(まあ、そもそも、元手があって言えることですがね)。チャンスをじっと待つ、という哲学を全否定されたバー。

ここからバー的な妥協に乗り出したハミルトンと交錯するように、バーがついに自分を賭ける決心を固めていきます。ステージ上のこの部分でのダンスは、作品中でももっとも圧倒的です。いわゆる「ジャズ・ハンド」やいかにもブロードウェイ的なステップが使われているのもポイント。動き自体がヒップホップ的なものとはまたっく違う、下から盛り上がるような、微妙な揺れをもったもので、ダンサーたちの参加によってバーの動きがステージいっぱいに広がっていく。高揚する、とか、感動する、とは別の、もっと暗いものもはらんだ感情の盛り上がりが体験できます。

[Burr] I wanna be in the room where it happens.
[Company] The art of the compromise
[burr] Hold your nose and close your eyes. 
[Company] We want our leaders to save the day
[Burr] But we don't get a say in what they trade away.
[Company] We dream of a brand new start
[Burr] But we dream in the dark for the most part,
[Burr/Company] dark as the tomb where it happens.
[Burr] I've got to be in the room where it happens.
[バー] 俺は事が起こる部屋に入りたいんだ。 
[全員] 妥協の技は
[バー] 鼻をつまんで、目はつむって。
[全員] 指導者たちがすべて解決してほしいわけだが
[バー] 俺たちは何が売り渡されても
[全員] いつも新しい出発を、と夢見るけれど
[バー] 実際は俺たちは暗闇で夢を見ているだけ、
[バー/全員] 事が起こる墓みたいに真っ暗闇で。
[バー] 俺は事が起こる部屋に絶対に入るんだ。

この曲は、昨今のアメリカ合衆国の政治的状況を考えると非常に示唆的。民主党、共和党の別などに関係なく、自分たちがアメリカ合衆国の舵取りから除外されていると感じる人たちがいわゆるエリートたちの思惑や予測に反して、トランプのような人を権力の中心に押し上げてしまう(そのこと自体が、「暗闇で夢を見ている」ようなものなのですが……)。ハミルトンとジェファソンを代表とする権力内での政治ゲームがどのような意味をもっているかに関係なく、「自分も事が起こる場所にいたい」と不満を溜めていくバーの感情の動きは、現今のポピュリズムを支える集団的心情とパラレルになっています。

『ハミルトン』は前半の<移民の成功譚>をフォーカスして政治的に利用されることが多いし、ミランダらのミュージカル外での言動もだいたいその線に沿っているのですが、作品の政治的意義の本質は第2幕にあると言えるのではないでしょうか?その意味でも、『ハミルトン』全体のいちばんの鍵となる作品は、この "27. The Room Where It Happens" なのではないか。第1幕 "8. Right Hand Man" の最後では "Boom!"と大砲が、この曲では "Click-boom!" と銃声が響くのも、各幕の結末へ向けての展開が始まるのを暗示しているのではないか。

ニューヨークのジェファソン邸。現在ではもちろん残っていませんが、場所はロウワー・マンハッタンの金融街の、下の写真の場所。


ジェファソン住居跡であることを示すサインがあります。


こちらのPBSの動画Hamilton's Americaの一部)にも出てきますね。

2017年9月20日水曜日

ミュージカル観劇記(5):『ハミルトン』パート2

パート1から続きです。

まだ席に戻ろうとする人がちらほらいるかなというタイミングで第2幕スタート。バーのイントロがいい感じで間をとっているので、それほど気にならない。

“What’d I Miss” では、バーは右手の上の通路に立ってジェファソンの登場をMC。それが終わると同時に、中央の梯子の上にスポットライトを浴びたジェファソン登場。アイグルハートはディグズとはまったく違うルックスですが、とにかく華があるのが大事なポイント。特にジェファソン役は、スポットライトを浴びた途端に劇場みんなの視線がいくような役者じゃないとダメだろうからぴったりです。ディグズのジェファソンを見慣れているから、髪がないのが残念(?)。声も体型と同じでちょっと丸目で、ディグズの金属的なところがある声とは当たり前ですがちょっと違う。でも、これはこれで役に合っていないわけではない。ダンスやしぐさはディグズのものをかなり踏襲しています。アドリブの部分もあるんだろうけど、演出は決めるところはビシッと決められているんだろうな。第2幕の一曲目、このブギウギ調の曲で、大きくトーンが変わる。隣の席のおじさん(おじさん一歩手前)たちも第1幕のヒップホップ調よりは乗ってきたような雰囲気が伝わってきました。いかにもブロードウェイですよ、というサービスでもあるかも。

とはいえ、“25. Cabinet Battle #1”は、ヒップホップ・トリビュートという感じの他の “15. Ten Duel Commandments” と “30. Cabinet Battle #2”も同じで、劇場の乗りもよくて楽しい。ラップはオリジナルより全体にアタックが少なめでやわらかいけど、演技という側面が強調されて、聞きやすくなっている印象。ちょっとパンチにかける感じはあるけれど。特にアイグルハートはヴァースの最後でジャズ調のメロディを採り入れていて、徹頭徹尾ヒップホップを感じさせるディグズとは違った印象。対して、ここでのムニョスのハミルトン・ラップはミランダとそっくり。演技の力で近づけている面もあるのかもしれないけど、無理はぜんぜん感じない。ラップのリリックの引用はすでに観客もみんな知っているという反応ですね。下は 地下鉄駅の入口にあった、"Now you don't know ~" の元ネタの The Notorious B.I.G.他のグラフィティ。第1幕からの連続性があるからですかね、ヒップホップ調の曲、演出を見ると、なんだかホッとする。


