2017年3月28日火曜日

『ハミルトン』第二幕―登場人物、年表

さて、『ハミルトン』第二幕。ハミルトンはアメリカ合衆国の制度確立に尽力して、自らの「遺産」を残そうとする。そこに、トマス・ジェファソンという強力な政敵が現れます。またイライザの留守についつい・・・で大問題に発展。一方で、これまでチャンスを待ち続けていたバーが大統領選という勝負に打って出て・・・。というわけで、革命のアゲアゲ、ノリノリの雰囲気から、ちょっと大人のかけひきへとお話が進行していきます。

  *

第二幕、主要登場人物(第一幕から登場している人物は省略):
[ 第一幕の時と同様、名前のリンクは Biography.com (www.biography.com)より。]

トーマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)
1743年生、1826年没。アメリカ合衆国初代国務長官、第2代副大統領、第3代大統領(任期1801年‐1809年)。「アメリカ合衆国独立宣言」(1776)を起草した「建国の父」代表格の一人。自由・平等を謳う啓蒙主義者である一方、ヴァージニアで奴隷を多数所有する大規模農園主でもあった。

ジェイムズ・マディソン(James Madison):
1751年生、1836年没。アメリカ合衆国第4代大統領(任期1809-1817)。ハミルトン、ジョン・ジェイ(John Jay)とアメリカ合衆国憲法擁護論『フェデラリスト・ペーパーズ』(1787-1788年)を執筆。以後は連邦における権力の配分についてハミルトンと対立。同郷のジェファソンとともにハミルトンの政敵に。

フィリップ・ハミルトン(Philip Hamilton):
アレグザンダー・ハミルトンとイライザの長男(1782年生)。名前はイライザの父から。自称「詩人」。父ハミルトンと同じ King's College (=Columbia College)を卒業する。

マライア・レノルズ(Maria Reynolds):
1791年夏にハミルトン宅を訪れ、以降1年にわたりハミルトンと関係をもつ。

ジェイムズ・レノルズ(James Reynolds):
マライア・レノルズの夫。妻との浮気をネタにハミルトンをゆすり金銭を得る。

ジョージ・イーカー(George Eacker):
ニューヨークの弁護士。独立記念日のスピーチでハミルトンを批判。フィリップの決闘相手。

こう主要人物を書きだしてみると、『ハミルトン』の登場人物って少ないんですね。第一幕で書き出した人物と合わせると、全部で18人。30年ほどの歴史を語るのに、ずいぶんコンパクトにまとめているなと感心します。

 *

つづいて、第二幕についての年表(『ハミルトン』劇中の年度を中心に)。

1789  ジェファソン、フランスより帰国(1784年よりフランス大使をつとめていた)、第一合衆国銀行設立についての論戦。
 [ “24. What’d I Miss,” “25. Cabinet Battle #1”]
(←"25. Cabinet Battle #1"で、ハミルトンはジェファソンを、俺たちが戦っているときにフランス人と高みの見物をしていたと攻撃していますが、実際の歴史上では、独立革命の戦闘時にはジェファソンはアメリカにいました。まあ確かに戦争は嫌いらしく、ヴァージニアが攻撃されたときに一早く逃げたりしていますけどね。)
1791  マライア・レイノルズとの関係、始まる(1792年までつづく)。
 [ “26. Take a Break,” “27. Say No To This”]
  ハミルトンとジェファソン/マジソンの妥協、首都がフィラデルフィアに(10年後ワシントンD.C.に)、第一合衆国銀行設立。
(←『ハミルトン』ではすぐにポトマックあたり、つまり今のワシントンD.C.に首都が移ったように描かれて、フィラデルフィアはすっかり無視されています。ボストンもただ一回軽く言及されるだけ("6. Farmer Refuted")で、ほぼニューヨーク/ヴァージニアで初期アメリカ合衆国史が動いているように見えてしまいますね。ニュージャージーの扱いはひどいし(笑)。)
 [ “28. The Room Where It Happens”]
バー、上院議員となる(ハミルトンの義父フィリップ・スカイラーが落選)。
 [ "29. Schuyler Defeated" ]
1793  フランス、イギリスに対して宣戦布告、ヨーロッパの他の国々とも交戦状態に。
フランスへ支援を行うかどうかでハミルトンとジェファソンを中心に論争。アメリカ合衆国はイギリスとフランスの争いに介入しないことを宣言(the Proclamation of Neutrality)。
 [ “30. Cabinet Battle #2” ]
ジェファソン、国務長官を辞任。
1796  ワシントン、大統領を辞任。
  [ “31. Washington On Your Side,” “32. One Last Time”]
(←『ハミルトン』ではジェファソンの辞任を受けてすぐにワシントンも辞任という風に描かれていますが、実際には二人の辞任は3年も離れています。ちなみに、ハミルトンは1795年に財務長官を辞任。ワシントンとつまらないことーちょっと遅刻した―でケンカしたそう、まあ、お互いいろいろ溜まっていたんでしょうが・・・。これはワシントンの大統領辞任より前の出来事です。)
1797  ジョン・アダムズ、合衆国第二代大統領に。敗れたジェファソンは副大統領に。アダムズとハミルトンの不和が表面化。
 [“34. The Adams Administration”]
ジェファソンとマディソン、不審な銀行取引(実はマライアとの浮気のためのジェイムズ・レノルズへの支払い)の件でハミルトンを訪問。The Reynolds Pamphlet 出版。
 [“36. Hurricane,” “37. The Reynolds Pamphlet,” “38. Burn”]
 (←実際の歴史では、1792年にジェイムズ・モンロー(合衆国第五代大統領、「モンロー・ドクトリン」のモンロー)らがすでに同件でハミルトンを訪問しています。モンローがジェファソンに秘密をもらしたと思ったハミルトンがモンローに決闘を申込み、それを収めたのが(なんと!)バーという逸話つき。)
1799  ワシントン死去。
フィリップとジョージ・イーカーとの決闘。ハミルトン、マンハッタン北部に隠棲。
 [ “39. Blow Us All Away,” “40. Stay Alive (Reprise),” "41. It's Quiet Uptown"]
 (実際には、この事件は1801年に起こったもの。劇作上、1797年のレノルズ・パンフレット事件とつなげるために、時代が繰り上げになっています。)
1800 1800年の大統領選、ジェファソンがバーを破り、第3代大統領に。バーは当時の規定により副大統領になるが、ジェファソンから冷遇される。ジェファソンを支持したハミルトンとバーの関係が悪化。
 [“42. The Election Of 1800,” “43. Your Obedience Servant”]
1804 ハミルトンとバー、ニュージャージー州ウィーホーケンにて決闘、ハミルトン死去。
 [“44. Best of Wives and Best of Women,” “45. The World Was Wide Enough”]
1806 エリザベス、他の二人の女性と、ニューヨークで初の私立孤児院the Orphan Asylum Societyを設立(現在も Graham Windham というNGOとして存続しています)。
1840 ハミルトンの5男ジョン・チャーチ・ハミルトンが The Life of Alexander Hamilton を出版。
1848  エリザベスの募金活動が実り、ワシントンD.C.にワシントン・モニュメント建立。
1854  エリザベス・ハミルトン死去。
 [“46. Who Live, Who Dies, Who Tells Your Story”]


第一幕の登場人物・年表はこちら

ミュージカル『ハミルトン』幕間の重要な仕掛け:第一幕でローレンズ、ラファイエット、マリガンというハミルトンの友人3人組を演じていた役者がダブルキャストでそれぞれ、フィリップ・ハミルトン、トーマス・ジェファソン、ジェイムズ・マディソンを演じます。そしてもう一人のダブルキャストは、ペギー→マライア・レノルズ。第一幕でハミルトンを支える役どころだった人々が、弱みや敵となって表れて、ハミルトンを追い詰めていくわけですね・・・。

革命を描くというのは盛り上がって分かりやすいですが、それ以後をエンターテインメントとして表現するかはかなり難題のはず。その意味では、ミュージカル『ハミルトン』の本領は、ここからの第二幕にあるのかもしれません。

『ハミルトン』の楽曲ーヒップホップ曲の構造から

『ハミルトン』第一幕をしめくくる "23. Non-Stop" には、それまでの曲に出てきたテーマをこれでもかとばかりに詰め込まれていました。こうなると、ひとつの曲といっていいのかなあ、という気がしないではないのですけれど・・・。分析してみるとどうなるでしょう?

ヒップホップもポピュラー音楽なのでたいていの曲は決まったパターンに従っています。Eminem の "Lose Yourself" は分かりやすいですね(Genius.com参照)。

[Intro] - [Verse 1] - [Hook] - [Verse 2] - [Hook] - [Verse 3] - [Hook] - [Outro]

というパターン。Hook はいわゆる「サビ」の部分、"Lose Yourself" ならタイトル通りの "You better lose yourself in the music~"、みんなが一緒に歌いたくなるところですね。通常は全体のメイン・アイデアを凝縮した内容になっている。ただし、ラッパーとしての本領がでるのは、Verse のところ。標準は16 bars (小節だと16小節)で、メイン・アイデアをサポートするサブアイデアが詳細も含んで展開される。Verse は3つあるのが基本です。"11. Satisfied"を分析するときに触れた英文エッセイと構造的には同じですね。"Lose Yourself" のアウトラインを書いてみると、

トピック [Intro]
 チャンスがあったらものにする、それとも、逃してしまう?
メイン・アイデア [Hook]
 チャンスは一度きりだ、ぜったいにものにするぜ!
サブ・トピック1 [Verse 1]
 バトルの現場は厳しい、だからこそ、瞬間を逃さないぞ
サブ・トピック2 [Verse 1]
 私生活はめちゃくちゃだけど、ここで成功すれば世界の王様だ!
サブ・トピック3 [Verse 1]
 どこから見ても追い込まれているんだ、チャンスをつかむしか俺には道はない
クロージング [Outro]
 本気になれば何だってできるもんさ

物語的展開なので上のようにすっっきりさせても、なんですが、テーマの展開を考えるとこんな感じかな。英語のラップ・ヴァースの書き方入門をちらほら覗いてみましたが、だいたいは hook(メイン・アイデア)を先に考えて、それから Verse を全体の流れを考えながら書いていく、とアドバイスしていました。このあたりも英文エッセイと一緒ですね。英語で表現すると、どうしてもこう理屈っぽくなるものなのか。日本では(アメリカでもあまり変わらないか)一般のラッパーのイメージは、怒りにまかせてどなり散らすというものかもしれませんが、実際のヒップホップの曲はこのように冷静に構成されたものだ、というのは大事な点ですね。

『ハミルトン』でいうと、"I want"ソングである "3. My Shot" は上と同じような分かりやすい構成になっているのが、一目でわかると思います。

[Hook(Intro)] - [Verse 1] - [Hook] - [Verse 2] - [Hook] - [Bridge] - [Verse 3 ] - [Hook]

IntroがHookと同じになっていて(Hookにはトピックが入っているので、Introにも使える)、Bridge (転調などで雰囲気が変わる箇所)がある、Outroはない、と違いはありますが、Hook/Verseが交互に出てくるのは同じ。これもヒップホップ曲の基本形のひとつ。複数の人物が登場するので分かりにくく思うかもしれませんが、内容のまとまりで考えると Verse ごとに1サブトピックです。

[Hook(Intro)] I am not throwing away my shot ~
 チャンスは絶対に逃さないぜ!
[Verse 1]  I'm a get a scholarship to King's College ~ 
 状況は厳しいが俺はとにかくすげえんだ(と思う)、独立騒ぎで一気に成り上がるぜ!
[Verse 2] I dream of life without a monarchy ~
 俺たちそれぞれ夢があるんだ、一緒に革命を起こすぞ!(友達ができたよ、どうしよう?)
[Bridge]  Ev’rybody sing: Whoa, whoa, whoa ~
 オラオラ、お前らもいっしょに起ち上がるぞ、革命だ、革命!(by ローレンズ)
[Verse 3 ]  I imagine death so much it feels more like a memory ~
 いつも死のことを考えてしまうが、今を生きて未来を書き換えるんだ、未来が見えたぞ!
[Hook(Outro)] I am not throwing away my shot ~
 チャンスは絶対に逃さないぜ!

