2017年9月30日土曜日

"32. One Last Time" from Hamilton: An American Musical

ワシントン大統領に呼び出されたハミルトン。ところが今度はいつもと様子が違うようで……。第1幕 "5. Right Hand Man" で登場した途端みんなを一つにまとめ、建国後も対立しあう部下たちを何とかまとめてきた偉大なるカリスマ、ジョージ・ワシントンがついに表舞台を去ります。ひとつの時代の終わり、ですね。

<あらすじ>
ワシントン大統領に呼び出されて、ジェファソンが国務長官を辞任したことを知らされたハミルトン。さらにジェファソンが大統領選に出馬する意向だと聞かされ、絶対的人気を誇るワシントンに敵うわけがないだろうとニヤニヤ。しかし、ワシントンから次期大統領に出馬しないことを決めたと聞いて、ようやく事の重大さに気づく。ワシントンはハミルトンに辞任演説の原稿を書くように指示。そして、登場人物たち全員が注視する中、ワシントンは勇退の花道を飾る。

舞台では曲冒頭の場面で、ハミルトンは大統領の前に来ているのにもかかわらず、立ったままで書き物に没頭。ワシントンの言葉は片手間に聞いています。自らにとっての一大事をまったく予期していない。ジェファソンの突然の辞任のニュースを聞いて、ジェファソンに目に物を言わせてやると意気込みますが、

[WASHINGTON] Shh. Talk less
[ワシントン] シー、ちょっとは黙れ。

と諭されます。あのバーのセリフですね。それでも止まらず、新聞に匿名記事を書いて、あの野郎をいてこましてやりますよ、とノリノリのハミルトン。次いで、

[WASHINGTON] I need you to draft an address.
[ワシントン] 原稿を書いてもらわないといかんのだ。

と言われても、ワシントンの意向がまったく汲み取れていない。さらにジェファソンが大統領選出馬の意向と聞いて、余計に調子に乗ってくる。しかし、次のようにはっきり言われて、さすがのハミルトンも凍りつきます。

[WASHINGTON] I’m stepping down. I’m not running for President
[HAMILTON] I’m sorry, what?
[ワシントン]  大統領職を降りることにした。選挙にはもう出ないぞ。
[ハミルトン] すいません、何ておっしゃいました?

独立戦争からずっと一緒に走ってきたハミルトンをねぎらおうと、酒でも酌み交わそうじゃないかとワシントン。

[WASHINGTON] One last time, relax, have a drink with me. One last time, let’s take a break tonight. And then we’ll teach them how to say goodbye, to say goodbye, You and I.
[ワシントン] 最後ぐらいは、くつろいで、酒でも酌み交わそうじゃないか。最後ぐらい、一晩ゆっくりしよう。それからだ、みんなにどうやって「さようなら」を言うかを教えてやろうじゃないか、お前と私でな。

朗々とこう歌うワシントンの声には、重責をこなし終えた満足感が現れています。「お前と私でな」とハミルトンにも共感してほしそうなんですが、ハミルトンはこれからの政局の展開が気になって仕方がなく、それどころじゃない様子。どこまでも空気が読めない部下ですね。

そんなハミルトンをいなしながら、ワシントンは辞任演説を起草するように指示。なおも食い下がろうとするハミルトンにはっきりと「ノー!」を告げます。なぜなら、

[WASHINGTON] If I say goodbye, the nation learns to move on, it outlives me when I’m gone.
[ワシントン] 私がさよならを言えば、この国は前に進むことを学ぶんだからな、そうすれば私が居なくなった後も国は続いていくんだ。

『ハミルトン』ヒット後、オバマ大統領の辞任が近づいてくる段階で行われたホワイトハウスでのハミルトン・コンサートの映像には、オバマ大統領の前で朗々と歌うクリストファー・ジャクソンが映っていますね(演者もオーディエンスもみんな感極まった顔になっています)。よい大統領でもずっと権力を握っていたら政権が腐敗してくはずだ、たとえ、次のリーダーがちょっとあやしい人物でも……。確かに、ヨーロッパの植民地から脱した国家が、独立の過程でのヒーローを大統領に選んで、その後、独裁へとひた走っていった、という例には事欠かないですから、アメリカ合衆国の成功の一因は、ワシントンが(その意図はどこにあったとしても)すっぱりと8年で辞めていったことにあるのでしょう。

次の聖書(バイブルを、the scriptureとか、the Old Scriptureとか呼ぶことがあります)からの引用(“Everyone shall sit under their own vine and fig tree, and no one shall make them afraid.”)は、旧約聖書ミカ書第4章第4節(Micah 4:4)から。前後も含めて引いてみると、

He [the Lord] will judge between many peoples and will settle disputes for strong nations far and wide. They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore. Everyone will sit under their own vine and under their own fig tree, and no one will make them afraid, for the LORD Almighty has spoken. All the nations may walk in the name of their gods, but we will walk in the name of the LORD our God for ever and ever. (New International Version)

日本聖書協会の「聖書 新共同訳」ではこのような訳。それにしても、武器を捨て(剣を鋤に、槍を釜に変え)、それでも自分たちの場所にいれば恐れることはない、というのは、自分たちの国は神の祝福を受けており「明白な天命」(The Manifest Destiny)を背負っていると意気込みながら、領土拡大、さらに帝国主義に向かっていくアメリカ合衆国の姿勢とはずいぶん違う。ここから、まったく別の歴史がありえたかもしれない?

ワシントン大統領の辞任演説のシーンは面白い演出ですね。ハミルトンが原稿をかいたということで最初は前面にハミルトンが出て読み上げている。その背後からゆっくりと前の明るい照明の中に歩み出てくるワシントン。この部分は実際のワシントン辞任演説からの引用です。ハミルトン本人は絶対に言いそうにないことですが、謙虚に自分が間違いをいろいろ冒しただろうことを認め、ただし後悔するところはないという堂々とした名文。こうして、否定しようのない「遺産」を残したワシントン。登場人物(ほぼ)全員によるコーラスに送られながら、『ハミルトン』の舞台から退場していきます……。

ジェファソンに "You are nothing without Washington behind you." ("30. Cabinet Battle #2")と言われていたハミルトン。強力な後ろ盾が消えて、さて、どうなっていくのか―ーの前に、次の曲はふたたび、あの海の向こうの人が登場します。

2017年9月29日金曜日

ミュージカル観劇記(番外編3): The Drama Book Shop と New York Library of Performing Arts

ニューヨークに行って、ミュージカルを観る、そして、もっとミュージカルについて知りたくなったら、ということで、二つの場所を紹介したいと思います。

ひとつは、The Drama Book Shop。タイムズ・スクエアからもほど近い、40 St. の7番街と8番街の間にあります。演劇・ミュージカル関連専門の本屋さん、1917年創業の老舗です。


ミュージカル台本から研究書までさすがの品ぞろえ。今はインターネットで日本から本を簡単に取り寄せられる時代ですが、棚に並んでいる本を見ているといろいろな発見があります。店内には熱心に本のページをめくるお客さんの姿(ゆっくり座れる椅子もあります)。何より心強いのが、店中央のカウンターでコンピュータ前に座っている店員さん。いかにも知識豊富という感じで、声をかけるとしっかりと対応してくれます。今回、しばらく探し回っていたミュージカル台本があったので質問させてもらったのですが、即座に、「そのミュージカルは有名だけどめずらしく正式な台本が出版されていないんだよ」と返答が。しかもリンカーン・センターの New York Library of Performing Arts なら所蔵しているかもとアドバイスをいただきました。親切。