“26. Take a Break” は音楽的にアルバムでは聞き取れなかった工夫がはっきりと分かって、劇場体験の価値がありました。アンジェリカとイライザがハミルトンを説得する場面で、イライザが”That Would Be Enough”からのラインを歌っているのがはきいり聞こえたり、二人の女性のライトモチーフが重ねられたり。アルバムでは聞き直しても、目立つアンジェリカがイライザを消してしまっている。まあ、それはそれで二人の関係に合っているわけですが。フィリップ役はオリジナル・キャストよりも子供演技がコミカルで大げさ。これは演者がというよりも、大げさにしたほうが受けるというこれまで公演を重ねてきたうえでの経験則からきているような。

“28. The Room Where It Happens” は劇場で見ると、全体でいちばん重要な曲ではと思えてきました。バーの役割、語り手、登場人物、内面独白など劇の構成を成り立たせているもろもろが詰め込まれている。散文的な説明から、劇、リフレインの歌と、曲調もめまぐるしく入れ替わる。ダイナミックな曲。同じジャズ調の曲とダンスでも、”What’d I Miss”とはずいぶん印象が違います。”What’d I Miss”が上からきて飛び跳ねる感じだとしたら、”The Room ~”は下からググッと盛り上がる感じ。ジャズハンド的な動き、いかにもブロードウェイ調の感じなのに、どこか不穏で暗い感じなのが不思議。結末へ向けて、物語が本格的に進みだす印象。

“32. One Last Time” では、ワシントン大統領の朗々たる声に周りの観客が興奮しているのが伝わってくるようで、あんたたち本当に大統領好きやねーとちょっと突っ込みたくなる。歌はすばらしかったですが、"An American Musical" をアメリカ人と同じように体験しているかというと、まあ、それは違うかなと。曲が終わると、客席から大きな拍手が起きる。それに続いて、“33. I Know Him” でジョージ王が登場。退場するワシントンを見ながら入れ替わるように、そちらに目線を送りながら登場するところから大きな笑いをとります。シリアス‐コミック、コミック‐シリアスの落差は『ハミルトン』の進行上で活用されているテクニックですね(ただし、ジョージ王がいちばんウケるのはじつを言うと……、これはネタバレになるともったいないのでこのぐらいで)。“44. Your Obedient Servant”になると、決闘に向かうメッセージのやりとりなのですが、演出はコミカル。ハミルトンの長い返信を、ダンサーが一枚ずつもってバレエ的動きをしながら、バーに次々渡していく-―ー"Sweet Jesus"で笑い。

最後の数曲に入ると、ああ、もう終わっちゃうのかという……。“45. The World Was Wide Enough” は第一幕の "15. Ten Duel Commandments" の演出上のリプリーズ。 動きの緩急、ストップと、めまぐるしい。"Ten Duel Commandments"同様、舞台の全体が見えるように、何度もリピートして観てみたいなあ。“46. Who Lives, Who Dies, Who Tells Your Story” もゆっくりした曲なのに、演出上はどんどん展開していく。『ハミルトン』の重要テーマの一つはカウントダウンに象徴されるように「時間」なのですが、「時間」がテーマになるのは舞台芸術の宿命でもあるでしょうか。

しかし最後のイライザの仕草の意味は何なのだろう?

終演後の舞台を撮影。シンプルだけどディテールにこだわったセットです。トニー賞で舞台デザイン賞は獲れませんでしたが、パフォーマンスを最大限に活かすための舞台としてよく出来ています。


下の写真、奥に階段がありますが、それよりも手前に車輪がついた階段が隠されているのがわかります(右端に写った男性の顔の左)。これが移動して、舞台中央の階段になるんですが、何度か見たはずなのに、今、移動してる!とならなかったなあ。全体の演出やダンスに気をとられてしまう。演出の仕掛けをむだに目立たせないのが作り手の目指すところかもしれませんが、もうちょっとどういう仕組みなのか知りたかった気がします。


というわけで、終わってしまいました。何だか立ち去り難いんですけれども。で、やっぱり公演パンフレットは買ってしまいましたね。別の情報がたくさん載っているわけではないんだけど、眺めてにやにやするにはぴったりのきれいな出来。それに上演キャストについての情報の紙が挟まっていたので買ってよかった。

『ハミルトン』観劇後感想としては、演者のパフォーマンスが予想していたよりもずっとよかった、というのがまず第一でしょうか。オリジナル・キャストについての情報をこれだけ与えられると、以降は代役っていう印象がどうしてもあるんじゃないかと思ってしまいましたが、そうした心配は無用でした。役にとってはちょっと好みじゃない人もいましたが、それはオリジナル・キャストも同様ですしね。しかし一方で、正直なところを言うと、徹底的に作品に入りこめて夢中になれたかというと、これは個人的な話になりますが、微妙なところもあります。「史上最高のミュージカル」である所以みたいなものを熱く語れればいいのですが……。

誤解のないように言っておくと、作品の完成度の高さは言うまでもなく、先ほど書いたようにパフォーマンスとしても完璧と言ってもよい出来。決して決定的に新しい要素をミュージカルに持ち込んだ作品ではなく、様々な要素を今までにないかたちで融合させた、というのが『ハミルトン』について言われるところですが、それにも異論はない。うーむ、単にひねくれものの性として、どこかが破綻しているもののほうが好きというだけなのかなあ。

