2017年9月19日火曜日

"27. Say No To This" from Hamilton: An American Musical

第2幕に入って政治的にも追い込まれていっているハミルトンですが、重ねて、私生活でも問題発生。というか、ここはまあ、完全に自業自得ではあるんですけど……。

<あらすじ>
イライザとアンジェリカの誘いを断って自宅にひとり残ったハミルトン。そこへマライア・レノルズという女性が訪ねてくる。夫に虐待されたうえに捨てられて生活費もないから助けてくれ、という彼女の懇願に応じて金を渡し、家まで送っていくが、マライアの誘いに乗ってベッドの中までふらふら。その後マライアとの逢瀬を重ねるハミルトンに、彼女の夫からの手紙が。妻との関係を続けてもいいが金を払え、さもなくばイライザにばらすぞ、と脅されて……。
 # 細かいですけど、Reynoldsという姓の読みはよく書かれている「レイノルズ」ではなく、「レノルズ」です。正しく書かれていることを見るほうがまれですが……。

冒頭、バーによる司会から。新しい女性キャラクターの初登場の場面で、"5. The Schuyler Sisters" からのリプリーズになっているのがポイントですね。明るい曲調、ウキウキした跳ねるようなリズムから転じて、あやしいトーン、ねっとりとした歌い回しになっています。歌詞を見比べてみると、

[Burr] Wooh! There’s nothin’ like summer in the city
Someone in a rush next to someone lookin’ pretty
Excuse me, miss, I know it’s not funny
But your perfume smells like your daddy’s got money
Why you slummin’ in the city in your fancy heels
You searchin for an urchin who can give you ideals?
(from "5. The Schuyler Sisters")

[Burr] There's nothing like summer in the city. 
Someone under stress meets someone lookin' pretty.
There's trouble in the air, you can smell it.
And Alexander's by himself. I'll let him tell it. 
(from "27. Say No To This")

前に書いたことの繰り返しになりますが、こうしたメロディやら歌詞やらのリプリーズで全体を緊密に構成してあるのが、『ハミルトン』がアルバムで繰り返し聞いたりしても面白いポイントでしょう。たんに繰り返しがある、というのではなくて、繰り返しに気付くと、最初から終わりまで、いろいろな場面が結び付けられて、立体的に構成された作品になっているということで。「アレグザンダーが一人でいるところだし。本人に喋らせてあげようか」というのも面白いスタイルですね(では、他の部分では、ハミルトンは語り手ではなく、語られる一方になっているのか、どの程度が、バーの語り、なのか)。ハミルトン本人に語らせることで、やたらと弁解がましく聞こえるようになっているのも、バーの策略でしょうか?(笑)

ステージ上では他の役者がみんなで "No!" と言っているのに、ついつい "Yes!"に走ってしまうハミルトンがまことに残念、かつ、コミカルです。上演では、ここはある意味、アメリカ独立!のような場面より以上に舞台と客席が一体になった雰囲気がありました。浮気なんで悪いんだけど、演じるのを見ていると、どちらかというと、しょうがねぇやつだなぁと笑ってしまう感じ。ハミルトン自身も、

[HAMILTON] I am helpless—how could I do this?
[ハミルトン] もうあかん―なんで俺こんなことしとるんやろ?

という調子。わかっとるんやろ、あかん、あかんって~、あ~、やってもうた、あほやな~、とハミルトンに劇場にいる他のみんなで突っ込みを入れる(笑)。チャーナウのハミルトン伝では、ハミルトンは貧しくて追い込まれたマライアに、自分のお母さんの境遇を重ねて同情したうんぬんというところがあった気がしますが、それと浮気は別問題。でもマライアがぐいぐい来るので、というのも、あくまで「本人に喋らせてあげ」ての話で、信じるかどうかはあなた次第。歴史上は、この時にイライザは5人目の子供を妊娠中ということで、何だか今の日本の政治家スキャンダルのような話です。

マライアの夫ジェイムズ・レノルズの手紙のところ、

[JAMES]
Dear Sir, I hope this letter finds you in good health
And in a prosperous enough position to put wealth
In the pockets of people like me: down on their luck
You see, that was my wife who you decided to

[HAMILTON]
Fuuuu—

最後の "Fuuu―‐"は「ファー」とフラットに発音されていますね。"fu*k"というのを途中まで言って、というわけです。結局、ジェイムズの脅しに屈して金を払い、それがのちのち政治的対立に煽られて大きな事件となっていきます。

第1幕、ハーキュリーズ・マリガンという労働者階級のキャラクターが活躍しましたが、第2幕には登場しません(最後のエピローグの曲でちょこっと顔を見せますが……)。第1幕でのハミルトンの親友3人組で、ラファイエットはフランスで革命参加中or獄中、ローレンズはあの世、ということで出てこない理由はあるわけですが、マリガンは同時代にアメリカにいるはずなのに、と。戦争のごたごたでの階級上昇のチャンスが薄れて安定していく世の中、成功者となったハミルトンと、過去の自分の立場のあいだに隙間が生まれている。そこにスキャンダルが発生するスキがあった、と言えばいえますね。

オリジナル・キャストのペギー/マライア役ダブルキャストのジャズミン・シファス・ジョーンズはかなりねっとりとした歌い方。ネット上の動画を見ると『ハミルトン』向けというよりは、彼女の歌唱スタイルそのままな感じ。個人的にはあんまり好きな声の出し方ではないんですが、劇中ではぴったりはまっているかなと。ジャジーなハーフ・トーンを強調したところは、第2幕に入ってからの新しい「あいまいな」雰囲気を強調していますしね。とはいえ、私が観た上演では、Alysha Deslorieuxがペギー/マライア役。比べるとかなりさっぱりした歌いぶりで、そちらのほうが私としては良かったです。小柄なひとなので、ペギー役の時はアンジェリカ、イライザと頭ひとつぐらい違って、いかにも子供という感じ。マライア役の時は、ハミルトン役ムニョスも小柄なんでふつうに見えました。

『ハミルトン』の女性の描き方は "5. The Schuyler Sisters" での華やかな姉妹像の印象が強くて、アメリカでの反応でもポジティブなものが多いです。が、全体の劇作上の構成からいけば、男性中心の劇であることは間違いないですね。イライザ、アンジェリカ、マライアの女性3人は、ハミルトンにとってそれぞれ、家庭の安心、知的インスピレーション、性的欲求を与えてくれる存在で、まあ、男性が自己中で求めている女性イメージを体現している。では、ペギーはというと、イライザが「家庭の天使」的な妻で、男性の身勝手な家庭像を支える存在なのに対して、もっと現実的な家庭を示唆していたように思います。彼女の説明なしの退場(ペギーは病弱ではありましたが、1801年までは存命でした)は、マリガンの退場といっしょで劇作上の都合で、マライアに転じて出てくる、というのは色々と示唆的……。ハミルトンに欠けているのは、怒鳴りつけてでもハミルトンを休暇に引きずっていくような「オカン」的な女性ではないか、なんて考えたりして。

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