こちらでは今回は数冊購入。そのうちの一つが Natasha, Pierre, and the Great Comet の台本。旅行中でも重くないような小さい本なので買ったんですが、オフブロードウェイ上演時のもので、ブロードウェイ版では大きな売りになっていた "Dust and Ashes" が抜けていました。ブロードウェイに移るときに、スターのジョシュ・グローバンが入るというので、彼にスポットライトが当たる曲をということで書き足した曲なんですね。Natasha, Pierre, and the Great Comet についてはブロードウェイ版の立派な書籍も出ているので、やっぱりそっちも欲しいなあ、と。

The Drama Book Shop にはウェブサイトを通じても問い合わせができます。店舗ではさまざな催しも行われているようです。ブロードウェイ歩きに疲れた時、観劇にまで間があるときにおススメです。

もうひとつの場所は、このThe Drama Book Shopで薦めてもらった New York Library of Performing Arts (Lincoln Center)。ブロードウェイからはちょっと離れていますが、地下鉄に乗るとすぐ(あるいてもブロードウェイを北にずっとたどっていけばその内にはつきます、それなりに時間がかかりますが、笑)。66th St.駅下車。音楽・舞台芸術の殿堂ということで、地下鉄ホームからちょっとアートな雰囲気。


地上に出てから、周りの通りや敷地内にもたくさん芸術作品があります。下は個人的に好きな彫刻家ヘンリー・ムーアの作品。建物とのバランスもいい感じ。



しかしリンカーン・センター、でっかいですね。数ブロックに渡っています。ちゃんと調べて行けよ、って感じですが、適当に入ったらジュリアード音楽院の建物でした。ジュリアード音楽院ショップがあって、たくさんグッズが並んでいた。オペラ関係の資料はたくさんありましたが、ミュージカル関連はほとんどなかったです、残念。『ハミルトン』関連は(売れるからでしょうね)ちゃっかり並べていました。

というわけで、ブロックを移動。これが New York Library of Performing Arts の入口。アメリカの公共の建物では入るときにたいてい手荷物検査がありますが、こちらもそう。たまに何度か出入りするときはめんどくさいですよね。同じ係員の人に何回もだと、なんとはなしに気恥ずかしい気がするのはなぜでしょう? あっちはそんなこと気にしないでしょうけど。


エレベーターで上(何階だったっけ?)に、そこで手荷物を預けて資料室に入ります。カウンターにいる方に声をかけると、懇切丁寧に手続きのしかたを教えてくれる。今回はビジター用のカード申請、ついでに探しものを伝えたらその資料の場所、閲覧法まで、手続き用コンピュータまでついてきて教えてくれました。こういう場所になれてない人は怖い?雰囲気かも知れませんが、司書の方はプロなのでプライドをもって対処をしてくれます。コマーシャルな場所よりサービスがいいことが多いですね。

今回は、正式に出版はされていないけれど制作者がこちらのライブラリーに送ってきた台本を閲覧するのが目的(ちなみに、Bloody Bloody Andrew Jackson)。申請をして、奥の閲覧室へ。閲覧室へはペン、ノートの持ち込みは禁止、でも、カメラやスマホはいいよ、というので、ちょっとびっくり。メモは据え置きの鉛筆と紙を使うとのこと。台本は写真撮影OK!なので、一度外に出て、預けた鞄に入れておいたタブレットをとりにいく(この後、冷房が寒かったのでシャツをとりにいき、荷物預け場の人と入口に警備の人にまた来ましたで、また来たの、というやりとり)。

閲覧室のコンピュータ画面に番号が出たので、資料を受け取りに。閲覧した資料は紙のファイルに、閉じられていないタイプ原稿のコピーががさっと入っている、というざっくりとしたものでした(落としてバラバラになったらどうしよ、という感じ)。ブロードウェイやその周辺で上演された演劇、ミュージカルの台本や映像は制作者によってここに送られて所蔵されることが多いようですが、その形式はいろいろなようです。撮影OKですか、ありがたいので喜んで、と撮影。隣りのおじさんも本格的なカメラで資料を撮影していました。

他、映像資料や音声資料も多数あります。すべて無料で閲覧可能。大学や研究機関のライブラリーに慣れていない人にはちょっと敷居が高く感じられるかも知れませんが、見逃して、もう見られないのかなあ、と思っているミュージカルもこちらに行くと、少なくともその一端には触れられるはずです。時間があれば、本格的に入り浸ってみたい場所です。(そういえば、どこかのイベントの映像で、リン‐マヌエル・ミランダがミュージカル作家希望者へのアドバイスを聞かれて、ニューヨークに住んでいたら New York Library of Performing Arts のような素晴らしい場所があるのでどしどし活用すべきだ、と答えていたことを思い出しました。)

ニューヨークは舞台芸術の都ですが、実際の上演だけではなく、このようなところにもその文化的厚みというのがあるのだなと実感した、書店とライブラリー訪問でした。

2017年9月28日木曜日

"31. Washington on Your Side" from Hamilton: An American Musical

ラップバトル(=内閣会議)ではジェファソンを圧倒したハミルトンでしたが、議論に何度勝ったところでどうにもならないことがあるのが実際の政治。政敵との関係をどんどん悪化させていることを、どの程度意識できているのか? ジェファソン、マディソンがバーと合流することで、第2幕に入ってから徐々に高まってきた反ハミルトンの流れがにわかに濁流に変わっていきます。

<あらすじ>
ワシントンの後ろ立てで政策を進めるハミルトンに不満を溜めていく国務長官ジェファソン。バーとマディソンからせっつかれて、ついに職を辞してワシントン政権に対抗することを決意する。

ラップバトル形式の "30. Cabinet Battle #2" の次なので目立たないかもしれませんが、この曲もラップとしては高度なヴァースが登場します。"24. What'd I Miss" 以外ではジェファソン一番の見せ場でもありますね。政治的テーマの盛り込み方、徐々に盛り上げていく曲構成も素晴らしく、私個人的には、いちばん好きな曲のひとつ。

始め、舞台にバーが登場。

[BURR] It must be nice, it must be nice to have Washington on your side.
[バー] いいだろうなあ、いいよなあ、ワシントンが味方についてくれたら。

大陸軍大将から初代大統領へ、絶大な大衆人気を集めて建国最初期のアメリカ合衆国を率いてきたジョージ・ワシントン。確かに前曲最後でジェファソンが言った通り、ワシントンの後ろ盾がなければ、ハミルトンの活躍はありえなかった。ただしその体制にもそろそろ限界が来ているようで……。

