8月22日(火)、7:00PMから、Natasha, Pierre & the Great Comet of 1812。タイトルが長いので、The Great Cometと呼ばれていますね。手元にあるチケットでも、THE GREAT COMET、とだけの表記、窓口でも「ナターシャ」と言ったとたん、「Great Comet ね」と言われました……。前日のGroundhog Day観劇は観た後になんというかホッコリましたが、この日はちょっと苦い印象が残る体験に(作品の出来とはべつの部分がほとんどで、ですが)。
脚本・作詞作曲はデイヴ・マロイ(Dave Malloy)。オフブロードウェイの公演では主演もつとめていて、ブロードウェイに移ってからスターのジョシュ・グローバン(Josh Groban)に交替しましたが、いろいろあった末(後述)、ブロードウェイ最終日(9月3日)を迎えたときにはマロイ主演に戻っていました(私が観た回は残念ながら、マロイはお休みで代役)。作詞作曲家としてのブロードウェイでの上演は初ですが、オフ(オフオフ?)ブロードウェイ作品はいくつか発表済みで、歴史もの、古典文学ものをとりあげていることが多いようです。ヒットの度合いは別にすれば、リン‐マヌエル・ミランダと同等の天才という印象です。音楽的な幅や斬新さからすると、マロイのほうが才能あるような。ほぼ全編が楽曲でつづられているという点でも、『ハミルトン』と同じ。
The Great Cometは、ロシアの文豪レオ・トルストイの長大な小説、『戦争と平和』の第2巻第5部のミュージカル化。マロイはトルストイの小説の文を、ほぼそのままの引用でもちろん英訳でですけど、盛り込んでいます。散文なのでそんなに簡単ではないというか、むちゃくちゃ難しいと思うのですが、キャラクターごとの独特の歌唱も含めて、見事に処理されていました。この部分も、チャーナウのハミルトン伝やハミルトンらの書いた文書からの引用をそのままリリックに織り込んでいる『ハミルトン』との共通点。そういえば、決闘(deul)の場面もあるのもいっしょです。
The Great Cometは近年のミュージカルでもセットと演出の面で突出した作品で、劇場が全面的に改造されて、舞台と客席という区別を無くして、客席のあいだのスペースや通路でパフォーマンスが行われるスタイル。また、役者のほとんど(主人公のピエール含む)が楽器を弾きながら演じるというところも、どうやら現在のミュージカルの最先端のようです。あと、照明。天井からタイトルの「彗星」をイメージしたシャンデリアと裸電球とが無数に吊るされて、激しく点滅したり、雪を思わせる仕方でゆっくり上昇下降したり。トニー賞のュージカル装置デザイン賞ですから素晴らしいのは当然ですが、圧倒的な斬新さで、デザインのミミ・リエン(Mimi Lien)は今日のブロードウェイを代表する天才のひとりという印象です。照明デザインはブラッドリー・キング(Bradley King)。
上のリンクでリエンが説明している通り、舞台というか劇場中央にある小さな固定の演奏ピットやその周りに設けられた丸テーブルの客席(追加料金を払うと座れたらしい)は、塹壕(bunker)――戦争映画とかでよく見る敵の銃弾を避けるために地面を掘ってつくった穴――をイメージしているそうです。『戦争と平和』の第2巻第5部はナポレオンのロシア遠征の直前、ほんのわずか後には焦土になるモスクワが舞台。主人公ピエールを始め周りの人々は戦火がおよぶ可能性を感じながら退廃的な生活を続けている。塹壕的な演劇空間の作り、そしてロシアのクラブを参考にしたという派手なセットも含めて、原作のコンテクストを深く理解して選ばれている気がしました。まあ、NYでミュージカルを観る観客のどの程度がそんなことを意識するか心もとなくはありますが、作り手の高い意識はひとつのポイント。(下は開演前にキャストが客席に撒いていた紙のパッケージ、中身はなんでしょうか。)
舞台では、始めにピエールの親友アンドレイが婚約者のナターシャに別れを告げ戦場に向かう場面が無言で演じられます。アンドレイは劇場一番奥、上の扉の前に立っているピエールの脇を、ちらりと視線を交わして退場していく。そこからアコーディオンをもったピエールが一曲目 “Prologue” を歌い始めます。