とはいえ、ぜひもう一度、というか何度も観てみたい作品でありますし、他のミュージカルもどんどん体験してみたい、『ハミルトン』の各曲、物語、さまざまな仕掛けについても考えてみたい、という気が薄れていません。時間が経てば、今思うより大事な体験だったと思える、という印象もあるのです。まだ観劇後の整理が付いていませんね。

さて、2017年8月の観劇記、残るはあと1作品のみになりました。それは『ハミルトン』のパロディ、Spamilton: An American Comedy。昨今のブロードウェイについてのパロディでもありますので、今回の集中観劇を最後、振り返るのにぴったりかな。

『ハミルトン』各曲紹介目次

このブログ、ミュージカル『ハミルトン』の曲紹介と、別テーマの記事を交互に書いているのですが、これは完全に書く側の私が飽きないための構成。読者は読みにくいですよね(というか、自分でも読みにくい)。曲紹介がたまってきてさすがに辛くなってきたので、目次を作っておこうかと思います。まだ途中ですが、以下の通り。

『ハミルトン』あらすじと全体構成

第一幕(登場人物、年表
1. Alexander Hamilton
2. Aaron Burr, Sir
3. My Shot
4. The Story of Tonight
5. The Schuyler Sisters
6. Farmer Refuted
7. You'll Be Back
8. Right Hand Man
9. A Winter's Ball
10. Helpless
11. Satisfied
12. The Story of Tonight (Reprise)
13. Wait For It
14. Stay Alive
15. Ten Duel Commandments
16. Meet Me Inside
17. That Would Be Enough
18. Guns and Ships
19. History Has Its Eyes On You
20. Yorktown (The World Turned Upside Down)
21. What Comes Next
22. Dear Theodosia
23. Non-Stop

第二幕(登場人物、年表
24. What'd I Miss?
25. Cabinet Battle #1
26. Take A Break
27. Say No To This
28. The Room Where It Happens
29. Schuyler Defeated
30. Cabinet Battle #2
31. Washington On Your Side
32. One Last Time
33. I Know Him
34. The Adams Administration
35. We Know
36. Hurricane
37. The Reynolds Pamphlet
38. Burn
39. Blow Us All Away
40. Stay Alive (Reprise)
41. It's Quiet Uptown
42. The Election of 1800
43. Your Obedient Servant
44. Best of Wives and Best of Women
45. The World Was Wide Enough
46. Who Lives, Who Dies, Who Tells Your Story

最後までリンクにできるのは何時になることやら……。

2017年9月19日火曜日

"27. Say No To This" from Hamilton: An American Musical

第2幕に入って政治的にも追い込まれていっているハミルトンですが、重ねて、私生活でも問題発生。というか、ここはまあ、完全に自業自得ではあるんですけど……。

<あらすじ>
イライザとアンジェリカの誘いを断って自宅にひとり残ったハミルトン。そこへマライア・レノルズという女性が訪ねてくる。夫に虐待されたうえに捨てられて生活費もないから助けてくれ、という彼女の懇願に応じて金を渡し、家まで送っていくが、マライアの誘いに乗ってベッドの中までふらふら。その後マライアとの逢瀬を重ねるハミルトンに、彼女の夫からの手紙が。妻との関係を続けてもいいが金を払え、さもなくばイライザにばらすぞ、と脅されて……。
 # 細かいですけど、Reynoldsという姓の読みはよく書かれている「レイノルズ」ではなく、「レノルズ」です。正しく書かれていることを見るほうがまれですが……。

冒頭、バーによる司会から。新しい女性キャラクターの初登場の場面で、"5. The Schuyler Sisters" からのリプリーズになっているのがポイントですね。明るい曲調、ウキウキした跳ねるようなリズムから転じて、あやしいトーン、ねっとりとした歌い回しになっています。歌詞を見比べてみると、

[Burr] Wooh! There’s nothin’ like summer in the city
Someone in a rush next to someone lookin’ pretty
Excuse me, miss, I know it’s not funny
But your perfume smells like your daddy’s got money
Why you slummin’ in the city in your fancy heels
You searchin for an urchin who can give you ideals?
(from "5. The Schuyler Sisters")

[Burr] There's nothing like summer in the city. 
Someone under stress meets someone lookin' pretty.
There's trouble in the air, you can smell it.
And Alexander's by himself. I'll let him tell it. 
(from "27. Say No To This")

前に書いたことの繰り返しになりますが、こうしたメロディやら歌詞やらのリプリーズで全体を緊密に構成してあるのが、『ハミルトン』がアルバムで繰り返し聞いたりしても面白いポイントでしょう。たんに繰り返しがある、というのではなくて、繰り返しに気付くと、最初から終わりまで、いろいろな場面が結び付けられて、立体的に構成された作品になっているということで。「アレグザンダーが一人でいるところだし。本人に喋らせてあげようか」というのも面白いスタイルですね(では、他の部分では、ハミルトンは語り手ではなく、語られる一方になっているのか、どの程度が、バーの語り、なのか)。ハミルトン本人に語らせることで、やたらと弁解がましく聞こえるようになっているのも、バーの策略でしょうか?(笑)

ステージ上では他の役者がみんなで "No!" と言っているのに、ついつい "Yes!"に走ってしまうハミルトンがまことに残念、かつ、コミカルです。上演では、ここはある意味、アメリカ独立!のような場面より以上に舞台と客席が一体になった雰囲気がありました。浮気なんで悪いんだけど、演じるのを見ていると、どちらかというと、しょうがねぇやつだなぁと笑ってしまう感じ。ハミルトン自身も、

[HAMILTON] I am helpless—how could I do this?
[ハミルトン] もうあかん―なんで俺こんなことしとるんやろ?