最初のジェファソンのヴァース、当時の政治状況、メディアを使っての攻撃合戦、ジェファソンが主張していた理想など、テーマがぎっしり(訳すのがたいへんそうなのでとりあえずパス。時間があったらまた追加するかもしれません)。ジェファソンの理想は自由で理性的な農夫たちの国アメリカ。今から考えると牧歌的でとてもありえないし、当時でもジェファソン自身がグローバルな商品作物を大規模プランテーションで、奴隷を使って生産して儲けていたわけで、ちょっと無理じゃないの、という気がします。が、ヨーロッパの文化的伝統として「牧歌的な」(pastoral)な田園風景での暮らしを人間の理想とする考え方があるので、それに則っているんでしょう。とりあえず、そうした理想の一番の敵がウォール・ストリートの投資家連中、そしてジェファソンにはそうした連中の「親玉」的に映っているハミルトン。

[JEFFERSON] I’ll pull the trigger on him, someone load the gun and cock it. While we were all watching, he got Washington in his pocket.
[ジェファソン] 俺があいつに向けて引金を引いてやるから、誰か銃に弾を込めて、撃鉄を起こしてくれよ。俺たちがぼさっと眺めている間、あいつはワシントンの威を借りてやりたい放題だったろ。

という最後の部分は、じっくりと構えて、自分はあまり前に出ずにいいとこどりをすることが多かった歴史上のジェファソンらしいといえばらしい。自分で全部やれという気もしますが、それは実際はあまり政治家としてはうまく行かないんでしょう、後のジェファソンの成功を鑑みると。こうしてバーとジェファソンが反ハミルトンを旗印に合流。とはいえ、まだ一番の障害である大統領がでんと重石のようにのしかかっています。

[JEFFERSON/BURR] It must be nice, it must be nice to have Washington on your side.
[ジェファソン/バー] いいだろうなあ、いいよなあ、ワシントンが味方についてくれたら。

次いで「権利憲章」(the Bill of Rights)の名前が出て、その主著者であるマディソンが合流。「権利憲章」はアメリカ合衆国憲法制定直後に、その不備を補うために付け加えられた10の修正条項を指します。紛糾のうちに起草された合衆国憲法において見落とされていた<個人の権利>を保証した条項が多く、憲法、アメリカ独立宣言と並んで、「建国の文書」(the Founding Documents)と呼ばれることもあるアメリカ政治上、最重要文書の一つ。「政教分離」「言論の自由」といった御馴染みのテーマがあり、私たちアメリカ合衆国以外の人間の生活にも、今も深く結びついています。ここでも、個人の権利、州の権利を脅かすものとして、連邦政府の権力強化を進める(と少なくとも政敵らには見える)ハミルトン、そしてその背後にいるワシントンの存在がジェファソンらにとっての目の上のたんこぶ。

そして、バーとマディソンに煽られて、ついに、

[JEFFERSON] I have to resign
[ジェファソン] 辞任せざるをえんな

とジェファソンが辞任宣言。

[JEFFERSON] I’m in the cabinet. I am complicit in watching him grabbin’ at power and kiss it. If Washington isn’t gon’ listen to disciplined dissidents, this is the difference: This kid is out!
[ジェファソン] 内閣にいて、ハミルトンが権力をつかんでキスするのをぼーと見てたら、やつと共犯も同然だ。お行儀がよく抗議をしてもワシントンが聞いてくれないんなら、話はべつだ。この生徒(=ジェファソン本人のこと)はいち抜けた!

[i]の母音韻のしつこいぐらいの連打、"d" の頭韻。唱えられたら気持ちよさそう。短いヴァ―スとしては、"30. Cabinet Battle #3" のハミルトンの "meddling in the middle of the military mess" と同レベルに密度が高く、ミュージカル『ハミルトン』全体でも注目のラインですね。また内容も、意見をしても先生に訊いてもらえない生徒、という設定がメタファーになっていてユーモラス。ハミルトンくんも校長ワシントン先生に呼び出されていましたが、ジェファソンくんも同じような気分だったのでしょうか。

[MADISON/BURR/JEFFERSON] Oh! This immigrant isn’t somebody we chose. Oh!
This immigrant’s keeping us all on our toes. Oh! Let’s show these Federalists who they’re up against! Oh!
[JEFFERSON/MADISON] Southern motherfuckin’—
[JEFFERSON/MADISON/BURR] Democratic-Republicans!
[ジェファソン/マディソン/バー] オウ! この移民は俺たちが選んだ人間じゃないぞ。オウ! この移民には俺たち。こいつらフェデラリスト党員に、誰を相手にしているのか知らしめてやろうじゃないか。オウ!
[ジェファソン/マディソン] 南部のいてまえ
[ジェファソン/マディソン/バー] 民主共和党だ!

「この移民は俺たちが選んだ人間じゃない」といのは、内閣職の財務長官は大統領任命なので選挙で選ばれていないということ(ジェファソンの国務長官も同じですなんでがね)。"motherfuckin'" は訳しようがないので、とりあえず。しかし、ここの最後の部分、たまりませんね~(笑)。"Democratic-Republicans" という語がこんなふうに使われたことがこれまであっただろうか。ともあれ、(「南部の~」にはもちろんバーは参加していませんが)三人の声がびしっと揃ったところで、ハミルトン包囲網が完成です。ゆっくり始まった曲がうねるように勢いを増していく、最後への盛り上げがうまい。

とはいえ、まだワシントン大統領は健在。ジェファソンの決断はどのような結果を生んでいくのか? バーはどこへ向かうのか? アメリカ合衆国とハミルトンの運命や、いかに?

2017年9月27日水曜日

ミュージカル観劇記(番外編2): Hush Hip Hop Bus & Walking TourーPART Ⅱ

PART I から、Hush Hip Hop & Walking Tour 体験記の続きです。

ブルックリンのハーレム河沿いを走って着いたのは、1520 Sedgwick Ave。なんてことはないアパートに見えるんですけども、というか、本当になんてことはないアパートで、ちょうど出てきていた住民の人にちょっと胡散臭そうに見られたりするんですけども……。


ヒップホップの歴史にとっては最重要の場所です。時は1973年8月11日、DJ Kool Hercが初めてパーティーを開いた場所――すなわち、「ヒップホップ生誕の地」(アメリカ史における「コモン」や Federal Hall のようなものですね)。今では通りの名前が何と、ヒップホップ大通り(Hip Hop Boulevard)に。Google Mapで調べるとこの場所には、Hip Hop Nuestra Culturaと表記がありますね。


鉄柵の向こうにグラフィティが見えます。いや、その他はほんとに普通の静かなアパートで、写真の鉄柵の向こうでも住人の女の子、男の子がバスケットボールで遊んでいたりしていたんだけれども。何というか、こういうツアーじゃないと来ることはないし、来てもどうするの、という感じのところなので、逆に貴重な体験な気がします。
ガイドMCの Grandmaster Caz によると、DJ Kool Herc のパーティーは本当に爆音で、かなり離れた Caz の家にまで音楽が響き渡ってきたらしい。それを聞いて Caz たちもやってきたけど、まだティーンにもなってなかったので入れてもらえなかった、でも外にも山ほど人が集まって楽しんでいた、とのこと。