え、メイン・アイデアは"Lose Yourself" と同じじゃないかって? まあ、そうですね(笑)。成り上がりはヒップホップ・アーティストの基本テーマのひとつですから、どのアーティストにも同じような曲がありそう。

問題はこうした分析が、"23. Non-Stop" のような曲にもできるか、というところですが・・・。全体としては、バーの視点からの曲です。

[Intro]  After the war I went back to New York ~ Non-stop!
 ハミルトンの成功の理由はとにかく non-stop なことだ
[Verse 1]  Gentlemen of the jury, I’m curious, bear with me ~
 法廷でしゃべりまくるハミルトン
[Hook 1]  Why do you assume you’re the smartest in the room? ~
 どうして自信満々で、いつも書き続けていられるのか?
[Verse 2]  Corruption’s such an old song that we can sing along in harmony ~
 憲法会議でしゃべりまくるハミルトン
[Hook 2]  Why do you always say what you believe? ~
 どうして信念をすぐ口にするのか、いつも書き続けていられるのか?
[Verse 3]  [BURR] Alexander? / [HAMILTON] Aaron Burr, sir ~
 『フェデラリスト・ペーパー』に協力してくれというハミルトンの依頼を断るバー
[Bridge]  I’ll keep all my plans close to my chest ~
 俺はこの国の方向が定まるまで辛抱して待つぞ
[Verse 4] I am sailing off to London ~
 アンジェリカがロンドンへ移住、イライザを振り切って仕事に励むハミルトン、『フェデラリスト・ペーパー』
[Hook 3] How do you write like you’re running out of time? ~
 どうしてそこまで休みなしに書き続けていられるのか?
[Verse 5] [WASHINGTON] They are asking me to lead
 ワシントンからハミルトンへ、財務長官就任の依頼
[Outro] [ELIZA] Alexander… / [HAMILTON] I have to leave
 Non-stopの仕事中毒ハミルトン、第一幕テーマの総括ー「チャンスは逃さないぜ」

一見ややこしくなりましたが、メイン・テーマが「ハミルトンは non-stop」であるということを書いた Hook の部分と、個々の状況を書いた Verseの部分が交互に出てきているのが分かると思います。あと、Bridge でバー本人の信念が提示されていて、それ以降はバーが出てこないことにも注目。"non-stop" のテーマ展開は Bridgeの前で終わっていて、それ以降は第一幕の総括が入っているという感じかな?

というわけで、ほかの曲にもある程度、同じような分析ができるのではないかと思います。Hook と Verse を分けて考えるのがいちばんのポイント。そして、Hook は全体のメイン・アイデアを表すのでずっと同じ内容、Verse のほうは論理的か物語的にか展開していきます。何か言うときには、はっきりとトピックとメイン・アイデアが決まっていなければならない、そして説明は論理的に展開する、というのは、アメリカ英語でコミュニケーションする場合、インテリかどうか、冷静に説得するかケンカするか、など状況にかかわらず共通する、生理的ともいってもよい基本なのかもしれません。


2017年3月25日土曜日

"23. Non-Stop" from Hamilton: An American Musical

第一幕最後の曲にまでたどり着きました。怒涛の展開だった第一幕でしたけれども、"21. What Comes Next?" と "22. Dear Theodosia" は歌ものの楽曲で、プロットの展開は小休止、suspendedとなっていました。前にも書きましたが、ものすごい勢いで打ち上げられたロケットが放物線の頂上で一瞬止まって浮かんでいるように見えた、そんな感じでしょうか。さて、ここらどうなるか。

"23. Non-Stop"。第一幕のテーマを総決算して、政治の場という別の領域へ移し替える情報てんこもりの一曲。まるで、前二曲での宙づりで生じた遅れを一気に取り戻そうとするかのようです・・・。

<あらすじ>
ニューヨークに戻ったハミルトンとバーは学業を終え、弁護士として近所に事務所を構える。共同で殺人事件容疑者の弁護に当たったりもするが、余計なことまで話しまくるハミルトンに、簡潔さを旨とするバーは呆れかえる。ハミルトンはさらにニューヨーク代表としてに憲法会議に参加、国家システムについての持論を何時間もまくしたてる。発表された憲法の擁護論をいっしょに書くようにハミルトンに求められたバーはそれを断る。ハミルトンはイライザら家族を顧みず日夜を問わず働きまくる。相談相手のアンジェリカはロンドンへ移住してしまい、ハミルトンはバーが嫉妬する活躍を見せながらも孤独を深めていく・・・。

独立革命の戦闘終結を無事迎えることとなったハミルトンとバーの二人。それでも生活は続いていく、というわけで。始めの部分はバーの視点から、ハミルトンの上昇を眺めるというかたちになっています。

[BURR] After the war I went back to New York
[HAMILTON] A-After the war I went back to New York
[BURR] I finished up my studies and I practiced law
[HAMILTON] I practiced law, Burr worked next door
[Burr] Even though we started at the very same time, Alexander Hamilton began to climb. How to account for his rise to the top? Man, the man is
[Burr/Ensemble] Non-stop!
[バー] 戦争が終わってニューヨークへ戻ったよ。
[ハミルトン] 戦争が終わってニューヨークへ戻った。
[バー] 学業を仕上げて、弁護士として開業。
[ハミルトン] 弁護士として開業、お隣でバーもお仕事。
[バー] 同時に始めたはずなのに、アレグザンダー・ハミルトンは活躍をすぐ開始。なんであいつがてっぺんに上りつめたかって? まったく、あの男は
[バー/合唱] ノンストップ!

ハミルトンの姿勢は戦争前と変わっていないといえば変わっていません。なんといっても、"There's a million things I haven't done"ですから、休むわけには行きませんよね。面白いのは、この時点ではハミルトンとバーがある意味、よいコンビなところ。殺人事件の共同弁護をふたりでしたりします。

[Burr] Hamilton, sit down. Our client Levi Weeks is innocent and call your first witness, that's all you had to say.
[Hamilton] Okay, one more thing...
[バー] ハミルトン、座れ。私たちの依頼人リーヴァイ・ウィークスは無実であるって言って、最初の承認を呼ぶ。それ以上言うことはないだろ。
[ハミルトン] いいでしょう、もうひとつだけ言わせていただくと・・・

わが国最初の裁判であるこの件の意義は、と余計なことまで滔々と語り始めるハミルトンにすかさず突っ込むバー。お構いなく自説をぶちまけるハミルトン。バーは迷惑顔ではありますけど、羨ましいし認めてはいる、という口ぶりですね。

ただし、バーから見ると、ハミルトンの姿勢はちょっと理解できない(逆もそうなわけですが)。慎重派のバーにとって、とくに理解できないのは、何でもすぐに口に出してしまうところ。

[Burr] Why do you always say what you believe? Every proclamation guarantees free ammunition for your enemies.
[バー] 自分が信じていることをいつもそのまま言っちゃうのはなぜなんだ? 放言するたびに敵に弾薬を回しているようなもんなのに。

なんて言っている間に、ハミルトンはここから憲法制定のための会議のニューヨーク代表になり、並居る有力者の前で6時間の演説をぶつなど大活躍(大迷惑?)。バーはまたもや、置いてけぼりになってしまいました。

とはいえ、ハミルトンのほうもバーを認めていなかったわけではない。アメリカ合衆国憲法が起草されて、しかし、それが実際に効力をもつべきか議論が巻き起こる。ハミルトンは憲法擁護派として、新聞を使って擁護論を出版することに。協力者をつのります。そこで白羽の矢を立てたのがバー。

[HAMILTON] Burr, you’re a better lawyer than me
[BURR] Okay
[HAMILTON] I know I talk too much, I’m abrasive. You’re incredible in court. You’re succinct, persuasive. My client needs a strong defense. You’re the solution
[BURR] Who’s your client?
[HAMILTON] The new U.S. Constitution?
[ハミルトン] バー、あんたは俺よりいい弁護士だ。
[バー] そうかね。
[ハミルトン] 俺は話しすぎなのは分かってるんだよ、気に障るタイプだよな。あんたは法廷では信じられないぐらいすばらしいからな。簡潔で、説得力がある。今度の依頼者には強力な弁護がいるんだ。あんたなら解決になるんだ。
[バー] で依頼人は誰なんだ?
[ハミルトン] 新しい合衆国憲法なんだけど。

ハミルトン自身にどうやらしゃべりすぎの自覚はあるらしいことが笑えますが、ちょっと褒めているところがわざとらしいかな。バーの "Okay"という応答も、絶対お前ほんとには思ってないだろ!でもほんとに思ってたらちょっとうれしいかも、という感じで笑えます。とはいえ(いつもの通り)バーは断ることに。

[Burr] The constitution's a mess.
[Hamilton] So it needs amendments.
[Burr] It's full of contradictions.
[Hamilton] So is independence. We have to start somewhere.
[Burr] No. No way.
[Hamilton] What're you waiting for? What do you stall for?
[Burr] What?
[Hamilton] We won the war, what was it all for?
[バー] あの憲法はぐちゃぐちゃじゃないか。
[ハミルトン] だから修正条項がいるんだよ。
[バー] 矛盾だらけだ。
[ハミルトン] 独立の状況だってそうだろう。どこかから手をつけないと。
[バー] いや。絶対お断りだ。
[ハミルトン] 何を待っているんだ? なんで躊躇する必要がある?
[バー] 何だって?
[ハミルトン] 戦争に勝ったのは、いったい何のためだってんだ?

バーとしては戦争を生き延びたからさらに慎重に、というところかもしれません。協力する機会がありながら、すれ違っていく二人。根本的な生きる姿勢の違いが、戦争時よりもさらに浮き彫りになっていきます。ハミルトンがバーに声をかけたかどうかは史実では分からないらしいですが、フィクションとしてはうまいエピソードですね。

ともあれ、バーに断られたハミルトンは、ジェイムズ・マディソンとジョン・ジェイと組んで、後に『フェデラリスト・ペーパーズ』(日本語抄訳が岩波文庫でも出ています。『ザ・フェデラリスト』という題)と呼ばれる記事を書いていくことになります。最初は25篇の論文を書く予定が、結果はというと、ぜんぶで85篇に。そのうちの51篇がハミルトンによるもの。ジョン・ジェイは途中で病気になってリタイアしてしまいますが、原因はハミルトンじゃないかなあ・・・。

てんこ盛りの曲なので、アンジェリカが途中でロンドンに行くわ、と言ってきたりしますがそのあたりは省略。ワシントンに呼び出されるところまで飛びます。

[WASHINGTON] They are asking me to lead. I am doing the best I can. To get the people that I need, I’m asking you to be my right hand man.
[HAMILTON] Treasury or State?
[WASHINGTON] I know it’s a lot to ask
[HAMILTON] Treasury or State?
[WASHINGTON] To leave behind the world you know…
[HAMILTON] Sir, do you want me to run the Treasury or State department?
[WASHINGTON] Treasury
[HAMILTON] Let’s go
[ワシントン] リーダーになってくれと頼まれたんだ。全力を尽くそうと思う。必要な人員をそろえるにあたってだ、君には私の右腕になってもらいたい。
[ハミルトン] 財務ですか、国務ですか?
[ワシントン] 重責を押しつけているとは分かっている・・・
[ハミルトン] 財務ですか、国務ですか?
[ワシントン] これまで知っている世界を後にしてだ・・・
[ハミルトン] サー、私に担当させたいのは、財務局ですか、国務局ですか?
[ワシントン] 財務だ。
[ハミルトン] じゃあやっちゃいますよー。