Out there somewhere あっちのどこかで
And Andrey isn’t here そしてアンドレイはここにいない
続いて全員のコーラス、
And this is all in your program you are at the opera
Gonna have to study up a little bit if you wanna keep with the plot
Cuz it’s a complicated Russian novel everyone’s got nine different names
So look it up in your program
We’d appreciate it, thanks a lot da da da da da da da da da
「複雑なロシア小説だから、プログラムを観てあらすじとか登場人物を前もって確認しといてね、予習してもらわないとわからないよ」というのは、ロシア小説を笑いのネタにしながら、本当の批判の的はミュージカルを観ている観客、作り演じている演者たち自身、というセルフアイロニーになっていると思われます。その後につづくキャラクター紹介は、「ナターシャはyoung」、「ソーニャはgood」、「アナトールはhot」と各人を一言で片づけていきますが、ここも類型的登場人物が登場する19世紀小説のパロディでありつつ、単純なキャラクタリゼーションを要求されがちなミュージカルへの批評でしょう。個々の歌唱法も含めて、かなりデフォルメした登場人物の描き方がなされていて、ちょっとインテリ的なアプローチをとらないと、どうしてこんな変な歌い方なんだろう、とちんぷんかんぷんなのでは? ミュージカルではなく「オペラ」と言っているのもポイントですね。クリエイターが考えたジャンルは「エレクトロポップ・オペラ」(electro-pop opera)だそうな。
というわけで、のっけから従来のミュージカルへの批判的な視点を押し出している。内輪の批判といえば批判なので、ピンと来ないと人は理解はできても自分には関係ない、うっとおしいと感じるかもしれない。The Great Cometはけっこう危ない橋を最初から渡っています。批評をいろいろ読んでいてもあまり指摘はないのですが、かつては理想主義者だったが今は単なるセレブになった、しかもそんな自分の状況に不満を抱えている主人公ピエールにアメリカのリベラル知識人の苦境を見る、というのが政治的な背景も含めた妥当な読みではないかなと。いろいろな意味で、玄人向けの作品という感じ。
個人的には、このミュージカルのトーンを決定しているのは、アナトールを演じるルーカス・スティール(Lucas Steele)だったと思います。主演より取り換えが効かないのではと感じました。 “young” (若い、というよりは、まだ幼い、かな)なナターシャを破滅に導くプロットにおける悪役なのですが、自分が悪いことをしているという意識もない、ある意味でとてもイノセントな人物。スティールはYouTubeなどの映像で見ると個性的過ぎて男前なのか分からない顔をしていますが、ステージ上の虚構のなかでは役柄にぴったりの当たり役。ナターシャとアナトールのスキャンダルというプロットの中心にある出来事も、セレブの醜聞ばかりがメディアを賑わすアメリカの現状と二重写しになるように作られている、と思うのですが、どちらかというとこの作品全体、ロシアの昔の話で、現代のアメリカの社会的文脈とは関連がないので、と書かれていることが多い。アナトールが一番笑いをとっていたのも印象的でした。
主演ピエール役にはちょっと不満でした。もちろん下手ではないですが、ピエールを演じているというより、グローバン、マロイが演じるピエールを演じている、と見えてしまうのは、アルバムを先に効いていたせいでしょうか。感情を込めただみ声などがいかにも演じているというふうに聞こえてしまう。本当の主役で週に6日8回演じるのと、アンダースタディ(代役)で週1で演じるのと、もしかすると、後者のほうが大変かな。アナトールと、ソーニャ役のブリテン・アシュフォード(Brittain Ashford)、メアリー役のゲルジー・ベル(Gelsey Bell)、他の演者は素晴らしかったです。他のパフォーマーも劇場の隅から隅まで走り回って、お疲れさま~。
