まだ席に戻ろうとする人がちらほらいるかなというタイミングで第2幕スタート。バーのイントロがいい感じで間をとっているので、それほど気にならない。
“What’d I Miss” では、バーは右手の上の通路に立ってジェファソンの登場をMC。それが終わると同時に、中央の梯子の上にスポットライトを浴びたジェファソン登場。アイグルハートはディグズとはまったく違うルックスですが、とにかく華があるのが大事なポイント。特にジェファソン役は、スポットライトを浴びた途端に劇場みんなの視線がいくような役者じゃないとダメだろうからぴったりです。ディグズのジェファソンを見慣れているから、髪がないのが残念(?)。声も体型と同じでちょっと丸目で、ディグズの金属的なところがある声とは当たり前ですがちょっと違う。でも、これはこれで役に合っていないわけではない。ダンスやしぐさはディグズのものをかなり踏襲しています。アドリブの部分もあるんだろうけど、演出は決めるところはビシッと決められているんだろうな。第2幕の一曲目、このブギウギ調の曲で、大きくトーンが変わる。隣の席のおじさん(おじさん一歩手前)たちも第1幕のヒップホップ調よりは乗ってきたような雰囲気が伝わってきました。いかにもブロードウェイですよ、というサービスでもあるかも。
とはいえ、“25. Cabinet Battle #1”は、ヒップホップ・トリビュートという感じの他の “15. Ten Duel Commandments” と “30. Cabinet Battle #2”も同じで、劇場の乗りもよくて楽しい。ラップはオリジナルより全体にアタックが少なめでやわらかいけど、演技という側面が強調されて、聞きやすくなっている印象。ちょっとパンチにかける感じはあるけれど。特にアイグルハートはヴァースの最後でジャズ調のメロディを採り入れていて、徹頭徹尾ヒップホップを感じさせるディグズとは違った印象。対して、ここでのムニョスのハミルトン・ラップはミランダとそっくり。演技の力で近づけている面もあるのかもしれないけど、無理はぜんぜん感じない。ラップのリリックの引用はすでに観客もみんな知っているという反応ですね。下は 地下鉄駅の入口にあった、"Now you don't know ~" の元ネタの The Notorious B.I.G.他のグラフィティ。第1幕からの連続性があるからですかね、ヒップホップ調の曲、演出を見ると、なんだかホッとする。
“26. Take a Break” は音楽的にアルバムでは聞き取れなかった工夫がはっきりと分かって、劇場体験の価値がありました。アンジェリカとイライザがハミルトンを説得する場面で、イライザが”That Would Be Enough”からのラインを歌っているのがはきいり聞こえたり、二人の女性のライトモチーフが重ねられたり。アルバムでは聞き直しても、目立つアンジェリカがイライザを消してしまっている。まあ、それはそれで二人の関係に合っているわけですが。フィリップ役はオリジナル・キャストよりも子供演技がコミカルで大げさ。これは演者がというよりも、大げさにしたほうが受けるというこれまで公演を重ねてきたうえでの経験則からきているような。
“28. The Room Where It Happens” は劇場で見ると、全体でいちばん重要な曲ではと思えてきました。バーの役割、語り手、登場人物、内面独白など劇の構成を成り立たせているもろもろが詰め込まれている。散文的な説明から、劇、リフレインの歌と、曲調もめまぐるしく入れ替わる。ダイナミックな曲。同じジャズ調の曲とダンスでも、”What’d I Miss”とはずいぶん印象が違います。”What’d I Miss”が上からきて飛び跳ねる感じだとしたら、”The Room ~”は下からググッと盛り上がる感じ。ジャズハンド的な動き、いかにもブロードウェイ調の感じなのに、どこか不穏で暗い感じなのが不思議。結末へ向けて、物語が本格的に進みだす印象。