ここオリジナル・キャスト・アルバムで聴くと面白いです。ワシントン閣下も大統領就任ということで自分に酔ってる感じで、ハミルトンにいつもの通り(?)訓示を垂れようとするのですが、ハミルトンは「財務、国務、どっち? どっち?」ってまったく聞いてない(笑)。さすがにワシントンもそれに気づいて、お話が尻切れトンボに。後で思い出すとあいつ、ほんとに話聞かねえなあと腹を立てるところかもしれませんが、逆にここではワシントンはあっけにとられている感じですね。

一見さらなる上昇を続けていくかに見えるハミルトン。ですが、このあたりから、その必死さにはここまでには見られなかったような危うさも漂い始めます。いちばん不安にさせられるのが、イライザとのやりとり。

[Eliza] Alexander...
[Hamilton] I have to leave.
[Eliza] Alexander...
[Hamilton] Look around, look around at how lucky we are to be alive right now. [Eliza] Helpless.
[Alexander] They are asking me to lead.
[Eliza] Look around, isn't this enough.
[Angelica] He'll never be satisfied. 
[イライザ] アレグザンダー・・・
[ハミルトン] 出かけないと。
[イライザ] アレグザンダー・・・
[ハミルトン] あたりを見回してごらん、ほら、私たちが今生きているっていうのは幸運なことだよ。
[イライザ] 救いようがないわ。
[アレグザンダー] みんながリーダーになってくれって言うんだ。
[イライザ] 身の周りを見てよ、これで十分でしょう?
[アンジェリカ] あの人は絶対に満足しない人よ。

ほんの少し前、"22. Dear Theodosia" で赤ん坊のフィリップに、「誓うよ、ずっとお前のそばに居るって」("I swear that I'll be around for you.")と言っていた気持ちはどこに行っちゃったんでしょう。しょうがねえなあ・・・。イライザは "Look around~"の自分の言葉をまったく違う意味で使われて、どんな気持ちでしょうね。"Helpless"という言葉が最初に出てきた時と違う意味になってしまいました。「リーダーになってくれ」("They are asking me to lead.")ってのはワシントンがみんなに言われたことで、いやいやいや、ハミルトン君、あなたはワシントンさんに頼まれただけでしょ! と、いろいろ突っ込まずにはいられない(笑)。

最後の部分はまさにリプリーズの嵐―まさに第一幕の総決算、そして第二幕に向けてオーディエンスを放り投げる勢い。ここで書いても伝わらないと思いますので、こちらのリリック動画の5:45ぐらいからを音声とともに、ぜひご覧ください。5層ぐらいのテーマが怒涛のように流れていきます。このリプリーズのつながりを逆にたどっていくと、この曲はいくつの曲とつながっているんでしょうね。それだけのテーマを抱え込んで、第二幕へ向かうわけです。

そして、リプリーズの嵐が合唱での「歴史がお前のことを見つめている」("History has its eyes on you")に収束して、締めでもまた "3. My Shot" からのリプリーズ。ダメ押しですね。

[HAMILTON] I am Alexander Hamilton! I am not throwin’ away my shot!
[ハミルトン] 俺はアレグザンダー・ハミルトンだ! チャンスは無駄にしないぜ。

というわけで、勢いを全開にして、第一幕終了。"21. What Comes Next?" と "22. Dear Theodosia" で一度緩めておいて、"23. Non-Stop" でもう一度アクセルを全開に踏み込む。『ハミルトン』の全体の構成のなかでも、よく出来た部分だと思います。

2017年3月24日金曜日

『ハミルトン』とブロードウェイ・ミュージカルの二重性

『ハミルトン』は全編がほぼ楽曲でつづられる "sung-through"ミュージカル。同じような試みとしては、このブログでもとりあげた『ジーザス・クライスト・スーパースター』や『レ・ミゼラブル』があります。どちらもヨーロッパ産のミュージカルです。ミュージカルでは普通、劇の部分と歌の部分があり、なじみのない人にとっては登場人物がとつぜん歌い始めて変だ、という印象をもちやすい。逆に、すっかり歌になっていたほうが入りやすいという意見もあるでしょう。上記のヨーロッパ産ミュージカルが日本でも人気なのはそのあたりに理由がありそう。

一方で、ブロードウェイ・ミュージカルを語るうえでは、台本(book)と歌(number)の関係をどうとらえるかが一つの焦点。『オクラホマ!』(1943)がミュージカルを完成させ、黄金時代の幕を開けたと言われますが、この作品が台本と歌という従来は分離しがちだった要素を一体化させる(integrated)に成功したから、という理由がよくあげられています。それ以前の音楽劇でも台本(物語)はあったけれども、スターの歌を聴かせる、踊りを見せるための言い訳、とりあえずあればいい程度のもの。歌が盛り上がって、それが劇場の外でも楽譜やレコードとして売れればよい、という考え方だった。そこから、アメリカの現実を反映した内実のあるあらすじを取り込む方向へ、『ショウボート』(1927)あたりから展開し始め、最終的には『オクラホマ!』で台本と歌が混然一体となった真のミュージカルが誕生した!というわけです。

ただし、「一体化」「混然一体」とうえで書いた状態が実際にどのようなものかは、まだまだ議論の対象のようです。Scott McMillin, The Musical as Drama (Princeton University Press, 2006)はミュージカル(特にブロードウェイ・ミュージカル)を独自の劇的仕掛けをもったジャンルとして分析した面白い本で、McMillinは「一体化」説に反対の立場をとっています。確かに『ショウボート』から『オクラホマ!』にかけて台本の改良が起こって、それがブロードウェイ・ミュージカルというアメリカ独自の表現につながった。しかし、実際の作品においては、台本と歌が一体にはならず、別々の働きをすることこそがブロードウェイ・ミュージカルの肝だ、というのです。台本があらすじへ先へ先へと進めること(progression)を担い、一方で歌が歌詞やメロディの繰り返し(repetition)で登場人物を別の次元(詩的(lyrical)な次元)へ移行させ、一時あらすじの進行を宙づりにする(suspension)。このギャップを用いて、通常の劇とは違う表現を達成するのがミュージカルだ、と。ミュージカルが苦手だという人の意見を要約すると、劇と歌が混じっていてそのつなぎ目が不自然ということになります。McMillinの見解では、その一種の不自然こそがブロードウェイ・ミュージカルの面白さなのだ、ということですね。そしてこうしたブロードウェイ・ミュージカルは、『ジーザス・クライスト・スーパースター』や他のアンドルー・ロイド・ウェーバーの作品とは、別の構造をもっている、とも述べています。

確かに、台本と歌の一体化を達成化したとされる1940年代~1950年代のミュージカルを見ていると、劇の中でこんなふうだなと解釈していた登場人物が歌においてはとつぜん別のレベルで語り始めるということがある気がします。たとえば、『南太平洋』(1949)の"You’ve Got To Be Carefully Taught"という歌は、作品後半に主人公のひとり、アメリカ軍若手将校ジョゼフ・ケーブルが歌います。それまでの展開でも異人種間の交流と差別というのが描かれているのですが、ここでケーブルは恋仲になった島の女性との結婚を拒んだ自身の差別意識が、アメリカ合衆国において社会的に教え込まれたものである、との認識を述べます。それまでの展開では、南太平洋の異国情緒がステレオタイプ的に描かれ、アメリカ社会についての客観的な思想などはまったく感じられないのですが、ここで急に大きなテーマが差しはさまれる、そのギャップがすごい。また、ギャップが違和感を与えるものの、それが失敗ではなく、歌とテーマのインパクトにつながり、また作品全体の価値に大きく貢献しているのも大事なポイント。ミュージカルの劇と歌のギャップが変だなと思うのはある意味正しいわけですね。最終的には、そこから面白みを味わえるかどうか、ですね。

『ハミルトン』はどうかと言うと、最初に書いたようにいちおう "sung-through"であるものの、歌メインとラップ・メインの曲、一曲のなかでも歌とラップの部分、ラップでも独白と会話の部分、というように、様々なギャップを見て取ることができそうです。ヒップホップを導入することによって、『レ・ミゼラブル』などではちょっと感じられてしまう"sung-through"の単調さを回避できているのではないか? また、実際にはさまざまなギャップが仕組まれていながら、それをあまり意識せずに視聴できるようになっているのでは、と思います。このブログではすでに何度か書いていますが、『ハミルトン』はヨーロッパ産ミュージカルの魅力も取り入れながら、ブロードウェイ・ミュージカルの王道を保っていると思うんですよね。

"22. Dear Theodosia" やジョージ王の3曲などについてよく考えてみると、Millinのいう宙づり(suspension)がうまく機能しているなと感じられます。第一幕はアメリカ独立革命の急激な変化を描いているわけで、まさに "non-stop" な進行(progression)のなかに劇全体がある。そのなかで、登場人物たちは一方向に、不可避的にどんどんと流されていきます。ただし、それだけでは作品に深みがでないし、第二幕の終わりまでオーディエンスの興味を惹きつけることはできない。"22. Dear Theodosia" は美しいメロディとリフレインの反復によって、バーとハミルトンの二人に、アメリカ独立革命とそれ以降の国作りというあらすじの進行とはべつの時間(それは初めての子供とともに過ごす彼らにとってのかけがえない時間でもあります)を生きさせ、オーディエンスに物語の進行とは別の領域での登場人物とのつながりを作り出します。"23. Non-Stop" からは二人はもとの二人、イケイケのハミルトンと慎重派のバーに戻ってしまいますけど、オーディエンスは彼らがそうしたあらすじで割り当てられた役割・アイデンティティとはある意味相容れないような心をもっていること、そしてその心を最後に決闘に至ってしまう二人が共有していた瞬間があること(彼ら自身はそれを知ることはないですが)を忘れないでしょう。そして、歌によってつくられた登場人物たちとの一体性が、第二幕へと深い意味で私たちを誘うことになります。

他にも、台本と歌のギャップからは、ミュージカルにおける興味深い仕組みを理解する鍵を見つけられそうです。『ハミルトン』についてはラップが入ることで、より微妙な操作が可能になっているのではないかなあ。そういえば、"10. Helpless" などでは一曲に時間が凝縮されていて出会いから結婚まで駆け抜けてしまったりしますよね。あれも普通の劇だと実験的になってしまいそうだし、ミュージカルでもあまり見たことがないような・・・。それが自然に思えてしまう、というのは、『ハミルトン』は楽しむのにはとくに何も悩まなくても楽しめてしまうのですけど、分析していくとあらゆる箇所に精妙な仕掛けが見えてきそうな気がします。


2017年3月22日水曜日

"22. Dear Theodosia" from Hamilton: An American Musical

第一幕、"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"までが勢いのよい急上昇だとしたら、この "22. Dear Theodosia" は放物線の頂点にまで達して、一瞬だけふわりと浮かんで止まったように見える瞬間でしょうか。あるいは、嵐と嵐のあいだの凪の時間。作品中でいちばん混じりけなしの幸福がハミルトンとバーの二人を訪れます。

<あらすじ>
戦いが終わってバーとハミルトンは帰宅。生まれたばかりの第一子に向けて、安全で自由に活躍できる国をつくる決意を語る。

ステージ上はバーとハミルトンのみ。二人は観客のほうを向き、椅子を前に少し離れて立っている。そして、バーが歌い始めます。

[Burr] Dear Theodosia, what to say to you? You have my eyes, you have your mother’s name. When you came into the world, you cried and it broke my heart.
[バー] 親愛なるシオドゥジア、何を語りかければいいんだろう? 俺の目をしてるな、母さんと同じ名前だ。世界に生まれてくるときお前は泣き声をあげた、そのとき俺の心は粉々になっちゃったよ。

ここはちょっと混乱するところかもしれません。シオドゥジアはバーの不倫相手、イギリス軍の将校の奥さんじゃなかったの? え、子供の名前なの? ややこしいことに、そのイギリス軍将校の旦那様が亡くなって、バーと結婚した女性もシオドゥジア、その二人のあいだに生まれた娘もシオドゥジアです。ご存じのとおり、男性が父親の名前を受け継ぐことはヨーロッパやアメリカでは普通のことですが、女性が母親の名前を継ぐことはまずない。シオドゥジア母はバーよりも10歳年上の女性で、バーは彼女を深く尊敬していたようで、娘にも彼女の名前を、と付けたそうです。