全体を観終わった印象は複雑。各キャラクターの特徴づけ、印象的な歌で、トルストイの読んでみれば意外と通俗小説的な面白さ、しかしそこにある観察眼の鋭さを見事に表現しなおしていました。また、セット、照明、演出も他には味わえない質のもの、しかも上質な体験だろうと堪能しました。ただし、この二つ、話の面白さと演出が一度見ただけではずいぶんと気が散る、というか、どこに集中してみればいいのかわからないという戸惑いを生んでいたようです。1+1が少なくとも2にはなっていた気がしますが、観劇体験としてはそれが3にも4にもと欲張ってしまう(せっかくブロードウェイ行ったのに、という貧乏性でもありますけど)、その期待までは達していなかった、というのが個人的な印象。もすかすると、ブロードウェイの劇場ではなく、その前段階にテントで演じていたThe Great Cometのほうが面白い体験だったのでは、とか思っちゃうのですね。ミュージカルだと最終的にはブロードウェイでの成功を目指さないと、というのがあるのかもしれませんが、作品の質によって適切なサイズ、観客のタイプなど合うかどうかもありますよね。
というわけで、貴重な体験をしたというのと同時に、ちょっともやもやした感じを抱えながら劇場を出ました。ニューヨーク、特にブロードウェイは近年観光で盛り上がっているそうで、世界各国からの家族連れやらカップルやら、人、人、人が夜になっても渦巻いている。人込みからちょっと離れて宿へ向かっていると、ちらほらとホームレス、物乞いの姿が。彼らはまだまし?なほうで、酔っぱらってるのか、まともではない姿勢で路肩にひっくり返って寝ている男も。その落差と、The Great Cometの観劇体験を重ねて、ちょっとしんどい気分になったのでした。昼に9・11メモリアルを訪問して、その横にある妙な商業施設を見たのもあるかも。それに北朝鮮のミサイル騒ぎとそれに対するトランプ政権の反応、アメリカ南部の極右とカウンターの衝突で死者が出たりなど・・・。のどかにNYお上りさんとしてミュージカル鑑賞をしている自分の立場を、ピエールたちと重ねないではおれない気がしました。
The Great Cometはすでに公演終了。グローバンに代わって『ハミルトン』のマリガン/マディソン役オキエリエテ・オナオドワンをキャスティング。ただし、演出とオークの間にちょっと行き違いがあったらしく、もともと契約が短かったのもあってオークは短期で、次にベテランでスターのマンディ・パンティキン(Mandy Patinkin)を次にキャスティング。しかし、このキャスティングを人種多様性を損なうとしてソーシャルメディアで批判する人たちが出てきて、パンティキンが辞退、とすったもんだの末、そもそもそんなに興業がうまく行っていなかったので、ということでプロデューサーが講演打ち切りを宣言……。なんとも後味の悪い締めくくりになってしまいました。黒人のドゥネ・ベントンを主演女優(ロシアの貴族の娘役)にブロードウェイ公演を続けてきた(その前任は『ハミルトン』のイライザ役フィリッパ・スーだった)、どう見ても人種多様性を推進してきたこのショウに、一つの役変更でどうこう周りからいう人間が困りものな気がしますが、これも現在のブロードウェイなんでしょう。
The Great Comet、とても好きな作品なのですが(特に楽曲、静かな曲もいいですし、プリンスを想起させるひねりがあってしかも激しい曲とか最高!)、いろいろ苦みも混じる体験になりました。もう少し小さなスペースで、しかもクオリティは高い公演を将来見られることを念じたいですが、はかない望みなような。マロイは次回作、ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨―モゥビー・ディック』原作のミュージカルを準備中らしい(こちらも)ので、そちらに期待です。
「ピエロギ」(pierogi)というロシア料理だそうで。味は旨くもなく不味くもなく……。
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