Grandmaster Caz は引っ越してきたばかりで地元でいちばんクールに見えたグループに入れてもらおうとしたら B-Boy のダンス・クルー Casanova Crew で、ダンスバトルに勝って入れてもらった(Grandmaster Caz の Caz は Casanova の略です)。その後、たまたま家にレコードがたくさんあったので Herc や Grandmaster Flash を真似て、DJing、さらにMCing を始めていくことに(ダンスは途中で諦めたそうで)。その際、お母さんがそれまで映画の影響で「ポン引き pimp」になりたいと言っていた息子が新しい道を見つけたことに喜んで温かくサポートしてくれた、という心温まる(?)お話。そのおかげもあって、1978年には The Cold Crush Brothersを結成、ダンスも盛り込んだヒップホップ・ショウのスタイルを作り上げ、ヒップホップ史に名を刻むことになりました(ツアーでもかけていたけど、2Pac や Jay-Z の曲にもリスペクトで名前が登場します)。"Grandmaster" は初期のDJが付けていた称号ですが、Grandmaster Cazの場合はMCもこなす、というかそちらが本業っぽい。ヒップホップ史において、焦点がDJからMCに移行していくことを示す重要人物とみることもできるか。

ふたたびバスで移動。下の場所はブロンクスで最初のディスコがあった場所。フィルム映りがよく今でもよく映画に登場するので、観た記憶がある人もいるかも。この場所で Grandmaster Flash がヒップホップ DJingに革新を起こして、ヒップホップの表舞台登場へと繋がっていきます。


次に降りた場所はBronxを貫く大通り、Grand Concourse。通り沿いの塀にしっかりとしたタッチでDJ Kool Hercを描いた壁画が。さすが Herc、腕の筋肉がすげえ。レコードを回すのにこんなに筋肉が必要かどうかは疑問ですけど。

壁画はかなりながく続いています。

Ground Concourse 沿いの風景。"Live Poultry"、生きたニワトリとかを売っているらしい。アフリカ系の人たちはとにかくチキンが好き、というのは映画やドラマで出てくるステレオタイプの一つ。たぶん、本当に好きなんでしょう。


Ground Concourse には The Bronx Walk of Fameというのもあって、街灯のポストにブロンクス出身のヒーローたちの名前が書かれたサインが掲げられています。下の写真、右が Grandmaster Caz のサイン。


これはカーティス・ブロウ(HUSH Tour のガイドはブロウのこともあるそうです)。


この場所にガイドなしで行きたいというチャレンジャーのために、近くのバス停の写真を乗せておきます。本数は少なくなさそうなので、そんなに大変ではないか。


ふたたびバス移動。かっこいいグラフィティ発見。


橋を渡りマンハッタン、ハーレムへ戻って、ソウル・フード・レストラン Manna's Soul Food。ここで昼食です。数えきれないほど並んだ料理からどんどん容器にもって、最後はざっくりとポンド測り売りです。たっぷりとって10ドル少々。ニューヨークの料理屋としてはかなりリーズナブル、で、とにかくどの料理もすごく旨い。すぐに行ける場所にあるなら、アメリカ滞在中はずっとここでもいいかなってぐらい。ハーレムに4軒ほどあるので、見かけたらぜひ入ってみてください。


店の中にもうけられた販売ブースでCD、書籍販売。HUSH Tour のライブCDというのを買いましたが、帰ってから聞いていると、このツアーが旅程を辿りながら、うまくヒップホップ史のルーツへと導入していくようにできているのが分かって感心しました。ツアーではMCを聞いて、外の風景を見て、と余裕がなかったですからね。CD買ってよかった。ツアー参加者は復習用にぜひ。最後のバス乗車前に、店の前で Grandmaster Caz と記念撮影。私もミーハーにちゃんと撮ってきましたが、恥ずかしいので割愛。


最後、バスに乗って、出発点の近くまで戻ります。Grandmaster Cazはここでバイバイ。その途中もお楽しみというか、サプライズがあります。司会は最初から添乗、動画ディスプレイ操作などをしてくれていた若いラッパー、Grandmaster Caz が mentor、日本語でいえばお師匠とのこと。ニューヨークでは様々なショウに出ている、名前を知られたパフォーマーのようです。すみません、そう書いていながら名前を失念。

朝10時からのツアーでしたが、終わったのは3時過ぎ。内容みっちりのよく構成されたツアーで、大満足でした。Grandmaster Caz を始め、関係者の本気度もよかった。ヒップホップが始まった当初はみんな持ち出しで活動をしていた、現在は恵まれている、と言っていましたが、それにしても、その頃から40年以上現役というのはすげーわー。

2017年9月26日火曜日

"30. Cabinet Battle #2" from Hamilton: An American Musical

ハミルトン対ジェファソン、ラップ・バトル第二弾。

<あらすじ>
フランスとイギリスの戦争が始まりそうな気配となり、独立時の同盟を守ってフランスを支援すべきかどうかが内閣会議の議題に。自由という理念をともに頂くフランスを支えるため参戦すべきだと訴えるジェファソンに対して、ハミルトンは国の現状は戦争できる状態ではなく、同盟条約もフランス王政時代のものでフランス革命政府とは無関係であることを指摘して中立を守ることを主張。ワシントン大統領はハミルトンの見解を支持して、中立の宣言を出すことに決定する。

ナンバー1と同様、ワシントンの司会から。ただし、今回の閣議はワシントン大統領が決定権を握っており、議会の承認は必要なし、とのこと(とすれば、どちらかというとハミルトンに近いワシントンの意見はもう決まってるんじゃないの、という気もしますが……)。

[Jefferson] When we were on death’s door, when we were needy, we made a promise, we signed a treaty. We needed money and guns and half a chance. Who provided those funds? ([Madison] France) In return, they didn’t ask for land. Only a promise that we’d lend a hand. And stand with them if they fought against oppressors. And revolution is messy but now is the time to stand. Stand with our brothers as they fight against tyranny. I know that Alexander Hamilton is here and he would rather not have this debate. I’ll remind you that he is not Secretary of State. He knows nothing of loyalty. Smells like new money, dresses like fake royalty. Desperate to rise above his station. Everything he does betrays the ideals of our nation. Hey, and if ya don’t know, now ya know, Mr. President.
[ジェファソン] 俺たちが死の扉の前に立って、助けが欲しくて喘いでる時、約束をして、条約にサインをしたわけよ。金と銃とチャンスを半分おくれってね。その資金を出してくれたのは誰だっけ? ([マディソン] フランスね。)お返しに、土地をくれなんてフランスは言わなかったよ。困ったときに助けてくれればいい。抑圧者に対して戦うときはよろしくってね。革命はしっちゃかめっちゃかでも、立ちあがるんなら今でしょ。兄弟たちとともに立って、暴政と戦うならね。アレグザンダー・ハミルトンがここに居るのは知ってるよ、でもこの議論には参加したらないだろうね。頭に置いておいてもらいたいんだけど、あいつは国務長官じゃないから。仲間に誠意を、なんて頭にない野郎さ。成金趣味ぷんぷんで、偽王族のファッション。何とか下層から這い上がろうってんだろうな。やつのやることなすこと、この国の理想への裏切りだ。ヘイ、知らなかったとしても、もう分かったでしょ、大統領閣下。

最後のラインは "Cabinet Battle #1" で出てきた Grandmaster Flash and the Furious Five の "The Message" と同じぐらい分かりやすいヒップホップ・ライムからの引用ですね。これもヒップホップ史上に輝く名曲、The Notorious B.I.G.の代表曲 "Juicy" 。原曲では、"And if you don't know, now you know, nigga"。ジェファソン役のディグズもこの名ラインを数えきれないほど口にしてきたようで、『ハミルトン』の始めの頃には、最後、"Mr. President"ではない原曲の言葉を言ってしまいそうで困ったとのこと。