という調子。わかっとるんやろ、あかん、あかんって~、あ~、やってもうた、あほやな~、とハミルトンに劇場にいる他のみんなで突っ込みを入れる(笑)。チャーナウのハミルトン伝では、ハミルトンは貧しくて追い込まれたマライアに、自分のお母さんの境遇を重ねて同情したうんぬんというところがあった気がしますが、それと浮気は別問題。でもマライアがぐいぐい来るので、というのも、あくまで「本人に喋らせてあげ」ての話で、信じるかどうかはあなた次第。歴史上は、この時にイライザは5人目の子供を妊娠中ということで、何だか今の日本の政治家スキャンダルのような話です。

マライアの夫ジェイムズ・レノルズの手紙のところ、

[JAMES]
Dear Sir, I hope this letter finds you in good health
And in a prosperous enough position to put wealth
In the pockets of people like me: down on their luck
You see, that was my wife who you decided to

[HAMILTON]
Fuuuu—

最後の "Fuuu―‐"は「ファー」とフラットに発音されていますね。"fu*k"というのを途中まで言って、というわけです。結局、ジェイムズの脅しに屈して金を払い、それがのちのち政治的対立に煽られて大きな事件となっていきます。

第1幕、ハーキュリーズ・マリガンという労働者階級のキャラクターが活躍しましたが、第2幕には登場しません(最後のエピローグの曲でちょこっと顔を見せますが……)。第1幕でのハミルトンの親友3人組で、ラファイエットはフランスで革命参加中or獄中、ローレンズはあの世、ということで出てこない理由はあるわけですが、マリガンは同時代にアメリカにいるはずなのに、と。戦争のごたごたでの階級上昇のチャンスが薄れて安定していく世の中、成功者となったハミルトンと、過去の自分の立場のあいだに隙間が生まれている。そこにスキャンダルが発生するスキがあった、と言えばいえますね。

オリジナル・キャストのペギー/マライア役ダブルキャストのジャズミン・シファス・ジョーンズはかなりねっとりとした歌い方。ネット上の動画を見ると『ハミルトン』向けというよりは、彼女の歌唱スタイルそのままな感じ。個人的にはあんまり好きな声の出し方ではないんですが、劇中ではぴったりはまっているかなと。ジャジーなハーフ・トーンを強調したところは、第2幕に入ってからの新しい「あいまいな」雰囲気を強調していますしね。とはいえ、私が観た上演では、Alysha Deslorieuxがペギー/マライア役。比べるとかなりさっぱりした歌いぶりで、そちらのほうが私としては良かったです。小柄なひとなので、ペギー役の時はアンジェリカ、イライザと頭ひとつぐらい違って、いかにも子供という感じ。マライア役の時は、ハミルトン役ムニョスも小柄なんでふつうに見えました。

『ハミルトン』の女性の描き方は "5. The Schuyler Sisters" での華やかな姉妹像の印象が強くて、アメリカでの反応でもポジティブなものが多いです。が、全体の劇作上の構成からいけば、男性中心の劇であることは間違いないですね。イライザ、アンジェリカ、マライアの女性3人は、ハミルトンにとってそれぞれ、家庭の安心、知的インスピレーション、性的欲求を与えてくれる存在で、まあ、男性が自己中で求めている女性イメージを体現している。では、ペギーはというと、イライザが「家庭の天使」的な妻で、男性の身勝手な家庭像を支える存在なのに対して、もっと現実的な家庭を示唆していたように思います。彼女の説明なしの退場(ペギーは病弱ではありましたが、1801年までは存命でした)は、マリガンの退場といっしょで劇作上の都合で、マライアに転じて出てくる、というのは色々と示唆的……。ハミルトンに欠けているのは、怒鳴りつけてでもハミルトンを休暇に引きずっていくような「オカン」的な女性ではないか、なんて考えたりして。

2017年9月17日日曜日

ミュージカル観劇記(4):『ハミルトン』パート1

というわけで、とういうか、何というか。観てきました『ハミルトン』!  8月24日、7:00PMから、ブロードウェイ Richard Rogers Theatre での上演。念願の、なのですけれども、こう何回もアルバムを聴いて、あれこれ動画も見て、情報も知って、だと、逆に楽しめるかどうか時間が近づくにつれてだんだん心配に……。

とりあえず遅刻しないように、早めに劇場へ。劇場向かいにハミルトンショップがある。Tシャツ$40。デザインがあまり気に入らないので買わない(Groundhog Day Tシャツを買っちゃったし…)。ペーパークラフトの舞台モデルがあって参考になるかなと思ったが、いまいちの出来だなあ。$18、もっと安ければ買うかもしれないけど。


開演40分前、すでにかなり長い列ができている。どちらかというと年配の人が多いかな。聞いていたとおり、白人がほとんど。劇場入場、列が進みだすとあっという間に中へ。荷物チェックの手際がよく、販売ブースやバーも二つずつあって効率よし。NY公演パンフレットをのぞく。写真がほとんど。きれいだけど、迷うなあ。まあ観たあとで考えよ。