[Burr] I’m dedicating every day to you. Domestic life was never quite my style. When you smile, you knock me out, I fall apart. And I thought I was so smart.
[バー] これからの毎日をお前に捧げていくよ。家庭的な生き方なんてのは俺のスタイルじゃなかったのにな。お前が笑うたびに、ぶん殴られたみたいに、すっかりやられちゃうよ。なのに、自分は利口なやつだなんて思い込んたなんてな。

"fall apart"は辞書を引いてもよい意味がなかなか出てきませんが、ミュージカルについての本を読んでいると、感動的なシーンがあってそのシーンになるたびに観客が "fall apart"するという表現が出てきました。意表をつかれて、予想できないインパクトを受けるということでしょうね。もちろん、よい意味で。

[Burr] You will come of age with our young nation. We'll bleed and fight for you, we'll make it right for you. If we lay a strong enough foundation, we'll pass it on to you, we'll give the world to you. And you'll blow us all away, some day, some day.
[バー] 生れたばばかりの俺たちの国と一緒に、お前は大人になっていく。お前たちのために俺たちは血を流し戦うさ、お前たちにぴったりの国にするためにね。じゅうぶんに安定した基礎が築けたら、お前たちにそれを残していこう、ひとつの世界を送るってことだ。そうすれば俺たちを心底驚かしてくれるだろうな、いつの日にか、いつの日にかね。

ここでバーは椅子に座り、ハミルトンが歌い始めます。

[Hamilton] Oh Philip, when you smile I am undone. My son. Look at my son. Pride is not the word I’m looking for. There is so much more inside me now
[ハミルトン] ああ、フィリップ、お前が笑うと力が抜けちまうよ。俺の息子だぞ。見てくれよ。プライドなんて言葉じゃ言い表せないな。俺の心はもっとたくさんの感情でいっぱいなんだ。

ハミルトンの息子はお祖父ちゃんのフィリップ・スカイラーの名前をもらったんですね。性別の違いはありますが、バーとハミルトンが子供に向けての同じ感情を共有しています。そして過去の共通点も相まって、二人の合唱へ移っていきます。

[Hamilton] My father wasn't around.
[Burr] My father wasn't around.
[Hamilton] I swear that
[Hamilton/Burr] I'll be around for you.
[Hamilton] I'll do whatever it takes.
[Burr] I'll make a million mistakes.
[Hamilton/Burr] I'll make the world safe and sound for you.
[ハミルトン] 俺の父さんはそばに居てくれなかった。
[バー] 俺の父さんはそばに居てくれなかった。
[ハミルトン] 誓うよ、
[ハミルトン/バー] ずっとお前のそばに居るって。
[ハミルトン] そのためには何だってするさ。
[バー] 間違いも山ほどおかすだろうがね。
[ハミルトン/バー] お前たちのために世界を心配のいらない安全な場所にするよ。

途中でハミルトンも椅子に座り、同じ前かがみの姿勢で語りかけるように歌うハミルトンとバー。二人の前にいるのは観客。語りかけられているのはアメリカ合衆国の未来を生きている観客ひとりひとりなのかもしれません。最後の「世界を心配のいらない安全な場所にする」というのが果たされているのかどうか。フィリップとシオドゥジアに関していえば、第二幕で描かれるようにどうもそうはならなかったようで、それを考えると余計に胸をつかれるところではあります。そして本格的に声を合わせた合唱へ。

[Hamilton/Burr] You will come of age with our young nation. We'll bleed and fight for you, we'll make it right for you. If we lay a strong enough foundation, we'll pass it on to you, we'll give the world to you. And you'll blow us all away, some day, some day. Yeah, you'll blow us all away, some day, some day.
[ハミルトン/バー] 生れたばばかりの俺たちの国と一緒に、お前は大人になっていく。お前たちのために俺たちは血を流し戦うさ、お前たちにぴったりの国にするためにね。じゅうぶんに安定した基礎が築けたら、お前たちにそれを残していこう、ひとつの世界を送るってことだ。そうすれば俺たちを心底驚かしてくれるだろうな、いつの日にか、いつの日にか。そうさ、心底驚かしてくれるだろうな、いつの日にか、いつの日にかね。

未来への希望に満ちて、幸福度・調和でいちばんの頂点を迎えた二人。家族にとっての幸福と国家建設という公の仕事が一致している(ように見える)のもポイントです。ステージ上、二人だけなのに、お互いに目を合わせることがない(もちろん、それぞれの家にいるという設定なので当然なのですが)のも、子供世代に同じことを願いながら、お互いに通じ合えない二人の関係を示して、どうにも切ないですね。

さて、始めに書いたようにここが放物線の頂点。ということは、少しずつ落下が始まっていくわけです。その前に、第一幕の総決算となる "23. Non-Stop"というわけなんですが、どうやらその前に重要なシーンがあって・・・。

以下はspoiler(ネタバレ)ですので、観たくない人はすぐに次の記事に移ってくださいね。

  *

オリジナル・キャスト・アルバムでは、"22. Dear Theodosia" と "23.Non-Stop" が直でつながるのですが、ここにちょっと違和感あると言えばある。家庭も大事にするよと誓った後に、ハミルトンのワーカホリックが全開になって家族が置いてけぼりになるので、そんなんでいいのかよ、と思ってしまいそう。

ところが劇場では、この二曲の間に1シーンあり、タイトルもついています。"22.5. Tomorrow There Will Be More Of Us”(22.5は仮につけたので、忘れてください)―Hamilton: An Revolution参照。曲としては “The Story of Tonight” の二度目のリプリーズ。歌詞は最初のヴァージョンそのままで、舞台右手に立ったローレンズによって歌われます。ただし、ちょっと様子がおかしい。画面真ん中では、机について仕事をしているハミルトンにイライザが手紙をもってやってきます。ハミルトンはどうせローレンズからだろ、後から読むから置いといてよ、と仕事を続けようとしますが、それはローレンズからではなくその父からの手紙。それも、ローレンズが戦争終結後のごたごたの中で撃ち殺されたという知らせ。その間じゅう、舞台右手で歌っているローレンズはじつはすでに死んでいたのでした。いちばんの親友の死に絶句するハミルトン、そして・・・。

Hamilton: A Revolutionで、ミランダはこのシーンをOBCアルバムに入れなかった理由を、1.歌というよりは短いシーンだから、2.劇場にくる人に驚きを残したいから、と二つあげています。ここは物語の中での一番のターニング・ポイント。ここまで仕事も家庭もいっしょくたで、多少のあつれきはあっても順風満帆だったハミルトンの人生が、戦争時代から平時へと移っていくなかで問題を露呈していく。その変わり目を象徴する箇所なわけで、2の理由からの省略はとりわけ効果的ですね。アルバムを聞きこんだ人も、ここでもう一歩深く作品に入り込むことになる。個人的には、『ハミルトン』中でこの場面がいちばん「泣ける」のですね。

2017年3月21日火曜日

『ハミルトン』と『レ・ミゼラブル』―英雄か理念か

"5. The Schuyler Sisters" でアンジェリカが読んでいると言っていたトーマス・ペイン『コモン・センス』。アメリカの独立は人類の歴史上の必然であることを説いて、アメリカ独立においてワシントンの軍事的貢献に劣らないほどの力を発揮したといわれる文書です。「アメリカの主張はほとんど全人類の主張である。これまでに多くの事件が生じたが、これから先も生じることだろう。それは一地方の事件ではなく、世界的な事件である。すべての人類愛に燃える者がこの事件に関心を抱き、温かい目でその成り行きを見つめている。」(「はしがき」、引用は小松春雄訳の岩波文庫版より)あたりの力の入り具合は、『ハミルトン』のワシントン将軍の "History has its eyes on you." というセリフとかぶる、というか、元ネタのように見えます。

ただし、ペインの考え方は以降のアメリカ合衆国の展開、また『ハミルトン』の世界とはちょっとズレているようです。「はしがき」への新版での追記で、「このパンフレットの筆者がだれであるかは、読者には知る必要が全くない。注目すべきは主張そのものであって、筆者ではないからだ。」(小松訳では、「主張そのもの」と「筆者」に傍点)とペインは述べていて、自分の名前を伴った "legacy" にこだわるハミルトンの姿勢は、ペインにとっては嫌悪するべきものだったかもしれません。イギリスの労働者だったペインは、1774年にベンジャミン・フランクリンの薦めと援助でアメリカに渡り、言論活動と兵士としての戦争参加で独立革命に貢献、資金援助を求めるためにジョン・ローレンズ(ラファイエットではなく)に付き添ってフランスに渡ったりもしています。しかし、1787年にはヨーロッパに戻って、1789年から始まるフランス革命の熱烈な支持者となって、1793年には革命政府の内紛に巻き込まれて逮捕・・・。ハミルトンとはまた別の波乱万丈の人生を通して、その姿勢は「理念」を一番において平等を追及することで一貫していた。ハミルトンなどから見ると、無政府主義(アナーキズム)に近づくという意味で煙たい存在だったでしょう。ジョージ三世が "21. What Comes Next?"で歌っているように、ハミルトンらの時代にはアメリカが安定した社会を作れるかどうかは未知数だったわけですから。

実際、フランス革命は権力を握ったものが理念を盾にしながら政敵を粛清、血で血を洗う凄惨なものとなっていきます。そして、フランスにおける人民の自由・平等をめざす闘争は、1799年からのナポレオンによる帝政や、1814年のブルボン王朝による王制復古、1830年の七月革命、ウィーン体制崩壊による1848年革命、1852年からのルイ・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオンの孫)の第二帝政を経て、現在の民主制へとつながる体制ができるのはようやく1870年の第三共和制になってから(これ以降も、パリ・コミューンなど民衆運動は続きます)。この100年近い紆余曲折は、アメリカが幸運にも、ある意味一度で「革命」を仕上げ、1860年代の南北戦争を除いては大きな動乱を経験せずに済んだのと好対照といってよいでしょう。

さてミュージカルの世界で、このフランスの状況を描いているのが『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)。フランス版初演は1980年ですが、私たちが観る機会が多いのは1985年初演の英語版でしょう。英語圏では、Les Miz(レイ・ミズ)と略されて呼ばれるほど親しまれている人気ミュージカル。原作はフランスのロマン主義の大作家・詩人ヴィクトル・ユーゴーの世界的傑作小説。1832年に起こった「6月暴動」を中心的モチーフとしています。「6月暴動」は民衆に同情的だと見られていた人気政治家ラマルク将軍の死去をきっかけに、パリで不満をもっていた労働者と学生が中心に武装蜂起した事件。上の歴史的過程では記さなかったように、歴史的には大事件にはほど遠いようですが、事件に同情的だったユーゴーがとり上げたことで広く知られるようになった。(ちなみにこの事件の際、すでに老年に入ったマルキ・ド・ラファイエットが現場にいたらしく、混乱を収めようと群衆に呼びかけたそうです。色んなところに顔を出す面白い人ですね。)というわけで、『レ・ミゼラブル』はみじめに失敗した疑似革命の話。『ジーザス・クライスト・スーパースター』と並び、全編歌でつづられる "sung through musical" として、『ハミルトン』に影響を与えたと考えられる作品で、同じく革命をとり上げているわけですが、一方は革命成功、もう一方は失敗というのが面白いところ。