"Juicy"は柔らかいトラックの曲だからただ聞き流しても気持ちがいい。が、内容的にはヒップホップ史を最初期から振り返りながら、Biggy が自分がヒップホップの正統なんだよ、分かったかよ、と、余裕とスワガーを強烈に効かせながら宣言する曲。ジェファソンが自分がアメリカ合衆国の理念の正統だ、とアピールしているのと対応していて、アメリカ合衆国史とヒップホップ史を重ねているところがある『ハミルトン』においては、非常に意味の深い選択です。

さて、この余裕のアピールに対して、ハミルトンはどう対抗するか。

[Hamilton] You must be out of your Goddamn mind if you think the President is gonna bring the nation to the brink of meddling in the middle of a military mess, a game of chess, where France is Queen and Kingless. We signed a treaty with a King whose head is now in a basket. Would you like to take it out and ask it? “Should we honor our treaty, King Louis’ head?” “Uh… do whatever you want, I’m super dead.”
[ハミルトン] どたまが湧いてんじゃないの、大統領が軍事チェスの泥仕合のどまんなか寸前までこの国を引きづっていこうとするなんて本気で思ってるならね、チェスって言ってもフランスにはクイーンもキングもないじゃない。俺たちが条約を結んだのは王だけど、その頭はいま籠のなかに収まってるよね。頭を取り出してきて訊いてみるつもり?「ルイ16世の頭様、条約を尊重してほうがよさそうですかね?」「あー、お前たちの好きにするがよい、朕は超絶死んでいるゆえ」

最初から文が長くて、訳しているほうとしては勘弁してくれ、と言いたくなるところですが(笑)、韻の連発がもの凄いです。しかし、"meddling in the middle of a military mess, a game of chess”あたり、唱えていると気持ちがいいです。フリースタイル・ラッパーでもあるリン‐マヌエル・ミランダが限界まで本領を発揮した感じ。というわけで2度目のラップバトルもハミルトンの圧勝。とはいえ、ワシントン大統領の見解は始まる前に決まっていて、とりあえず反論の機会をジェファソンにも与えよう、という雰囲気。それにガンガン攻めるハミルトンの頭に、前曲の最後でバーが言い放った「傲慢は没落の先駆け」が、ちょっとでもチラついたかどうか。強力な政敵ジェファソンとの関係をさらにこじらせていきます。

ジェファソンもそうとう気を悪くしたらしく、ハミルトンがかつての盟友でフランス革命に参加したラファイエットを見殺しにしていると非難。それに対して、ハミルトンは、

[Hamilton] Lafayette’s a smart man, he’ll be fine. And before he was your friend, he was mine. If we try to fight in every revolution in the world, we never stop. Where do we draw the line?
[ハミルトン] ラファイエットは頭が切れるやつだから、大丈夫さ。あんたが友達になる前から、俺の友達だったんだ。もし世界中の革命ぜんぶに首を突っ込んでいたら、どこで止めにするんだい? 線引きはどこでする?

と返す。この辺りは、デモクラシーという「理念」を旗印に世界中に望まれもしない介入を繰り返すことになった後のアメリカ合衆国史を思い起こさせます。本当のアメリカ合衆国史では、世界中に介入できるような連邦軍創設を進めようとしたのは、ハミルトンのほうではあるのですが。

最後、ラップ以外の口げんかでも旗色が悪くなったジェファソンが、

[Jefferson] You’re nothing without Washington behind you
[ジェファソン] ワシントンの後ろ盾がなければお前なんて屁でもないぞ。

と捨てぜりふ。さらに、舞台袖にワシントンいる呼ばれたハミルトンに対して、

[Jefferson] Daddy’s calling!
[ジェファソン] 父ちゃんが呼んでるぜ!

と追い打ち。前("14. Stay Alive")に、ワシントンに「息子」(son)と呼ばれて激昂していた家族コンプレックスのハミルトンにとって痛いところをついていますね。

"Cabinet Battle #1" では、Naz v. Jay-Z のビーフに言及しましたが、こちらナンバー2
は Eminem v. Jay-Z のビーフではないんですけど、ラップ合戦を思い起こさせます。Jay-Z のアルバム The Blueprint (2001)に参加した Eminem は  "Renegade" で圧倒的パフォーマンスを見せています。Jay-Zも悪くないというか良し、曲自体も名作だと思うのですが、先攻第1ヴァース担当の Jay-Z を引き継いだ後攻の第2ヴァースの Eminem が全部もっていってしまう感じ(とくに、こちらのライブ)。もっとも曲調、全体のテーマ自体が Eminem 調に寄っていて、こうした曲で Eminem をフィーチャーしたJay-Zのふところが深い、という見方もできます、アメリカ史で結局勝利を収めたジェファソンのように。

2017年9月25日月曜日

ミュージカル観劇記(番外編2): Hush Hip Hop Bus & Walking ToursーPART I

『ハミルトン』メインでニューヨーク行きなら、ヒップホップ関連も――ということで、Hush Hip Hop Bus & Walking Tours に参加。集合場所は109 E 59th St の Oxford Cafe前。ふつうのカフェで、界隈にヒップホップの匂いもしないので、合ってるかどうか不安になってきますが、徐々に人数が増えていき、参加者は20名超。白人のおばあちゃん二人組や、ガタイが大きくて刺青だらけのいかにもヒップホップというポリネシア系、ドイツから来たらしい家族づれ、など、人種も、性別も、年齢もバラバラなのがいい感じ。Celebrities のガイドつき、ということで誰が来るんだろうとドキドキというか、怖いというか(笑)。


そこへスマホをもったアフリカ系の、いかにもラッパーという若者が登場。点呼をとります。この兄ちゃんがかなり黒人英語なので、ちょっと聞き取りづらい。雰囲気はパーフェクトですが。点呼終わり、簡単な説明、ちょっと離れたところに停めてあったバスへと移動して乗り込みます。席に着くと、撮影などについての注意事項。バスの外を撮影するのはOKだけど、中のパフォーマンスをとるのは勘弁、ということらしい。


説明が終わると、メインMCの登場。集合場所で待っていたときに、一目でいかにもヒップホップなおっちゃんが通っていったんですが、その人物でした。Grandmaster Caz。ボケッとして始めピンとこなかったのですが、ヒップホップ史の本には必ず登場する伝説的DJ・MCではないですか! 最初からかなりのテンションでガンガン客を煽ります。バスはセントラルパークの西側、マディソン街を北へ向かいます。途中、The Notorious B.I.G.を始めMCやミュージシャンたちの葬儀が多数行われた Frank E. Cambell - The Funeral Chapel や映画New Jack City に登場するホテルを紹介しがら進み、スパニッシュ・ハーレムへ。途中、ヒップホップとは何ぞや、という問答。乗客ひとりひとりが答えさせられるので、参加する人は答えをいくつか用意しておいたほうがよいです。ひとつだと前の人に言われちゃうので。

最初のストップはスパニッシュ・ハーレムの公立中学校 13 Public Junior High School。塀一面にグラフィティが書かれています。しかもこの壁画、一年に一度すっかり塗りつぶして、グラフィティ・アーティストが一堂に会して描き直すらしい。地図で確認すると、The Graffiti Hall of Fame、グラフィティの殿堂、とあります。どうやら体育の授業中?