劇場としても前に行った二つの劇場より格上、というか儲かっている印象。前に行った劇場では左右のバルコニー席は使っていませんでしたが、ここはきっちりお客が座っています。横のバルコニーというと、大統領が暗殺されるところ、という印象しかないんですけど(笑)。自分が座る図は想像できない。

席は一階席の一番後ろ。買ったときに Limited View とあったのでどこが limited なのかを見ると、二階席が上にかぶさっていて、舞台奥上の通路の上あたりが切れている。照明があって見えにくいところも(あのあたりでアンジェリカか誰が歌うんじゃなかったっけ?)。首を傾ければ見えなくはないけど。右には柱。邪魔にはならないが、ちょっと狭く感じてしまう(途中気付いたが、後ろに立ち見の客が立っていた。あの人たちの料金はいくらだったのだろう)。左に初老のカップルが座る。まあ、ひどくはない席ですかねえ、などとちょっと話す。けっこう家族連れが多いぞ、金もってるなあとか不純な思考。


ステージはGroundhog DayThe Great Cometと比べて奥行きがあるように見えたが、座席が上のほうだったからかもしれない(ていうか、前二作品の席はかなりよかったのだ。それに比べるとステージが遠い…)。ステージ上、天井から右手前に向けて2本の綱がゆったりと張られているのが気になる(1曲目ですぐに取り外されていた。ハミルトン、劇の船出を象徴していたのかな?)。

意外とあっさりと、という印象で、第1幕始まり。バーを始めに、登場人物たちがステージに登場。わかっていたことだけど、舞台上にほぼ全キャストがそろうと、かなり目移りする。どれがどのキャラクターか、焦点を合わせるのが難しい。オリジナル・ブロードウェイ・キャストを映像で見慣れているので、違和感の調整にしばらくかかりそう。

劇場で観ていると、アルバムで聴いているのとはグッとくる曲がちょっとずつズレている。"2. Aaron Burr, Sir" ~ "3. My Shot" でドカンとくるかなあと思ったら、それほどでもなかったです。"5. The Schuyler Sisters" あたりまでは登場人物紹介という印象。"6. Farmer Refuted"からようやく物語の展開に乗っていく感じ。

印象に残った箇所は、"7. You'll Be Back" から "8. Right Hand Man"。ジョージ王の3曲は作品全体にとって重要であることを再確認。主人公たちの時空間とは違った視点から、劇を立体的にしている。上演をみると、曲の中、曲と曲のつながりの構造が別物に感じられる。"7. You'll Be Back"、笑いは多め。だが、ポイントは曲が終わってから。ジョージ王がゆっくりと奥へと退場していく、そのとき、左手でアメリカ人のスパイのやりとりがあり、イギリス兵がアメリカ人スパイの首を後ろから掻き切る黙劇、大きな和音。それと同時に、杖を客席のほうに向けながら、ちらりと冷たい視線を観客に向けるジョージ王。笑いから、ひんやりとした感触に一気に雰囲気が変わる。印象的でした。ジョージ王の歌は、アメリカ人(植民地人)へ向けた脅し、なわけで、客席に座るほとんどアメリカ人に語っている、というのが演出としてはっきりしていました。

そのひんやりとした感触のまますぐに、ハウ提督の艦隊がNYに到来する、“Right Hand Man” 冒頭へ。この曲がアルバムの印象に比べてよく感じられた曲としては一番でした。ワシントン役、Bryan Terrell Clarkがよかった! ワシントン登場、舞台真ん中奥上の通路から、いつの間にか移動していた階段を下りてくる。この舞台真ん中の階段は、ガラッと雰囲気が変わるような決定的な登場場面のみで使用されているみたい。曲の最後、先にこの真ん中階段のうえに上っていたワシントンに、駆けあがったハミルトンが合流して締め。ここから本格的な物語のスタートという印象で、第1幕でいちばん重要な曲に思えたのでした。

ええと、一曲ずつ書いたのではきりがないので……。全体として、劇場なので当たり前ですが、曲アレンジの重層性がよく伝わってきました。アルバムではセンチメンタルだな、という曲も、劇場のほうがよく聞こえる。演出も、照明の当たらないところ、アルバムを聴いただけではわからないところで、いろいろ起こっている。焦点の当たる人物の切り替わりが激しく、舞台への出入りも激しいので、さっき前で歌っていた人物が上の通路にいたりします。注目をどこかに集めて、それ以外の要素を気付かないように移す、ということでちょっと手品みたい。人物の動きというのも、パターンがありそうです。奥上の通路は、上るのはだいたい右側。左側の通路は下り。全体的に、舞台全体時計回りな気がしたのですが。ダンサーの動きも含めて円を描いている、そこをメインキャラクターが横切る、という具合。下はintermission時の様子ですが、照明で床に模様を描いています。いろいろな模様がありましたが、これも円、円運動が多かったような。


”15. Ten Duel Commandment” は、中央のターンテーブルを駆使したこの円による演出がかなり複雑なはず。なのに、全体としてはシンプルにまとまって見える見事なパフォーマンスでした。この曲に関しては、チャールズ・リー役がよかった。なんというか、白人ですが、他のキャラクターよりヒップホップ的なラップ、ちゃんと笑いもとっていましたし。登場人物としてはチョイ役ですが、貢献大と感じました。ヒップホップを前面出したこの曲と、”Cabinet Battle” 2曲はよかったですねー。なんというか、リプレイで何度でも見ていたい。もっと同様の曲を、と思わないではないですが、こういうのは腹八分目でちょうどよいかも、とも思ったり。