また、『レイ・ミズ』と『ハミルトン』の違いは、アメリカとヨーロッパにおける個人と歴史の関係についての考え方の違いを表しているのではないか、と考えても面白いのではないかと思います。『ハミルトン』の世界は徹底して現世的・世俗的な原理に基づいています。アレグザンダー・ハミルトンの業績が個人のものとして後の世に語り継がれるか否か、そこには一種の英雄主義があって、アメリカ以外で『ハミルトン』が大成功しないとしたらここが一因になりそう。一方、すでに日本を含め世界的にヒットしている『レ・ミゼラブル』の世界では歴史の過程はほとんど不可抗力で、革命(正確には暴動レベルですが)への参加者は無名の民衆の正義という「理念」を頼りに命を懸けて散っていく。さすがにそれだけだと物語がもたないので、更生した元犯罪者ジャン・ヴァルジャンと彼を執拗に追い続ける警視総監ジャヴェールの対立というラインが置かれています(物語としては1815年を起点とするこちらがメイン)。最終的にはこの二人の対立は、宗教的レベルの許しや個人の内面において測られる善悪の問題として作品の結末を導いていきます。オーディエンスにとっては、革命の試みの政治的な敗北が個人的で宗教的な達成によって救われる、というかたちでカタルシスに導かれるわけです。こうした『レ・ミゼラブル』の世界を眺めてから『ハミルトン』の外面的な世俗性を見てみると、不確定な人間の歴史にどうしてそれほど重きを置けるのか、個人の業績にどうしてそれほどこだわるのか、少し不思議に見えてきます。これは「アメリカ的」としか言いようがない傾向なのではないか、とも。まあ、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールにも、何も死なんでええがな、と言いたいですけどね(笑)。

2010年にロンドンで行われた『レ・ミゼラブル』の25周年アリーナ講演(DVD/BDが入手可能)では、ヒロイン・コゼットの母フォンティン役をレア・サロンガ10周年記念コンサート(1995)ではコゼットに憧れの人を奪われてしまうエポニーヌですね)、ジャヴェール役はアフリカ系のノーム・ルイス(Norm Lewis)が演じています。シェイクスピア劇を見ても、カラー・ブラインド・キャスティングはヨーロッパのほうがアメリカよりも先行しているかなという感じ。『ハミルトン』の場合はカラー・インヴァ―ティッド(反転)・キャスティングって感じですしね。歴史にしろ、人種の取り扱いにしろ、ヨーロッパとアメリカではずいぶん違いがあるという事実を、二作品を比べてみると考えさせられます。トーマス・ペインが観たとしたら、さて、どちらのミュージカルを気に入るんでしょうね?

”21. What Comes Next" from Hamilton: An American Musical

イギリス国王ジョージ3世、再登場です。『ハミルトン』ではジョージ王の歌はいわゆる "show stopper"で、オーディエンスが大湧きに湧くわけですけれども、作品の展開上も不可欠なストッパーとして働いています。つまり、勢いで突き進むアメリカ人たち(そしてオーディエンスたち)に対して冷や水をぶっかけて、作品の進行上必要なタメをつくる、という意味で。”21. What Comes Next"という曲タイトルそのものが、全曲 "20. Yorktown (The World Turned Upside Down"で独立に熱狂していたアメリカ人に対しての冷や水、いや、それ以上の氷水になっています。

<あらすじ>
イギリス議会の反対で戦争続行が不可能になり、悔しがるジョージ3世。悔しがりながらも冷静に、去っていった「恋人」アメリカに対して、国作りをしていくこれからのほうが大変なんじゃないの、と問いかける。

曲は、"7. You''ll Be Back"のリプリーズ。歌詞を訳すと、以下のとおり。

みんながさあ、
ぼくの戦争は高くつきすぎるから支払いをしたくなっていうんだよね。
もうムチャクチャ!
君がフランス人と浮気したせいで、フランスと、それにスペインとまで
戦うはめになったじゃん。
すっかりブルーな気分だわ。
でもさ、もう別れちゃったていっても、ちょっと質問させてもらいたいんだよね、で

次、どうなるの?
自由になったんだねえ。
みんなを引っ張っていくのがどんなに大変か理解してる?
 一人立ちですってねえ。
あらまあ、ステキー!って、
これからどうなるのかちょっとは分かってんの?

大洋が盛りあがり、
帝国は没落する。
全部じぶんで決めないとだめってたいへんだよー。

ひとりぼっちで、海の向こう側、
大嫌いって国民から言われたりしても、
ぼくのところに這い戻ってきたりしないでよね。

ひとりぼっちだね、君。

世界の最強国となった20世紀以降のアメリカ合衆国を知っている、また民主主義がスタンダードとして考えられるようになった世界に生きている私たちとしては、18世紀末の状況はなかなか理解できないものです。 "20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"でハミルトンが言っているように、「アメリカの実験」("the American experiment")はまだ始まったばかりで、その成否を知るものは誰もいない段階。さて、これからどうなることやら。

アメリカ合衆国は歴史の短い新しい国だ、というイメージがあるかもしれませんが、じつは最古の立憲共和政国家、現存の政治制度をいちばん長く続けている国で、その意味では、まともな民主主義(?)を20世紀中盤に手に入れた日本などと比べて、とても長い歴史があるといってもよいですよね。ミッシェル・オバマさんがトニー賞授賞式のパフォーマンス紹介で、「アメリカは私たち国民が作り上げるのです、私たちがこの国と同じように、ヤング、スクラッピー&ハングリーでありつづける限り。」("America is what we, the people, make of it, as long as we stay just like our country, young, scrappy, and hungry.")と言っていました。アメリカ国民以外としては、いつまで "young" なつもりなの?、"hungry" もほどほどにしてちょっと大人になったら?、さすがに ケンカ早いという意味もある"scrappy"はもう卒業でしょう?(正直ちょっと迷惑だよ、言いにくいけど・・・)という気もするところでもありますね。『ハミルトン』は本当に若かった頃のアメリカを描いて現在のアメリカ国民を熱狂させたわけですが、作品のすばらしさとは別に、社会現象としてはいろいろ考えさせられる気がします。

2017年3月20日月曜日

『ハミルトン』と『モアナと伝説の海』

"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"のあと、何を書いたものかなと思案。いちおう、ここまでだいたいは前記事の曲に関連したことを書いてきたのですが、ちょっと変化球で・・・。

公開されたばかりの『モアナと伝説の海』(原題 Moana)を観てきました。リン‐マヌエル・ミランダが楽曲づくりと歌・ラップで参加しています。『ハミルトン』がらみで観にいく日本人は少なそうですけどね。

感想を結論から書くと、とてもよかったです。ディズニー・アニメの表現としても、今までとくらべても一段階レベルが上がっているのではないかな。人物や水の動きが自然でふとした瞬間に実写かと思わされてしまいます。しっかり重力やら空気圧やらの物理的力が働いているように感じられるのですね。アニメとしての表現も十二分に活かしているし、映像表現だけでも観にいく価値があるでしょう。

もう一点、物語内容に入る前に書いておくと、ポリネシア文化につての調査も行き届いています。アメリカの映画はマイノリティ文化だとか、他地域の文化についてはぞんざいに描くことが多くて、うんざりさせられるのはほぼ毎度のことなのはご承知のとおり。『モアナ』でもそうした問題はまったくゼロにはなりませんが(「マウイのスキン・スーツ事件」とか・・・)、これまでと比べると格段に改善されています。もちろんポリネシア人からすると色々言いたいことはあるでしょうが(実際批判はあるのですが)、多少調べた者からすると、20世紀後半からのポリネシア文化の再興―ポリネシア式航海術やタトゥー―の動きもちゃんと反映されていて、これであんまり文句言うのもなあという印象。

というわけで、ポリネシアの島の少女と、マウイという半人半神のポリネシア神話では最重要のキャラクターが主人公。近年のディズニー映画の女の子キャラの中でも特に、男性関係なしで不自然ではない女性の活躍が見られるので、おすすめです。まあ、日本人としては、Studio G のアニメと似ているところがあるのが、ちょっと気になるかもしれません。とくに最後のシーン。『アナと雪の女王』のようにはヒットしないのだろうな。個人的にはこちらのほうがずっと好きですが。

で(お話の内容はほどほどに)、ミランダの楽曲について。まず、『ハミルトン』がヒットしたからミランダを引っ張りこんだんでしょーと思ってしまいそうですが、『モアナ~』の話は『ハミルトン』旋風より前から決まっていたそうです。まあ、『イン・ザ・ハイツ』ですでに成功しているわけですが、こんなことになるとは、ディズニー関係者も想像できなかったでしょう。音楽については、ミランダ以外に2人の名前がクレジットされています。まず、マーク・マンシーナ。この方はディズニー映画以外にもたくさん映画音楽を手掛けているベテラン(変わったところだと、日本アニメの『BLOOD+』なんかも手掛けていますね)。もう一人は、オペタイア・フォアイ(Opetaia Foa'i)。1997年にトケラウ、ツヴァル、サモア、クック諸島、ニュージーランドからのメンバーで結成され現在も活躍するオセアニア音楽バンド Te Vaka のリーダー。『モアナ~』では全体の音楽はマンシーナが担当して、歌のパートは2人か3人で協力して書いている。こちらでフォアイによる "We Know The Way" の演奏が聴けます。

Opetaia Foa'i Sings "We Know The Way" At Moana UK Premiere

曲紹介のところで、「友だちのリン‐マヌエル・ミランダと書いた曲だよ」と言っていますね。映画では、この部分はミランダが歌っています。「無垢な勇者」と日本語では訳されている "Loimata e Maligi" (日本版CDの二曲目)は 、Te Vakaのアルバム Nukukehe (2002)の同名曲がそのまま使われていますね。きれいな曲です。

ただ、映画の中でミランダらしさがもっと出ていたのは別のところでした。マウイが歌う "You're Welcome"。ビデオでは1:40ぐらいからラップに入ります。マウイが自分の業績(legacy)を自慢していくのですが、"welcome"から、"Well, come to think of it.."と切り替える言葉遊びは、ミランダらしいなあと思わされるところ。映画最後にかかるリプライズで、ミランダ自身によるラップが聴けます。ヤシガニの怪物タマトアが歌う "Shiny" の遊びごころもミランダらしいかな。そういえば、マウイ役がドウェイン・ジョンソン(Dwayne Johnson)なことに気付いてびっくり。といっても分からない人には分からないでしょうが、WWEのトッププロレスラーだった The Rock というと日本でも知っている人が多いはず。うーん、歌もラップも超うまいんですけど。なぜマウイが The Rockかというと、お母さんがサモア系なんですね。知らなかった。ジョンソンとミランダが遊びで作ったらしいビデオがこちら―mockumentaryだそうなので、真面目にとらないように。

ところで、ネットで『モアナ~』の曲を検索していると、映画でも日本で発売されたCD(英語版)にも入っていない曲(例えば、モアナがお父さんから戦い方を教わっているシーンらしい "Warrior Face"ーこの曲についてのミランダの解説がこちらの5:50ぐらいから)がヒットします。どうやらアメリカで発売されているCDには1枚組と2枚組の二通りがあって、2枚組のほうには映画版では使われなかった曲のデモテイクが入ってるんですね。歌詞の内容的に面白い曲(マウイを3人称で描いたミランダのラップがたっぷり聴ける”Unstoppable"とか)もあるのですけど、日本からだとiTunesでも日本発売版しかダウンロードできないみたい。さすが大資本ディズニーですね、商いが細かい! アマゾンだと2枚組もCDで買えるけど、けっこう高いな、どうしようかなあ。YouTubeで聴けるしなあ・・・。うーん、DVDが出るときにいろいろ特典がついて、ミランダのレコーディング風景とかも入るとうれしいですね(こっちでちょっと見れますね)、『ハミルトン』映画版はずいぶん先のことになりそうですし。

あと、歌い手として、クリストファー・ジャクソン(『ハミルトン』のワシントン役オリジナル・キャスト)が参加していますね。主人公モアナのお父さん役の歌のところ。物語のなかの声は別の人です。『ハミルトン』のワシントンもお父さんっぽいキャラクターですが、「ジャクソン=お父さん」というイメージで脳内定着していいでしょうかね?