グラフィティはポップでカラフルな画風が多かったですね。下の写真、奥に立っている青い帽子の男性が Grandmaster Caz。画像で見るとピンときませんが、実際に見ると、現役MCとして40年!活動してきた風格がすごいです。


ちなみにグラフィティは「ヒップホップの4要素」の一つ。他の3つは何でしょう?、というクイズはさておき、DJやMC、B-boyingなどが登場する前に、ヒスパニックを中心にマイノリティの若者の表現のための下地を作っていた。とはいえ、最初のグラフィティはカラフルなものではなく、下の写真にあるような自分のニックネームを目立ちそうな場所に描く「タギング」と呼ばれるものでした。


上がメトロの高架をくぐるトンネルで、そこを抜けると、バスケットボールのバスケットがないコートのような?場所へ。そこにまた、いかにもヒップホップぽいなあというおじさんが一人。と思ったら、この人もヒップホップ史に名を留める celebrities の一人でした。Mighty Mouse、早くから活躍している B-Boy で、振り付けの仕事も多数。日本でもダンスに興味がある人なら聞いたことがある名前では?


というわけで、模範のダンス、の後、ショート・レッスン。二人が手をあげ、一人がむりやり引っ張り出され(笑)、簡単(なほうなんだろうな)なムーヴが伝授されます。他人事と笑っていたら引き続き、みなさん円になって~、と声がかかる。(ダンス音痴には)恐ろしいことに、全員踊らされます(しょうがないから、私も踊りました。YouTubeにアップするとかもっと怖いことも言っていたきがしますが、恐ろしすぎて確かめる気になれません)。参加者の中にはヒップホップダンス経験者の女の子もいて超うまい。さらにノリノリになったドイツ人家族のお父さん(どうやら若いときにヒップホップダンスでぶいぶい言わした経験があるらしい)が ちょっと調子に乗って、Mighty Mouse にダンスバトルを申し込みます。快く応じるダンスレジェンド、Wow!と盛り上がる一同。勝敗は・・・。

再びバスに乗り込みさらに北へ移動。途中の壁にもグラフィティ。壁あるところにグラフィティあり。


スパニッシュ・ハーレムから、スパニッシュなしのハーレムに入っていきます。そして、アポロ劇場に到着。多数のアーティスト、パフォーマーを輩出したアフリカ系演芸の殿堂。行きかう人はだいたいアフリカ系ですね。


有名なアマチュア・ナイトも健在です。


入口前の地面には、有名ミュージシャンの名前が刻まれた銅板が。こちらはマイケル・ジャクソンと、エラ・フィッツジェラルド。


たくさんありますが、だいたいは知っている名前。アポロ劇場に出演したアフリカ系のミュージシャンは数知れず、ここに名前が刻まれているのはその中でもトップの人たち。ちなみに下の写真でお尻が映っているどっしりした男性はニュージーランドからきたプロのヒップホップ・アーティスト。話しかけると、タダでCDをくれました。マオリ系らしく、ダンスの時にはマオリの舌を出して威嚇する仕草で締めていた。


ジェイムズ・ブラウンに、最近亡くなったプリンス。


ハーレムは高い建物が少ないので、空がきれいです。表通りはのんびりとしたよい雰囲気。


最後にチャーリー・パーカーと記念撮影。


さて、またバスに乗り込み移動です。途中、Grandmaster Caz のキャリアの説明が入ります。"Rapper's Delight" というヒップホップ初のヒットシングルがありますが、第2ヴァースを書いたのが Grandmaster Caz。ただ、"Rapper's Delight" は Caz たちのパーティーに顔を出していたピザ屋の店員が声をかけられて、ついついレコーディングまでいっちゃって、しょうがないから憶えていた Caz らのリリックをそのまま(本当に名前をコールするところ― "C-A-S-A-N-O-V-A and the rest is F-L-Y" は Grandmaster Caz の別名―までそのまま、笑)コピーでラップしちゃった。それが大ヒット、というわけ。やっぱりというか何というか、いまだにCazは1ドルももらっていないそうな。というわけで、"MC's Delight"ってのを作ったから聴かせてやるぞ、とバスの中でライブ・パフォーマンス! "Rapper's Delight"の「三人仲間を連れて来たぜ I brought three friends along」のところが、「一人で十分だからぜんぶ一人でやっちゃうぜー!」になっていたのが大ウケ。


塀あるところにグラフィティあり。下の写真、左下のグループは最近移民してきたアフリカ系の模様。アフリカ系といっても多様です。


しばらく移動して、ふたたび下車。1999年に惜しくも早逝したハーレム出身のMC、Big L のミューラル(壁画)。Jay-Z とのフリースタイルがこちら―Jay-Z の声が若い(笑)。ネットに Eminem との共演の動画もありますが、二人のスタイルはかなり似ていますね。Grandmaster Caz によると生きていれば、現在もヒップホップを代表するMCだっただろうとのこと。ハーレムで射殺されて亡くなっています。ヒップホップの歴史には40年という期間とは割りが合わないほど死者が多い。”Shout out to lost soldiers of Hip Hop"。


歩きながら見上げると、マルコムX大通りのサインが。ニューヨークの(アメリカ合衆国の街の)通りには人名がつけられていることが多いですが、少しずつ切り替わって新しい時代を反映しています。『ハミルトン』、"28. The Room Where It Happens" にも、Clemant Street が Mercer Street に改名される、というところがありましたね。これで "The Malcolm X legacy is secure."といえるかというと微妙ですが。


カラフルなアフリカ民族衣装を着て歩く女性。


どうやってあそこに描くんでしょう、という位置にもグラフィティが。建物は古いものも残っていて、様式もいろいろ。それぞれに雰囲気がありますね。


くりかえしですが、空がきれいです。


グラフィティの塀の向こうにアパート。


バスで移動中、バスケットボールコートの脇を通る。ハーレムの日常風景。


さらに北へ向かいます。橋がハーレム川の向こうにあるブルックリンへ何本ものびている。


そのうちの一つを渡ると、どこに着くでしょうか? (トンネルか橋どっちにする?という Caz の質問に、乗客みんなが橋~!とコーラス。そりゃそうだよね。)


はい、ヤンキー・スタジアムに到着。しばらく記念撮影タイム。今のスタジアム、風格がありますが、2009年に新しく建てられた球場です。


すでにブルックリンに入っています。ここからしばらくハーレム川沿いの道を北上。


マンハッタンとのあいだに何本も橋が架かっています。建てられた時代が違うので様式がいろいろなのが興味深い。



さて、目的地に到着。どこでしょうか。ちなみに、ハーレム川を越えた向こう側に見えているのがミュージカル In the Heights の舞台、マンハッタンのワシントン・ハイツ。Grandmaster Caz によれば、「ドミニカ共和国」だそうで(笑)。離れてみると本当に heights で高くなっているのが分かりますね。


(続く)