“32. One Last Time” では、ワシントン大統領の朗々たる声に周りの観客が興奮しているのが伝わってくるようで、あんたたち本当に大統領好きやねーとちょっと突っ込みたくなる。歌はすばらしかったですが、"An American Musical" をアメリカ人と同じように体験しているかというと、まあ、それは違うかなと。曲が終わると、客席から大きな拍手が起きる。それに続いて、“33. I Know Him” でジョージ王が登場。退場するワシントンを見ながら入れ替わるように、そちらに目線を送りながら登場するところから大きな笑いをとります。シリアス‐コミック、コミック‐シリアスの落差は『ハミルトン』の進行上で活用されているテクニックですね(ただし、ジョージ王がいちばんウケるのはじつを言うと……、これはネタバレになるともったいないのでこのぐらいで)。“44. Your Obedient Servant”になると、決闘に向かうメッセージのやりとりなのですが、演出はコミカル。ハミルトンの長い返信を、ダンサーが一枚ずつもってバレエ的動きをしながら、バーに次々渡していく-―ー"Sweet Jesus"で笑い。最後の数曲に入ると、ああ、もう終わっちゃうのかという……。“45. The World Was Wide Enough” は第一幕の "15. Ten Duel Commandments" の演出上のリプリーズ。 動きの緩急、ストップと、めまぐるしい。"Ten Duel Commandments"同様、舞台の全体が見えるように、何度もリピートして観てみたいなあ。“46. Who Lives, Who Dies, Who Tells Your Story” もゆっくりした曲なのに、演出上はどんどん展開していく。『ハミルトン』の重要テーマの一つはカウントダウンに象徴されるように「時間」なのですが、「時間」がテーマになるのは舞台芸術の宿命でもあるでしょうか。
しかし最後のイライザの仕草の意味は何なのだろう?
終演後の舞台を撮影。シンプルだけどディテールにこだわったセットです。トニー賞で舞台デザイン賞は獲れませんでしたが、パフォーマンスを最大限に活かすための舞台としてよく出来ています。
下の写真、奥に階段がありますが、それよりも手前に車輪がついた階段が隠されているのがわかります(右端に写った男性の顔の左)。これが移動して、舞台中央の階段になるんですが、何度か見たはずなのに、今、移動してる!とならなかったなあ。全体の演出やダンスに気をとられてしまう。演出の仕掛けをむだに目立たせないのが作り手の目指すところかもしれませんが、もうちょっとどういう仕組みなのか知りたかった気がします。
というわけで、終わってしまいました。何だか立ち去り難いんですけれども。で、やっぱり公演パンフレットは買ってしまいましたね。別の情報がたくさん載っているわけではないんだけど、眺めてにやにやするにはぴったりのきれいな出来。それに上演キャストについての情報の紙が挟まっていたので買ってよかった。
『ハミルトン』観劇後感想としては、演者のパフォーマンスが予想していたよりもずっとよかった、というのがまず第一でしょうか。オリジナル・キャストについての情報をこれだけ与えられると、以降は代役っていう印象がどうしてもあるんじゃないかと思ってしまいましたが、そうした心配は無用でした。役にとってはちょっと好みじゃない人もいましたが、それはオリジナル・キャストも同様ですしね。しかし一方で、正直なところを言うと、徹底的に作品に入りこめて夢中になれたかというと、これは個人的な話になりますが、微妙なところもあります。「史上最高のミュージカル」である所以みたいなものを熱く語れればいいのですが……。
誤解のないように言っておくと、作品の完成度の高さは言うまでもなく、先ほど書いたようにパフォーマンスとしても完璧と言ってもよい出来。決して決定的に新しい要素をミュージカルに持ち込んだ作品ではなく、様々な要素を今までにないかたちで融合させた、というのが『ハミルトン』について言われるところですが、それにも異論はない。うーむ、単にひねくれものの性として、どこかが破綻しているもののほうが好きというだけなのかなあ。
とはいえ、ぜひもう一度、というか何度も観てみたい作品でありますし、他のミュージカルもどんどん体験してみたい、『ハミルトン』の各曲、物語、さまざまな仕掛けについても考えてみたい、という気が薄れていません。時間が経てば、今思うより大事な体験だったと思える、という印象もあるのです。まだ観劇後の整理が付いていませんね。
さて、2017年8月の観劇記、残るはあと1作品のみになりました。それは『ハミルトン』のパロディ、Spamilton: An American Comedy。昨今のブロードウェイについてのパロディでもありますので、今回の集中観劇を最後、振り返るのにぴったりかな。
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