というわけで(?)、『ハミルトン』を知らなくても十分楽しめる、『ハミルトン』を知っていればもっと楽しめるかも知れないディズニー映画『モアナと伝説の海』のお話でした。

2017年3月19日日曜日

"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)" from Hamilton: An American Musical

第一幕のクライマックス、アメリカ独立を決定づけたヨークタウンの戦い。いちばんストレートに盛り上がる曲。トニー賞でとりあげられた曲で、このパフォーマンスから『ハミルトン』の世界へ足を踏み入れることになった人が多いのではないでしょうか。とくに、盛り上がり最高潮のところへ飛び出してくるオーク・オナオドワン演じるハーキュリーズ・マリガン! そして、"Immigrants, we get the job done."の決めゼリフ。盛り上がり必至の曲、"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"。

<あらすじ>
最終決戦に臨むハミルトンら。ハミルトンとラファイエットは「仕事を仕上げるのは俺たち移民だ」と気勢をあげる。そして戦闘開始、それぞれの持ち場で活躍するローレンズ、マリガンたち。一週間の戦いののち、ついにイギリス軍が降伏。アメリカ独立革命における戦闘は終結に向かう・・・。

冒頭、『ハミルトン』から引用された回数がいちばん多いであろうラインが登場します。

[COMPANY] The battle of Yorktown. 1781
[LAFAYETTE] Monsieur Hamilton!
[HAMILTON] Monsieur Lafayette!
[LAFAYETTE] In command where you belong
[HAMILTON] How you say, no sweat. We're finally on the field. We’ve had quite a run
[Lafayette] Immigrants,
[全員] ヨークタウンの戦い。1781年。
[ラファイエット] ムッシュー・ハミルトン!
[ハミルトン] ムッシュー・ラファイエット!
[ラファイエット] 指揮官とは適材適所だね。
[ハミルトン] 何ていうか、楽勝でしょ。ようやく俺たち二人で戦場に立ったわけだ。多少は頑張っちゃったかね。
[ラファイエット] 移民、
[ハミルトン/ラファイエット] 仕事を仕上げるのは俺たち移民だ。 

この最後の台詞があまりにウケて後に拍手が鳴り止まないので、4拍の休みをとることにしたそうですが、休むと拍手を逆にあおっているみたいになって微妙なので、最終的には2拍の休みになったそうで。トランプ大統領候補の登場でさらにこの台詞がフィーチャーされていましたね。

[Hamilton] So what happens if we win?
[Lafayette] I'll go back to France. I bring freedon to my people if I'm given the chance.
[Hamilton] We'll be with you when you do.
[ハミルトン] で、勝ったらどうする?
[ラファイエット] 俺はフランスに帰るよ。チャンスがあったら自分のとこの国民のためにも自由を勝ち取るさ。
[ハミルトン] そのときは俺たちも一緒に戦うぜ。

この部分は後の展開("30. Cabinet Battle #2")を知っていると微妙な気分になるところ。すぐに帰っちゃうラファイエットは「移民」なのかなあ?という気もしないわけではないですね。盛り上がりに水を差してすみませんが。

ここから"3. My Shot"のリプリーズに。

[Hamilton] I imagine death so much it feels more like a memory. This is where it gets me: on my feet, the enemy ahead of me. If this is the end of me, at least I have a friend with me. Weapon in my hand, a command, and my men with me. Then I remember my Eliza’s expecting me. Not only that, my Eliza’s expecting. We gotta go, gotta get the job done. Gotta start a new nation, gotta meet my son!
[ハミルトン] 死ぬことを考えすぎて、死を思い出の中のことみたいに感じるんだ。そうしてたどり着いたのがここさ。自分の足で立って、敵を目の前にしてる。これが俺の最後だとしても、友だちが一緒にいてくれるわけだ。手には武器もあり、指揮権も、従う兵士たちもいる。そうだ、イライザが俺を待ってる。それだけじゃない、俺のイライザのお腹には子供がいるんだ。進んで、仕事を仕上げるんだ。新しい国を立ち上げて、息子に会うんだ!

この部分は、ハミルトンの人生がすべての要素をいっしょくたに飲み込みながら、仕事の成功、友人との信頼関係、家庭での幸福、国の誕生すべてが一体となって実現へと向かっていく。テーマが詰め込んでありますね。この "I imagine ~"のリプリーズはもう一度、第二幕の最後で登場します。

ここから本格的な戦闘シーンに。ハミルトンの奇策、

[Hamilton] Take the bullets out your gun.
[ハミルトン] それぞれ銃から弾を抜きとれ。

はちょっと分かりにくいかもしれませんが、敵に忍び寄って一気に決戦に持ち込む狙いなので、うっかりとかビビって弾を撃つやつがいないようにと万全を期しての命令。しかし命がけですね。そして三人組はそれぞれ自分の持ち場で奮闘。

[Hamilton] And so the American experiment begins
With my friends all scattered to the winds
Laurens is in South Carolina, redefining brav’ry
[Hamilton/Laurens] We'll never be free until we end slav'ry!
[ハミルトン] こうしてアメリカの実験が始まる、
俺の友だちは風の向くままに散っていき、
ローレンズはサウス・カロライナで、勇敢さの定義を更新中、
[ハミルトン/ローレンズ] 奴隷制を廃止するまで俺たちも自由じゃないぞ!

ローレンズは南部サウス・カロライナ出身、大農園主・奴隷所有者の息子です。しかしヨーロッパに行ったときに徹底した奴隷制廃止論者になり、ここでは黒人奴隷を兵士としてリクルートすることで自由への道を切り開こうとしているところ(戦争で戦った自由を、というのは現在からするとちょっと・・・な考え方ですが、時代が時代ですからね。ちなみに第二次世界大戦中の日系人も同じような体験をしています―ミュージカル Allegiance (2012)を参照。ローレンズは同じような出自のワシントン将軍の一番のお気に入りだったそうです、しかし・・・、おっとネタバレは避けて次へ。

ラファイエットはというと、

[HAMILTON] When we finally drive the British away, Lafayette is there waiting—
[HAMILTON/LAFAYETTE] In Chesapeake Bay!
[ハミルトン] イギリス軍をようやく追っ払うことができたら、ラファイエットが待っているぞ、
[ハミルトン/ラファイエット] チェサピーク湾で!

フランスに行ったと思ったら、あっという間に戻ってきて、それから海のフランス海軍と合流・・・目まぐるしいですね。このとき、たまたまカリブ海あたりで余っていたフランス海軍の戦艦があまっていたので、お手伝いしてもらったそう。アメリカ独立は歴史的な流れではあったんでしょうが、いろいろ僥倖も重なって達成されていきます。

さて、お待ちかねのマリガン登場。

[HAMILTON] How did we know that this plan would work? We had a spy on the inside. That’s right
[HAMILTON/COMPANY] Hercules Mulligan!
[MULLIGAN] A tailor spyin’ on the British government! I take their measurements, information and then I smuggle it
[COMPANY] Up
[MULLIGAN] To my brother's revolutionary covenant. I’m runnin’ with the Sons of Liberty and I am lovin’ it![Mulligan] See, that's what happens when you up against ruffians. We in the shit now, somebody's gotta shovel it! Hercules Mulligan, I need no introduction. When you knock me down, I get the fuck back up again!
[ハミルトン] なんでこの計画が上手くいくって分かったかって?敵陣にスパイがいたのさ。そうご存知、
[ハミルトン/全員] ハーキュリーズ・マリガン!
[マリガン] イギリス政府をスパイする洋服仕立て屋。あれこれ探って情報を入手、そいつを密輸するのさ。
[全員] きっちり
[マリガン] ブラザーたちの革命盟約に則って、「自由の息子」の一員として奔走する、こりゃたまらんね! ほら、荒くれどもとやり合ったらどうなるか分かったろ。糞にはまってるんだ、糞汲み係がいるよな! それが俺ハーキュリーズ・マリガンさ、紹介なんていらんぜ。殴り倒されても、屁でもねえ、また起き上がるまでさ!

「自由の息子 the Sons of Liberty」は労働者たちを主力として結成された秘密結社。18世紀中盤から急に増えたアイルランド、ドイツからの貧しい移民たちは、大陸会議に参加していたエリートたちとは別の流れで、アメリカ独立に大きく貢献します。アイルランド移民で洋服仕立て屋のマリガンはニューヨークの有力メンバーでした。ところが、独立後には資産家のみに参政権を与える案も出たりして、マリガンたちの貢献は無視されそうになったことも。自身も労働者階級出身のベンジャミン・フランクリンの鶴の一声で廃案になったそうです。

ここの戦闘場面、音楽的にはレコードのスクラッチ音で激しさが表現されています。『ハミルトン』中、もっともヒップホップ的と評されるマリガンのパフォーマンスとともに、ヴァース以外の意味でのヒップホップ活用がみられる場面。ここを聴くと、Public Enemy の名盤 It Takes A Nation of Millions To Hold Us Back (1988)を連想するのは私だけではないはず。 ヒップホップが本当に新しい音楽だった時代の勢いを感じます。ただし、Public Enemy というグループ名はアメリカ合衆国という制度の敵という意が込められているでしょうから、そうした制度を中心になって作り上げた「建国の父」についてのミュージカルに結び付けられて、Chuck Dたちが喜ぶかどうかは微妙かも。『ハミルトン』が気に食わないというヒップホップ・アーティストの急先鋒かもしれない・・・。ちょっと脱線しました。

そして、

[HAMILTON] After a week of fighting, a young man in a red coat stands on a parapet
[LAFAYETTE] We lower our guns as he frantically waves a white handkerchief
[MULLIGAN] And just like that, it’s over. We tend to our wounded, we count our dead
[LAURENS] Black and white soldiers wonder alike if this really means freedom.
[WASHINGTON] Not yet.
[ハミルトン] 一週間の戦いのあと、赤いコートの若い男が胸壁のうえに立つ。
[ラファイエット] そいつが狂ったように白いハンカチを振るのを見て、俺たちは銃を下す。
[マリガン] そんなふうに終わったんだ。俺たちは怪我人の世話をして、死者の数を数える。
[ローレンズ] 兵士たちは黒人も白人も思う、これで本当に自由になったのかと。
[ワシントン] いやまだだ。

イギリス軍降伏により、アメリカの勝利。ただし、ローレンズとワシントンのせりふは戦後に残る困難を示しています。つまり、奴隷制のことですね。「兵士たちは黒人も白人も」同じ疑問を抱いたわけですが、違った答えを与えられることになります。Hamilton Mixtape の "Immigrants (We Get the Job Done)"ではこの部分が引用・サンプリングされて、アメリカの現在も残る人種・移民の問題がとりあげられます。
(ついでに書きますが、Hamilton Mixtape も『ハミルトン』OBCアルバムも、"clean"ヴァージョンと"explicit"ヴァージョンがあります。"clean"はダーティ・ワーズが検閲されたお子様向け?なので、購入するときは"explicit"をおすすめします。そうでないと、上のマリガンの "shit"や"fuck"が聴けません(笑)。)

さて、戦闘が終わり戦後処理へ、そして独立戦争勝利を祝う群衆が街へ繰り出す。と、ここでキーになるラインがそうした群衆のものではなく、敵のイギリス軍が歌う歌だ、といのも面白いところ。

[HAMILTON] And as our fallen foes retreat, I hear the drinking song they’re singing…
[ALL MEN] The world turned upside down
[ハミルトン] そして俺たちに倒された敵が退いていくとき、彼らが酔っぱらいながらこんなふうに歌うのが聴こえてくる・・・
[男性全員] 世界がひっくり返った。

“The World Turned Upside Down”は、敗北したイギリス側の兵士が歌ったとされるバラッドよりとられたもの)。どうやら、史実としては確認されていないようですが、よくできた話ではあります。バラッド自体は17世紀からある古いもので、いかにもバラッドな歌。さすがにこのままは使えないようで、『ハミルトン』ではメロディはミランダ・オリジナルになっています。

そしてついに勝ちどきを上げる時が・・・。

[LAFAYETTE] Freedom for America, freedom for France!
[HAMILTON] Gotta start a new nation. Gotta meet my son
[MULLIGAN] We won!
[ラファイエット] アメリカに自由を、フランスに自由を!
[ハミルトン] 新しい国を起ち上げないと。息子に会わなければ。
[マリガン] 俺たちの勝利だ!