“18. Guns & Ships” ~ "20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"の第1幕クライマックスはよかったですが、ある意味、予想通りではある。ラファイエット役はJames Monroe Iglehart。どうかなと思っていましたが、特に後半のジェファソン役になると華やかさのある人なのでよかったです。ちゃんとテーブルからジャンプしていたし(笑)。ただし、ラップになるとちょっとアタック感、ビート感が少なめ。これはオリジナル・キャストに比べて全体に言える気がしました。演劇、演技としては今回見たヴァージョンのほうが練り上げられて丁寧に、メリハリがある、ただし、その分、ブロードウェイ・ミュージカルとしてこなれてしまって、ヒップホップを打ち出した音楽性の新しさはちょっと控えめになっているのではないかな、と感じました。みんな上手いんですが、ラッパーじゃなくて役者だよね、という...。その点でいくと、マリガン役の J. Quinton Johnson のラップは、"2. Aaron Burr, Sir" からちゃんとヒップホップしていた気がします。ヒップホップ感では、今回の上演では、マリガンとチャールズ・リー。

曲間の取り方や、曲の中での緩急も、ライブでしか味わえないところ。シークレット・ソングの “Tomorrow There’ll be More of Us” ~ "23. Non-Stop"のトーン、スピードの急転は圧巻。 “Tomorrow There’ll be More of Us”は私としては『ハミルトン』でいちばん泣けるところなんですが、しんみりとした曲調からほぼ間がなく、躁的な "23. Non-Stop"の超高速に切り替わります。そこから第1幕締めまで、笑いも挟みながらのまさにノンストップ。

残念だったのは静かな曲でいまいち集中できなかったところ。 "13. Wait For It"、"21. Dear Theodosia"、両方好きな曲なんですけども。前の女性がやたらと首を右左に動かす人で、それが気になったりしていたら……。にぎやかな曲でも、欲張って色々みようとして、逆に他の部分を見逃したりして……。これもまあ、劇場体験の一部ですけどね。

パフォーマンスの質としては、不満なし。オリジナル・キャストよりうまいと言えるんじゃない、というか、上演を重ねて、作品として無理なく完成しているというか。オリジナル・キャストの残したものを大切に受け継いでいることが伝わってきます。ここまで書いていませんでしたが、主人公ハミルトン役、Javier Muñoz のラップはミランダそのものに聞こえるところも。歌や演技はミランダよりうまい。劇全体としていいか、というのは役者個人の個性の問題もあってまた別ですけど。

残りの感想はまた次に~。

2017年9月16日土曜日

"26. Take A Break" from Hamilton: An American Musical

前曲で調子に乗り過ぎて窮地に立たされたハミルトン。これまでにないプレッシャーで精神的にも追い詰められています。家庭が癒しになればいいですが、どうも不器用なタイプでして……。

<あらすじ>
国立銀行設立を議題として議会にとりあげさせようと、連日徹夜で神経衰弱気味になるまで働きまくるハミルトン。イライザは息子フィリップとともに、夫をリラックスさせようと試みる。さらに、アンジェリカが夫と滞在していたロンドンから帰国、イライザとともに、ニューヨーク州北部にヴァカンスに行こうとハミルトンを誘うが……。

曲はイライザとフィリップがフランス語のカウントを繰りかえすところから。カウントは『ハミルトン』全体を通じて何度も登場するモチーフのひとつ。3度ある決闘のシーンでいちばんはっきりしていますが、家庭のほのぼのしたシーンと決闘が結び付けられている、この落差がポイントですね。10まで数えないところも、何曲か後での出来事とつながっていきます。

続いて、ハミルトンと義姉アンジェリカの手紙のやりとり。ハミルトンの手紙には、英語圏ではだいたいの人が知っているであろう引用が登場。

[Hamilton] My dearest, Angelica. "Tomorrow and tomorrow and tomorrow creeps in this petty pace from day to day." I trust you’ll understand the reference to
Another Scottish tragedy without my having to name the play.

「君ならどの悲劇からの引用かわかるよね」という最後の場面に、「あ、シェイクスピアの!」と反応してしまいそうなんですが、すぐ続けて、

They think I'm Macbeth. My ambition is my folly. I'm a polymath, a pain in the ass, a massive pain. Madison is Banquo, Jefferson's Macduff. And Birnam Wood is Congress on its way to Dunsinane.

と答えが(笑)、なんか恥ずかしい気分になるのはどうして……。ついしゃべり過ぎるハミルトンなので、ということかなと思ったのですが、どうやらこの部分、ミランダの最初の案では同じ『マクベス』でもあまり有名ではない、ただしミランダお気に入りの台詞が引用されていたようです。ところが、The Public Theater 芸術監督のオスカー・ユースティスが「シェイクスピア劇に長年携わっている俺でもわからん!」といったらしく、あえなく変更に。にしても、今度は逆にわかりやすすぎるんじゃないの。