2017年9月24日日曜日

"29. Schuyler Defeated" from Hamilton: An American Musical

全曲からの続き。決心を固めたアーロン・バーが一気に前面へ。

<あらすじ>
決断をすると行動の早いバー。フェデラリスト党から共和民主党に乗り換えて、見事に上院議員に当選。代わりに落選したのがハミルトンの義父のフィリップ・スカイラー。ハミルトンはこれを裏切り行為としてバーを批判して激しく詰めよる……、

始めは、上段通路の右端に立った孫フィリップとイライザがスカイラー落選、バー当選の新聞記事を読むシーンから。"5. The Schuyler Sisters" のリプリーズへ移行し、そこからハミルトンとバーの口論の場面へ。

[HAMILTON]  Burr? Since when are you a Democratic-Republican?
[BURR]  Since being one put me on the up and up again.
[ハミルトン] バー? いつから民主共和党員になったんだ?
[バー] そうすりゃどんどん上に行けるってわかってからだね。

"Burr, sir" を聞きなれてきた耳からすると、"Burr" だけの呼びかけは失礼、というか、ハミルトンの激昂ぶりが見えるような気がしますね。ハミルトンの非難にバーは平然と答える。この時期のアメリカ合衆国政局は、<ハミルトン、アダムズらの the Federalist Party >対<ジェファーソン、マディソンらの the Anti-Federalist Party 改め the Democratic-Republican Party >の図式。各政党、というか、各個人が新聞を発行して、いちおうは匿名で(でも誰が記事を書いたかは丸わかりという状態で)批判合戦、というよりむしろ、罵り合いの泥仕合を繰り広げていました。後で出てくるように、党内部でも泥仕合なんですけど。

この後、さらに責め続けるハミルトンに対して、「ウォールストリートじゃ人気ものかもしれんが、[…]州の北部じゃ、お前みんなに悪党だって思われてるからな」(”Oh, Wall Street thinks you’re great.[...] But upstate [...] people think you’re crooked.")とバーの切り替えし。

[HAMILTON]  I’ve always considered you a friend
[BURR]  I don’t see why that has to end
[ハミルトン]  ずっと友達だと思ってきたのに。
[バー]  これからも友達でいいんじゃない。

この部分、OBCアルバムで聞くと、バーが平然と受け流しているように聞こえますが、あるところでみた映像では、バー役レズリー・オゥドム・ジュニアはハミルトンの勢いに戸惑っているように演じていました。私が見た舞台のブランドンは、平然に、のほうの演技でした。同じ設定、セリフでも演じ方によって微妙な揺れがあるようで。

最後のバーのセリフ、

[BURR]  I swear your pride will be the death of us all. Beware, it goeth before the fall.
[バー] 言っとくがな、お前の傲慢さが俺たちみんなの命取りになるぞ。気をつけろよ、傲慢は没落の先駆け、だぜ。

は、旧約聖書の箴言(Proverbs)16章18節、

Pride goeth before destruction, and an haughty spirit before a fall. (King James Bible)

より(訳はネットで何種類も見つかるので、いろいろ見比べてみてください)。箴言は古代ユダヤ人のことわざを集めたもの。日本人だと、こうした部分が聖書にあるというのも知らない人のほうが多いでしょうね。ただこの時代のアメリカ人なら、聞いて出典がわからなければ馬鹿にされるレベルでしょう。今はどうかわかりませんが。

また「傲慢さが俺たちみんなの命取りに」というのは、もちろん、この二人の未来を予言している。ミュージカル『ハミルトン』全体、特にバーの発言にこうした部分がたくさん見受けられます。それに気付くたびに、オーディエンスとしては作品の結末に近づいていくのを実感するわけです。

2017年9月22日金曜日

ミュージカル観劇記(番外編1): Hamilton Walking Tour

8月にミュージカルを続けてみた記録を残しています。が、さて、ブロードウェイ観劇は夜。ということで、昼は何をしようかとなるわけですが……。ここは『ハミルトン』メインのNY滞在、関連の活動を、ということで、Hamilton Walking Tourに参加してきました。Viatorというサイトで予約。最近は何でもネットで便利ですね。

スタート地点は City Hall Park。『ハミルトン』で行くと、"5. The Schuyler Sisters" や "6. Farmer Refuted" で登場する「コモン」が当時の「シティ」(というより、規模からいって「タウン」か?)のいちばん北に当たるこの場所になります。オランダ植民地だったニューアムステルダム時代に、共有の牧草地だった地域が公共空間としての性質を残して公園となった。革命派も王党派も、ここで自分たちの主張を述べ、議論を戦わせた場所。
現在ではニューヨーク市庁舎が建っています(市庁舎も軽く覗こうかと思ったら、厳重警戒でした。現在の状況を考えればそりゃそうか)。
15分前に公園のブロードウェイ側入口に行くと、いろいろ装備をつけた初老の男性が。バードウォッチング風に見えなくもないですが、『ハミルトン』関連の資料が見えたので声をかけるとそれが今回のガイドのチャズさん。地元の歴史好きおじさんという感じ。しばらくして、女性二人がやってくる。ボストンから旅行、ということでしたが、うちの一人はもう『ハミルトン』オタク全開。結局、ツアーは最少人数の3人でした。『ハミルトン』ブームもさすがに落ち着いてきたのか、それとも他にもいろいろツアーがあって、客が分散しているからか。ツアーはヘッドフォン装着で、『ハミルトン』からの曲も交えながら進んでいきます。ヘッドフォンは騒々しい街中だから、というのが主な理由のようでしたが、いい工夫だと思いました。

まずはスタート地点のCity Hall Park =「コモン」の説明から。このブログでは、下の記事にすでに説明を書いていますので、ご覧ください。
『ハミルトン』と1776年のニューヨーク
すでに色々調べたとはいえ、実際の場所にいくとちょっとワクワク。下の「リバティ・ポール」はハーキュリーズ・マリガンら "Sons of Liberty" のメンバーたちが立てた「自由のポール」(もちろん復元ですが)。
根元をみると、鉄のガードがつけてある。独立派がポールを建てるとイギリス兵が切り倒す、というのが10年も繰り返されたそうで(今からすると逆にのどかな話ですね)、最後は切られないようにガードをつけたとのこと。現在のものは1921年の復元版で、当初の位置とは違う場所にあります。
次いで、City Hall Park 周辺で、ハミルトンの葬列が始まった地点、この場所ではないけど "2. Aaron Burr, Sir" の舞台となっていると思われる tavern などの説明を受ける。当時のニューヨークの人たちにハミルトンは広く敬愛されていて、多数の参列者のパレードが大規模に行われた。ハミルトンが "3. My Shot" で "I got a scholarship to King's College" と歌ったキングズ・カレッジ(後身が現在のコロンビア大学)があったのもこの辺り。