勝利に酔いしれるラファイエット、マリガンたちに対して、ハミルトンはすでにその先を見ています。国作りと家族(公/私)が並べられるのものちの展開からして注目のポイント。

さて、革命、世界の転覆が達成されました。でも、ミュージカル『ハミルトン』はまだ第一幕、さらにその第一幕もあと3曲残しています。二幕ものであることがほぼ宿命づけられているミュージカルにおいて、この第一幕の締めはとても大事なところ。さて、いかにして幕間もオーディエンスの興味をつなぎとめ、第一幕の勢いを第二幕へとつなげていくか。さてはて。

2017年3月17日金曜日

ブロードウェイ・ミュージカルとアメコミ―アメリカ的ジャンルの非アメリカ性

『ハミルトン』では、"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"でヒーローたちの戦場での大活躍はおしまい。以降は地味かなと思える政治的駆け引きの話へと移行していきます。その地味な部分を飽きさせずに見せるのが、ミュージカル作品として優れているところなんですけどね。けっこうありますもんね、第一幕はいいんだけど、第二幕はなんだか長いな、こんなに要らないじゃないのっていう作品。大声でいうとファンが多いので嫌われそうですが、『レント』は、舞台は別でしょうけど映像で見ていると 第二幕の幕が上がり、"Seasons of Love"でぐっと盛り上がって・・・、そのあとの後半はちょっときつい(違う!っていう人がいたらすみません)。

アメリカ合衆国という国、そして国民が、英雄、ヒーローに並々ならぬ情熱を注いできたことはみなさんもご存知のとおり。何といっても、アメリカン・コミックが描くスーパーマンやキャプテン・アメリカ、バットマンやアイアンマン、スパイダーマンの活躍は、いかにもアメリカだなあと私たちが考える文化の大きな部分をなしています。たぶん、アメリカが嫌いだという人が理由にあげそうでもありますね。『ハミルトン』もちょっとマンガ的なところがありますね。そういえば、日本アニメ風の女の子たちが主人公ヴァージョンの "Yorktown (The World Turned Upside Down"のビデオがYouTubeにあって面白かったんですが、いま調べると見つかりません・・・。けっこう検索上位にきてたんですがどうしたのでしょう?[追記:見つかりました、こちら。ついでに、"Wait For It"のも。)

さて、ここではそうしたアメリカン・コミックとブロードウェイ・ミュージカルがアメリカを代表するエンターテインメントという以外にも、歴史的に共通点が多いことを見てみたいと思います。

まず両ジャンルともに、1920年代から30年代というアメリカが好景気から大恐慌へとジェットコースターのようにアップダウンした時期にかたちを成していったということ。そして初期のクリエーターの多くが移民、特に19世紀末から20世紀にかけて新しく移民してきた東欧ユダヤ系だったという点。代表例がスーパーマンを生み出したジェリー・シーゲルとジョー・シュースターのコンビや、ミュージカルのロジャーズ&ハマースタイン。アメリカ合衆国という国家が20世紀の、真に世界一の国力を誇る国になっていく過程で、これまでの国家・国民イメージを乗り越えるようなヴィジョンを提出したのが、どちらかというと日陰の存在であるユダヤ系移民(しかももっと前にやってきた裕福なユダヤ系ではなく、貧しい労働者層)だったとというのは重要なポイント。ここから、底抜けに明るかったり、臆面もなく正義を主張したりといったイメージでとらえられがちなミュージカルやアメコミが、じっくり見てみると実は暗い影を宿しているという複層性が生まれてきます。アメコミ主人公の出自を見てみると、孤児だったり(スパイダーマン、バットマン、スーパーマン、みんなそう)、故郷の崩壊を体験(スーパーマン)していたりします—ハミルトンとの共通点ですね。

歴史が進んで1940年代、両ジャンルとも黄金時代を迎えます。これは第二次世界大戦と、それによって喚起されたアメリカのナショナリズムが関係しています。というより、ミュージカルにせよ、アメリカン・コミックにせよ、ナショナリズムが生んだというよりは、ナショナリズムの高揚を生み出していく原動力になっていきます。当時のアメコミの東洋人描写は見られたものではないですが、ただし、いろいろ見ていくと、この点でも意外とニュアンスに富んでいるのが面白いところ。ロジャーズ&ハマースタインのミュージカル『南太平洋』(1949)は太平洋戦争当時の南洋での日米の衝突を描いているのですが、日本兵の奇妙な描写は一切出てきません(映画版(1958)の話です、失礼)。この傑作ミュージカルからアーロン・バーが引用(?)している歌がこちら、"You Got To Be Carefully Taught"。人種偏見はアメリカ社会が「教育」して後天的に植えつけるものであると歌われるシリアスな曲です。それだけではなく、この戦争に勝つことに本当に意味があるのか、という疑問を将校たちが語り合ったり、さらに戦争よりも恋愛が上、な展開であったり。戦後の作品だからかも知れませんが、アメリカのナショナリズムにもいろいろ屈折があり、エンターテインメントもそれを反映しています。ロジャーズ&ハマースタイン『回転木馬』(1945)の映画版(1956)を見ると、漁師町に様々な地域からの移民、主にアイルランド移民と東欧移民(ユダヤ人含む)が住んでいます。この二つの陣営でダンスバトルが勃発したりして、のちのヒップホップダンス映画とダンス場面だけは似ていたり・・・。あと、この時代には「赤狩り」(マッカーシズム)の嵐が吹き荒れて、アメリカのエンターテインメント界は自主規制へと走るのですが、そうした状況と黄金時代がかぶっているのも不思議なことです。

そして1960年に入ると、両ジャンルともに徐々に斜陽に。これには居住環境の郊外化やテレビの登場、新しい若者文化(ロック)などが関わっています。それまでの都市構造や家族関係と結びついていた前世代のエンターテインメントとして、時代に取り残されたようになっていく。ただし、この時期に新しい展開がなかったわけではなく、音楽の世界に遅れて1970年代からはミュージカル、1980年代からはアメコミの世界に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の波が押し寄せます。ミュージカルの世界ではアンドルー・ロイド・ウェバー、アメコミではアラン・ムーア(Watchmen (1986-1987))が代表例。アメリカ人が自分たちが生んだエンターテインメント・スタイルをすり切れたものと感じていたところに、イギリス人たちが新鮮な感覚をもって乗り出してくる。また、子供向けや甘ったるいと思われていた従来のイメージを振り切って、新しいオーディエンスである成人層を獲得。1990年代以降の両ジャンルの新しい展開を準備することになります。

そして、1990年代〜2000年代にかけて、ブロードウェイとアメリカン・コミックに再生の兆しが。これもおそらく1960年代のテレビと同様、メディア環境の変化が大きい要因でしょう。インターネット・メディアによって、誰にでもうける薄っぺらいメジャー・エンターテインメントよりも、それまで「オタク(geek)」的、マイノリティ的と見られていた領域のほうが様々な楽しみがあるという雰囲気が生まれてきます。ちょっと脱線しますが、ヒップホップという元はニューヨークの地域ローカルのカルチャーが現在の世界的広がりを見せるようになったのも、ネット上で伝説的アーティストのパフォーマンスが簡単に聞けたり、Genius.comのようなサイトで本当はその地域で若者文化と触れていなければわからないはずのスラングを手軽に調べ、少なくとも表面上は理解できた気になれるようになった、という背景があってのこと。

アメリカン・コミックの歴史的展開については、次の動画をどうぞ。
Super Heroes A Never Ending Battle 2013 Season 1 Episode 1

『ハミルトン』のヒットは、この21世紀にかけて展開してきた様々な流れが合わさって実現したものでしょう。複雑な歴史を背景に積み重ねられてきたエンターテインメントの富を前に、ミュージカル好きはヒップホップの名曲をネット上に訪ね、ヒップホップ好きはミューカルの名場面をのぞき見る。そして、これまで交わったことのない領域同士の対話がいつまでも続いていく・・・。これ以降、20世紀始めから展開してきたアメリカ文化のこうした「遺産 legacy」がどのように受け継がれていくか、そのことを考えるうえで重要な作品になることでしょう。

"19. History Has Its Eyes On You" from Hamilton: An American Musical

ハミルトン、ついに戦場へ、でも、その前に・・・。ワシントン将軍によるレクチャーを受けましょうね。 "19. History Has Its Eyes On You"。

<あらすじ>
「右腕」ハミルトンを呼び戻したワシントン将軍。戦場へ向かうハミルトンに自らの経験から学んだ大切なこと、自分たちの行為はいつも歴史に見られている、また、生き様は後の人間が語るのであって、自分がその成り行きを決めることはできないと伝える。

『ハミルトン』の全体の表テーマがはっきりと姿を現しました。ここまでも、"1. Alexander Hamilton"、"4. The Story of Tonight" などで、生きた証として業績(legacy)がどのように語られるか(あるいは語られないか)がちらほらとテーマとして仄めかされていましたが、「歴史」を擬人化することで、ワシントンがシンプルにこのテーマをまとめてくれます。

[Washington] I was younger than you are now when I was given my first command. I led my men straight into a massacre and I witnessed their deaths firsthand. I made every mistake and felt the shame rise in me, and even now I lie awake, knowing history has its eyes on me. 
[ワシントン] 最初に軍隊で指揮をとったのは、今のお前よりも若かった頃だ。部下たちを虐殺にまっすぐ送り込んでしまって、彼らの死をこの目で見ることになった。ありとあらゆる間違いを犯し、恥の意識でいっぱいになった、それで今でも、夜眠れないことがあるんだ。歴史が私を見つめていることを意識してな。

ワシントンが初めて指揮をとったのは、1754年。イギリス植民地とフランス植民地の境界に派遣されたワシントン中佐、当時22歳は、ヴァージニア民兵隊を指揮してフランス軍のパトロール隊を襲撃し、これが、フレンチ・インディアン戦争(1754-1763)、さらにそれがヨーロッパ大陸に飛び火して七年戦争(Seven Years' War; 1754-1763)、当時の列強国とその植民地を巻き込んだ大騒ぎを引き起こすことに。自分の部下たちを虐殺に、どころではないですがな・・・。この事件でよくも悪くも名を挙げたワシントンは、後の大陸軍将軍へとのぼりつめていきます。

[Washington] Let me tell you what I wish I'd known when I was young and dreamed of glory: you 
have no control who lives, who dies, who tells your story.
[ワシントン] 私がまだ若くて栄光の夢を見ていた頃に分かっていたらよかったと思うことをお前に伝えておく。誰が生きのび、誰が死に、誰がお前の物語を語ることになるかを自分で決めることはできないんだ。

"17. Meet Me Inside"で「私の名前は不名誉や中傷もくぐり抜けてきた」("My name's been through a lot")と語っていたように、将軍は生きている間にもいろいろイヤな思いもしてきたんでしょう。ただし、そうした経験なしにこのアドバイスが理解されるかははなはだ疑問。正直、そんなこと言われてもやることをやるしかないですしね・・・。


[Washington]  I know that we can win. I know that greatness lies in you. But remember from here on in, history has its eyes on you.
[ワシントン] 私たちが勝利できるのは私には分かっている。お前に偉大さが眠っているのもな。だがこれ以降は憶えておけ、歴史がお前を見つめているんだと。

この辺りのちょっと誇大妄想的な、ある意味とてもアメリカ合衆国的な発想は、若者ハミルトンにとって、よく分からなくてもテンションが上がるお言葉でしょう。歴史に見られてるでー、世界的な使命やでー、やったるでー、てなもんで、やる気がMAXになったところで、最終決戦、ヨークタウンの戦いへ——。