マディソンがバンクォー、ジェファーソンがマクダフ、バーナムの森は議会、ダンシネインに向かってくる途中だ」。ここももちろんちゃんと『マクベス』を参照しています。

1.マディソンは The Federalist Papers 執筆中はハミルトンの盟友であったのが宿敵の一人に(『マクベス』のバンクォーはマクベスの盟友だが途中でマクベスに殺され亡霊となってでてくる)、
2.ジェファーソンは外国(フランス)から帰ってきた強敵(マクダフはマクベスが王を殺害した後いったん外国に逃れるが最後にスコットランドに帰国しマクベスを殺す)、
3.議会はマディソン派に牛耳られていてハミルトンの計画を潰そうと動いてくる(「バーナムの森」は、この森が動いてこない限りマクベスが倒されることはない、と魔女の予言があり、劇の最後で、マクベスはマクダフの指示で木の枝をカモフラージュに使った軍隊が攻めてくるのを見て自らの運命を悟る)

英語文学に親しんでいる人間にとっては基本的教養レベルですが、同じ曲のアンジェリカの歌詞の中にも、同じく『マクベス』からの引用があります。さて、どの部分でしょう? マクベスに王殺害を進め、夫よりも残酷に王座確立に動いていくマクベス夫人の台詞です。うーん、なんだか意味深。

アンジェリカの手紙では、コンマの位置うんぬん、というのがメインポイントですね。ハミルトンの手紙冒頭が ”My Dearest Angelica,” となるべきが、”My Dearest, Angelica” となっていた。これだと意味が違う、と。単なるあいさつの「親愛なる~」が「わが最愛の人、~」という意味に。言葉遊びが好きな二人ですので、アンジェリカとハミルトンの手紙上の浮気、というと大げさですが、こちらはアンジェリカの “Satisfied”での告白を聞かされているので穏やかではないですね。ハミルトンにとってはお遊びだとしても。次の曲の序にもなっているといえば言える……。

二人の手紙のやりとりのあいだに、7歳のフィリップが初めて書いたラップ・ヴァースを披露する、というコミカルな場面があります。この場面で、イライザ役もあることを披露するのですが……。ていねいに聞くとわかると思います。フィリップは前半でローレンズを演じた役者がダブルキャストで演じる、つまり大人が7歳児を演じるのでかなり滑稽。舞台上では、大げさな演技で逆に滑稽さを強調して笑いをとっていました。

さて、アンジェリカもイギリスから帰国してイライザとともにハミルトンを休暇に連れて行こうと説得を試みます。この場面、音楽的な工夫で、曲の4:00過ぎあたり、女性陣二人のライトモチーフが同時に鳴るところがあります。アンジェリカは “11. Satisfied” の上昇下降の8音の繰り返し、イライザは"10. Helpless"の、歌詞で言うと"Down for the count and drown in 'em"のところのメロディ。知っていないとまず意識に上らないと思いますが、The Room Where It’s Happeningというポッドキャストで、編曲のアレックス・ラカモアが明かしていました(このポッドキャスト、外れの回もありますが、実際の関係者の回は必聴です)。ところが知っていて聞いてもアルバムだとはっきりしない。劇場の立体的な音空間で聞いたほうがよいところでしょう。

二人の説得にもかかわらず、ワーカホリック・ハミルトンは仕事にしがみついて居残ることに。いつも後がない状況でもがいてきたハミルトンと、お嬢さまのスカイラー姉妹とのギャップ―。家庭と仕事の亀裂のテーマが問題として浮上する、とともに、怪しげな影が……。

ミュージカル観劇記(3): SeaWife

Groundhog DayThe Great Comet とブロードウェイ・ミュージカルについて書きましたが、ブロードウェイ以外の小さめの作品も観る機会がありました。

ひとつは SeaWife。19世紀捕鯨船の銛打ちが主人公のミュージカルネット上の予告編たまたま19世紀前半に世界の捕鯨の中心として知られたナンタケット島(マサチューセッツ州、アメリカの最東端にあたる島です)に滞在するチャンスがあり、昼は史跡めぐり、博物館めぐりをするのだけど、夜に何か観るものでもないかなと調べていると、このミュージカルに行き当たりました。ロケーションにぴったりのこともあって、即チケット購入。


SeaWife、少し前にはニューヨークの 海洋博物館、South Street Seaport Museumの「メルヴィル・ギャラリー」で上演されていて、2016年度の Drama Desk Awards の Outstanding Music部門に、サラ・ブレイユの『ウェイトレス』、ウェバーの『スクール・オブ・ロック』などともにノミネートされています。作詞作曲は The Lobbyists。個人ではなく、バンド名でのノミネートになっています。The Lobbyists は面白いバンドで、メンバーは全員ミュージカル系の役者。ある作品の上演の際に、演出家のアイデアで休憩中に会場ロビーで演奏することになって、そこからグループに発展。バンド名もこの始まりに由来しています(「政治的ロビイストの意味ではない」、と自己紹介文にも断り書きがあり)。とはいえ、多様なフォーク・ミュージックをとりこんだ曲と、また演奏技術も高い評価を受けていて、けっして片手間のバンドではありません(ミュージカル以外の曲)。



観劇は8月18日。会場はナンタケット島のタウンにあるWhite Heron Theatre。ナンタケット島は1840年代に捕鯨の中心地から転落、ながらく低迷の時期がありましたが、現在ではとくに夏季の高級リゾート地として高い人気があります。White Heron Theatre Companyの 責任者のおひとりMichael Kopkoさんによると、夏季にニューヨークから注目のショウを選抜して上演している、それ以外の活動は地元の若者とニューヨークで活躍する若い役者たちのワークショップを催したり、とのこと。Kopkoさんも現役の役者・演出家で、今は劇場運営で時間をとられているけど、もうそろそろ何かしたいなーとおっしゃってました。(今回は、事前にずうずうしくも劇場のほうにメールをして、なんと、Kopkoさんと、The Lobbyists の Tommy Crawfordさんからお返事をいただき、上演後のパーティー―裏方さんのひとりのお誕生日だったようで―に誘っていただきました。その時、簡単にインタビューをさせてもらいましたので、その情報も入れていきます。)