次いで、ハミルトン関連の教会へ。今回のツアーでは3つ教会を尋ねましたが、当時の、そして現在のアメリカにおけるキリスト教の重要度が分かるような。始めは St. Paul's Chapel of Trinity Church Wall Street。名前からそうかなあと思いますが、アメリカ一番リッチな教会だそうな。「金もちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」とキリスト様はおっしゃってなかったかとも思うんですが(笑)。後で訪ねるハミルトンのお墓がある Trinity Churchと系列(企業みたいに言うな!)ですね。
確かにプロテスタント系の教会としてはちょっとリッチな感じの内装。プロテスタント系ではふつうあの窓のところにものを置いたりしないけど、外にある何かの影が悪魔みたいに見える、という声があってそれを隠すためにおいてあるということ。外のその何かを動かすという発想にはならないのか?
壁に掲げられていたワシントンの100回忌のときの記念銅板。
この教会は9・11の時に救助活動の拠点になったらしく、記念品を収めた小部屋がありました。
白頭鷲をデザインしたアメリカ合衆国の国章の絵。なんだか、国家の教会という感じ。ベンジャミン・フランクリンが白頭鷲よりも七面鳥のほうが合衆国国章にふさわしんじゃないの、と言ったという伝説がありますが、ここに描かれた白頭鷲は七面鳥に似ています。ミュージカル『1776』で、フランクリン、アダムズ、ジェファソンが国章をどの鳥にしようと議論する場面がこちら("The Egg")。フランクリンは七面鳥、ジェファソンは鳩、アダムズは鷲がいいと主張。
しばらく歩いて移動、下の写真はニューヨークで一番古いメソジスト派の教会。黒人の信者を受け入れたことで先駆的だったとのこと。両側を高い建物に挟まれているのですが、これは昔、建物の高さが決められていて、ただし、お隣に使っていない高さの分を売ることができたかららしい。よく分からない制度。
ダウンタウンの中心へと移動。途中、ブロードウェイ・ミュージカルの原点らしい場所の紹介。ニューヨークで歌劇が初めて行われた場所?らしく、ワシントンとハミルトンも観劇、スタンディング・オベーションを受けたそう。これも建物自体は変わっていますが。
狭い道を移動します。マンハッタンの南部はごちゃごちゃとした通りが入り組んでいます。しばらく北へ行くと碁盤の目というか、きれいな四角のブロックがほとんどになりますが、そうした街の区画が考えられる前にできたのがダウンタウン・エリア。曲がって、くぐって、どう動いたのか分かりませんが、ジェファソンのニューヨークでの家の場所に到着(左下に移っているのがガイドのチャズさん、いろいろな装備をさげています)。
建物はすっかり変わって高層ビルになっていますが、ジェファソンが住んでいたことを示すプラックがついています。"28. The Room Where It Happens"で描かれる、ジェファソン家での晩餐での裏取引が行われたのが、この建物の二階あたり、らしい。
さらに歩いて、階段上って、ビルの谷間の空間へ。ジャン・デュビュッフェ作の大きなオブジェ "Four Trees" が立ってます。Trump Building(あのトランプ・タワーとは別です)が聳え立って、辺りには金融業の建物ばかりの Financial District のすっかり中心(地図で確認すると地下鉄のBroad St.駅そばですね、Broadwayからはずっとそれほど離れていない)。
広場を挟んで、The Bank of New York と Chase Bank が向かい合って建っている。それぞれハミルトンとバーに由来する銀行ということで、現在でも二人の関係は続いているといえば続いている。さらにウォールストリートへと向かいます。通りが狭い。いかにもテロの標的になりそうなところなんですけど……。
 フェデラル・ホール前へ。アメリカ合衆国の首府が最初に置かれた歴史的な場所。ワシントンの銅像が立っています。ご一緒したボストン女性二人はさすがに地元びいきでボストンのほうが歴史は深い!という様子でしたが、ガイドのチャズさんはアメリカ合衆国史上最重要の史跡のひとつはこれ!と、フェデラル・ホール押し。
垂れ幕にも、「この場所は重要 This Place Matters」と大書されていますね。建物の中に入ると、9・11のテロの時の衝撃でできたヒビがありました。だいたいの箇所はもちろん補修されていますが、この箇所は記念として残しているとのこと。
フェデラル・ホールのオリジナルの建物の絵と、ワシントンが大統領就任式で手を置いて宣誓を行った聖書(実物)。
ワシントンの就任式を記念した石碑。
 ワシントンの就任式の様子を示した模型。参列者が少ない?
 正面のワシントン像を後ろから。こんな感じの視点で演説を行ったわけですね(右下の子供もそんな気分に浸っている?)。
下はフェデラル・ホール向かいの建物の壁。1920年9月16日に起きた Wall Street bombingでできた穴が残っています。イタリア人アナーキストによるものという説が有力だということですが、実際には犯人は不明。アメリカの経済の中心地が昔からテロリズムの標的になってきたことだけは確かです。

近くの地下鉄駅。J-Zのラインが通っている。このラインはブルックリンに通じていて、ラッパーの Jay-Z の名前の元にもなっている。ブルックリンのストリートから、アメリカのメインストリームに上り詰めた Jay-Z の成功物語にぴったりです。
ツアーの最後はトリニティ・チャーチへ。尖塔が見事なきれいな教会です。
ここはそう、ハミルトンが眠る場所。立派なモニュメントつきの墓が建てられています。ミュージカルのヒット前は訪れる人も少なかったようですが、今ではニューヨーク指折りの観光名所に。
 すぐ隣には、イライザも眠っています。
 ちょっと奥に回ったところには、ハーキュリーズ・マリガンも。
さらに奥に回ると、アンジェリカのお墓。"46. Who Lives, Who Dies, Who Tells Your Story" で、「そばにアンジェリカも埋葬された」とイライザが歌うわりには、意外と離れているなあという印象。マリガンとアンジェリカの墓の横には、説明のサインが立てられていますが、ツアーでご一緒した『ハミルトン』マニアのボストン人女性たちによると、数か月前に来た時には立ってなかった、とのこと。その時にはかなり苦労して見つけたらしいです。うろうろと探し歩く人があんまり多いから立てたんでしょうね。
というわけで、あまり広くはないマンハッタンの南端、ダウンタウンエリアに『ハミルトン』関連の史跡が集中しています。この辺りを歩いていると、アメリカ人の歴史に対する強いこだわりを感じるとともに、同じエリアが現在のアメリカ合衆国のみならず世界の経済の中心地として機能していることに驚かされます。

というわけで、『ハミルトン』というミュージカルに "An American Musical" という副題がつけられていることの意味を実感したツアー参加でありました。また、他にもウォーキング・ツアーのグループがたくさん。チャズさんはニューヨーク市発行のガイド許可証を首から下げていて、それは必要なの、と聞くと、一応必要だけど、見せろとか言われたことはないなあ、でもつけてると説得力あるでしょ、とのこと(ニューヨークで許可証なしでOKなのはバーテンぐらい、とも)。チャズさんのようなガイドは観光地ニューヨークの重要な戦力。日本の京都などでも同様のツアーがもっと増えてもよい気がしますね。

ちなみにガイドツアーに参加しないで同行程を回りたい人には、

B.L. Barreras, Where Was The Room Where It Happened: An Unofficial HAMILTON: AN American Musical Location Guide. 2016.

という本が出ています。出版社名のところに Bryan Barreras と著者名があってファンが作った私家版なんですが、アマゾンでも購入可能です。Kindle版だと安いですね。内容もロケーションに地図、地下鉄路線・駅名、開館情報、行くべき理由、建て替えがあったかどうかなどよくまとまっていておススメです。