さて、上演は右手にドラムセットが組んであり、すべての役者が楽器を演奏しながら歌うスタイル。出演者は The Lobbyists のメンバー7人のみで、各人が複数の役柄をこなします。メンバーの Raymond Scam IIIさんやTony Voさんと話していると(ちなみにRaymond はオフ・ブロードウェイのときの The Great Comet でもチェロを弾いていたそう!)、「こうしたスタイルは最近のトレンドだよねー、俺たちもともと楽器好きだから楽しいんだよねー」とのこと。

彼らと話していて、トレンドという意味でさらに重要かなと思うのは、ミュージカル作品を仕上げていく過程において、参加する役者たちの意見が大きく反映されるようになってきている、ということではないかなと思います。SeaWife はその先端というべき作品で、The Lobbyistsのメンバーがもうひとつの捕鯨の町として有名なニューベッドフォード(New Bedford)を訪れたときに、町の通りの名前 Johnny Cake Hill からインスピレーションを受けて書いた曲が制作の始まりになった。そこから何曲か書き足した後、脚本家Seth Moore と組んで、せりふと曲を書き足しながら作り上げてきた、そうです。上演でも上演後でも、メンバー全員から、自分たちの作品だ!という誇りがあふれていたのが印象的でした。

物語は、銛打ちの父をもつ若者が父親の死後、みずからも捕鯨船に乗りこみ、ある港で出会った謎の女性とのちに起こる悲劇を経て、優秀な銛打ちに成長、しかし徐々に亡霊に悩まされるようになって・・・、というもの(物語については、こちらの動画でどのようなアイデアから作られたかが紹介されています、fundraisingのための動画ですね)。ナンタケット島滞在中には、あのオーソン・ウェルズ脚本という Moby Dick Rehearsedという劇(こちらはナンタケットの地元劇団の公演、捕鯨博物館のホールをうまく使っていました)も見たんですが、この時代、捕鯨というテーマは今、アメリカで流行しそうな兆し? 先の記事に書いたデイヴ・マロイの『白鯨』ミュージカル化計画もありますし……。少なくとも、『ハミルトン』も含めて歴史ものが受けそう、という雰囲気はありそうですね。

ミュージカルはだいたい二幕物が多いですが、SeaWifeは一幕ものの2時間弱のミュージカルでした。これもメンバーと話してみると、もとは二幕物でずっと長かったのを、上演を重ねながら削って現在のかたちになったとのことで、今のかたちでようやく完成形になったと思っている、と言っていました。セットはちょっと『ハミルトン』の舞台を思い起こさせもする、ナチュラルな木が基本の作りで、簡単な椅子やテーブルをうまく利用した演出。White Heron Theatreのステージも、7人による上演にぴったりの空間。演出で目を引いたのが、後半のメンバーが複数人でクジラを表現する場面。チェロが頭の部分でクジラの声も表現、クジラの呼吸のさまのパントマイムも面白かった。舞台特有のアイデアが詰まっていました。

あらすじよりも、というと何ですけども、この作品では音楽の印象が強い。アイリッシュ・ミュージックが好きな人ならぜひおすすめで、アルバムも出ています(各ストリーミング・サービスでも聞けるようです)。一曲目、"Prelude: N'hon Eus Ket"、ゲーリック(アイルランド語)だと思うのですが、紅一点のメンバー Eloïse Eonnetさんの声が美しい。劇半ばにも歌われるところがあって、雰囲気がぐっと変わるような力がありました。捕鯨船乗りが捕鯨を嫌がる、クジラや海との異種交流めいた関係というのは、日本の民間伝承などでは多いのでよくある話かと思いましたが、考えてみると、作品がとりあげている19世紀のアメリカ捕鯨ではちょっと考えられそうにありません。現代の環境保護的精神をもっと以前のフォークロア的感性が含まれたフォークソングを用いることで、説得力をもたせるように狙っているのかな?

私が見た回がナンタケット島での上演としては最終日。次はどこでやるの、と聞くと、オファーがあったら、ということでまだ未定のようでした。どこかの芸術祭だろうか、見かけたらおススメですのでぜひ足を運んでみてください。また、それぞれ才能のあるメンバーなので、別の作品でも将来見かける機会もありそう。ともあれ、外部者としてブロードウェイ近辺の人々のありようを覗きみれただけでも貴重な体験でした。

蛇足ですけれど、SeaWifeに見られたようなキャスト・メンバーの関わり方は、『ハミルトン』や The Great Cometにも表れている気もしますね。『ハミルトン』の場合、ミランダという絶対的な才能、トーマス・ケイルという演出家の統率もありますが、オリジナル・メンバーがあれだけの人気を得たのは、それぞれがアイデアをもち込み、ミランダ、カイルらもそれを受け入れる一種デモクラティックな雰囲気があったのでは?  The Great Cometも制作段階ではかなりキャストの貢献があって、それがブロードウェイの昔ながらといえば昔ながらのシステムとややこしいことになって、あの結果だったのかなと……。