『ハミルトン』とヒップホップ

これまた、何というか、今さらなテーマなんですけれども・・・。

ハミルトンと同じカリブ海地域のジャマイカに生まれたクライヴ・キャンベル(のちのDJ Kool Herc [そう、Hercules!])が家族とともにニューヨーク、ブロンクスに渡ったのが1967年。その後、1970年代にブロックパーティーのDJとして活躍を始めた彼が、ターンテーブル(『ハミルトン』Creative Team、とくに舞台デザイン、振付参照)を使ってブレイクビート(歌詞のあいだのリズムパート中心の部分)をくりかえす手法を編み出し、新しい文化運動「ヒップホップ」誕生の中心的原動力となります。ミュージカル『ハミルトン』の時代設定は1776年から始まりますが、それからほぼ二百周年がヒップホップ生誕に当たっているんですね。リン‐マヌエル・ミランダたちもこうした歴史的偶然にも後押しされながら、『ハミルトン』を作りあげたのでしょう。ヒップホップの初期の発展に関しては、ドキュメンタリー映像がたくさんネット上で見つかるのでそちらを(例えば、こちら)。

"15. Ten Duel Commandments"で(またそれ以降、ほぼ『ハミルトン』の最後まで)活用されている、"Ten Duel Commandments"ですが、これは1997年発表の The Notorious B.I.G.の『ライフ・アフター・デス』より。The Notorious B.I.G.、別称 Biggy Smallsといえば、東海岸を代表するギャングスタ・ラップの代表として活躍。ニューヨーク生まれなのになぜか西海岸を代表することになった 2Pac(トゥーパック・シャクール) と、今となっては(当時も?)なんだかよくわからないビーフあるいはduel 状況になって、まずは 2Pac、ついで Biggy が銃弾に倒れることになります。三度の決闘が物語の流れを決定づけていく『ハミルトン』にぴったりといえばぴったりの背景。PBS ドキュメンタリー Hamilton's America で、ミランダが、ロン・チャーナウの本を読んだときのことを、「こりゃあ2Pacだ、Biggyだ、ヒップホップの物語だ」と思ったと言ってましたね。

ミランダによる引用は圧倒的にニューヨーク、東海岸に偏っているのがいいですよね。2PacよりはBiggy、EminemよりはJay Z、それに、Busta Rhymes。Busta Rhymesといえば、"Gimme Some More"。このPVは最高ですねえ。といって、引用元を探していくオタク的楽しみも『ハミルトン』体験の一部なんでしょうが、きりがないですので、いくつかネット上からの情報で、Genius.comによる動画がこちら、

9 Classic Rap References In Hamilton

もっと詳しい情報をというかたはこちら。

All the Hip-Hop References in Hamilton: A Track-by-Track Guide

をどうぞ。

とはいっても、ヒップホップから言葉やリズムをとってきた、というだけでは、数多くのヒップホップ・ミュージシャンたちが『ハミルトン』を支持するということにはならなかったはず(逆に、パクってんじゃねえよ!と怒られる可能性大ですよね)。また、『ハミルトン』の曲を聴いていくと、ヒップホップ以外のジャンルからの音楽もたくさん使われている。そう考えてみると、このミュージカルが「ヒップホップ・ミュージカル」と呼ばれる所以は単にラップのスタイルを使っていたり、引用を行っていたり、ということを越えた何かがあるはず。

私が考えるに、その何かとは、ミランダたちの作品を作り出すアプローチ自体が、ヒップホップ的であるという点にあります。ヒップホップがNYローカルのカルチャーでありながらアメリカを、そして他の地域を制覇していったのはなぜか? 自在な文化的引用を行いながら独自の解釈を示すことができること、音楽的でありながら日常会話的であること、その他さまざまな理由があげられるとは思いますが、20世紀後半から可能になってきた情報の共有のかたち、さまざまな文化的領域を等価なものとして自由に行き来するようなありかたが一番大事ではないかと思います。かつては「ポストモダン性」や「間テクスト性 intertextuality」などと呼ばれ、それまでの「モダン」「近代」への高度な批評として扱われていたものが、今ではすっかり一般的なもの、インターネットを中心とする情報環境とともに生きる普通の生活そのものになっている。『ハミルトン』の世界はまだ閉鎖的だったブロードウェイ・ミュージカルという世界、ある意味ヒップホップ・ジャンルがその在り様を体現しているこうしたあり方を接続した作品として評価されるようになるのではないか。

ちょっと抽象的なお話になってしまいました。ここからは、ヒップホップ作品をどう測るか(正確には、ヒップホップの詩としての価値をどう見るか)の基準をちょっと借りてきまして、『ハミルトン』を判定してみたいと思います。

借用元は、Adam Bradley, The Book of Rhymes: The Poetics of Hip Hop (Basic Civitas Books, 2009)。ヒップホップのライムの価値を説得力をもって解説してくれる好著です。ラップ、ヒップホップ好きだけではなく、英詩好き、英語の表現をくわしく理解したい人にもおすすめ。そのエピローグの部分にBradleyは "the Ten Rap Commandments of Poetry" (pp.207-212)として10項目をあげています。1項目ずつ見ながら検討していくと・・・、

1.ラップは単調さではなく、リズムによって生命を得る。
     ("1. Rap Thrives on Rhythm, Never on Monotony")
まずは、リズム、音楽の核です。先に書いたように「ブレイクビート」の反復(単調さ)がヒップホップ音楽を生み出したわけですが、ラップの言葉がそこに自在な揺らぎを生むことで生命力をもったリズムが生まれます。—『ハミルトン』では、登場人物のタイプや感情、場面の状況、物語の進行にしたがって、同じラップといっても様々なリズムが活用されています。また、ひとつのヴァースであっても、"18. Guns and Ships"のラファイエットのように伸縮自在のリズムが用いられることも・・・。ラカモアによるアレンジも音数が少なめでシンプルながら、というか、それもあってリズムの多様性を際立たせていますよね。というわけで、この点については問題なくクリア。

2.ライム(韻)はラップの存在意義そのものである。
  ("2. Rhyme is Rap's Reason for Being")
とりあえずリズムに乗って韻を踏みさえすれば、それはヒップホップのライム(良し悪しは当然、天地ほどに生まれるわけですけども)。ここまでの記事で見てきたように、リン‐マヌエル・ミランダのライムが韻についてこの点に異論はでないでしょう。ミランダの場合、ヒップホップだけではなく、ミュージカルの師匠スティーヴン・ソンドハイム(偏執的?な韻で有名)の影響もありますが、ともあれ、『ハミルトン』を聴く/見る、場合によっては読む楽しみには、この韻(ライム)が大きな要素としてあるのは確実です。よってこれも当然、◎。

3.ラッパーは新しい事柄を古い方法で言い、古くからの事柄を新しい方法で言いなおす。
  ("3. Rappers Say New Things in Old Ways and Old Things in New Ways")
『ハミルトン』はすでに語られつくされたと思われていた「建国の父たち」を、ヒップホップその他の新しい音楽を軸に語りなおしてみせた。また、それは韻文の復活という意味で、近代演劇から追放されてしまった古い要素を取り戻したといことも意味します。ラップのライムがナーサリー・ライム的な古くからの英語のリズムを活用することでテイクオフし、やがて現在のような複雑なライム・スキームに至りついた。ここには新旧が複雑に絡み合う、まさに今を生きている文化の面白さが凝縮されています。マイノリティ中心のキャストも古い物語を更新させるひとつの仕掛けとして機能して、古くからのしかし決して過ぎ去ってはいない人種差別や移民問題というったテーマを浮かび上がらせている。この3の項目は、『ハミルトン』がここまで話題になったその理由を表現してみせたものにもとれますね。というわけで、答えは言わずもがな。

4.ラップは明瞭さに重きをおく。
  ("4. Rap Values Clarity")
これは他の音楽ジャンルの歌詞に比して、ということですが、ヒップホップ(ラップ)は音楽でもあるし語りの芸でもあります。漫才師が何を言っているかわからなければ致命的なのと同じように、スタイルは様々でも何を言っているか伝わる、というのがラップの大事なところ。『ハミルトン』に関して言えばさらに、長い物語を進行していかなければならないわけで、通常のラップよりも明瞭さについてはよりていねいに気を配っている。また、オリジナル・キャストだけではなく、のちのキャストが演じてもOKじゃないと、ミュージカルとしては欠陥品なので、ある程度、誰がパフォーマンスしても大丈夫だというわかりやすさが(複雑さと両立するかたちで)ライムにも見て取れます。これも◎。

5.言葉づかいの巧みさはラッパーの技術の高さを測る一番良い基準である。
  ("5. Verbal Dexterity Is the Best Measure of a Rapper's Virtuosity") 
一つ一つのヴァースを歴史上、また、現代の最高峰のラッパーたちと比べて、となると、さすがに厳しいですが、ミランダのヴァースは18世紀の言葉づかいや文書をとりこむ、という難易度の高い課題を乗り越えています。また、"2. Aaron Burr, Sir"の80年代風ラップから後の多彩なスタイルへと展開していく、という達成もしていますので、これもクリアしているとみるべきでしょう。それに当然、ミュージカルとしての全体の物語を邪魔しないような、それでいて納得できるラップなわけですからすごいですよね。

6.ラップでは声が重要な意味をもつ。
 ("6. Voice Matters in Rap")
この点については、『ハミルトン』オリジナル・キャストが作品を越えて人気を博したことを考えれば、三重丸ぐらいつきそうです。ルネ・エリーズ・ゴールズベリ、ダヴィード・ディグズ、オキエリエテ・オナオドワン・・・、オリジナル・キャスト・アルバムを聴いていると、彼女・彼ら抜きでは、アンジェリカ、ラファイエット、ハーキュリーズ・マリガンはちょっと考えにくくなる(のちのキャストの舞台を見たら、まあ、意見はかわるのでしょうが)。また、そこにそれぞれに割り当てられたヴァースに施された綿密な仕掛けが働いているわけです。実在の人物の声と、劇作上のキャラクター、そしてラップのヴァースが連動して、それぞれの魅力が生まれているわけです。

7.ラップのリリカルな内容を形作るうえで、テーマの展開は必須である。
 ("7. Thematic Development Is Essential in Shaping Rap's Lyrical Content")
これも本職ラッパーの、1ヴァース1ヴァースごとが勝負の世界を見るとちょっと雰囲気が違うわけですけれども、"2. My Shot"のハミルトン、"11. Satisfied"のアンジェリカのヴァースなどでは、16バー(小節)の中でも構成を重視して、うまい展開がみられることが分かると思います。そしてもちろん、曲の連なりの中で、リプリーズによって積み重ねられていく物語とテーマ上の展開については言うまでもないところ。ポピュラー音楽のジャンルでもかつてはバラッド(物語詩)がメインだったのが、感情を歌上げるものへと変遷してきたのを、ラップは言葉をたくさん使えるという強みを活かして、ストーリーテリングを復活させた。ヒップホップ・ジャンルが築いてきた「物語を語る storytelling」ための富を、ミランダはミュージカル作品でふんだんに活用している。というわけで、これも◎。

8.ラップはジョークではないが、人を面白がらせることも可能である。
 ("8. Rap Is No Joke, But It Can Definitely Be Funny")
OBCアルバムを聴いているだけではわかりませんが、さまざまな動画を見ると、劇場の公演では作品全体を通して笑いがおきています。アルバムだけでもよく耳を傾けていると、シリアスなシーンにもちょっと笑えるしかけがあったりする。先ほども書いたように、ラップは語りの芸でもあるわけで、スタンダップ・コメディなどと共通した要素も多い。ミランダいちばんお気に入りだろう The Notorious B.I.G.は超こわもての、ギャングスタ ・ラップ代表格ですが、彼のヴァースにユーモアを感じない人はいないのでは? というわけで、ここでもラップの自在な語りの要素、意外な韻の面白さなどを、ミランダはミュージカルへと移すのに成功していると思います。というわけで、クリア。

9.ラップは志の高いコンセプトもコンセプトも含むことが可能だが、コンセプトなしのラップはありえない。
 ("9. Rap Can Be High Concept or Low Concept, But It's Never No Concept")
芸術作品にわかりやすい、誰にでも一目でわかるコンセプトが必要か、というのは、議論を生みそうな話題ですけども・・・。たしかに、コンセプトのないラップは「何が言いたいねん!」となりますようね。師匠スティーヴン・ソンドハイムのミュージカルはちょっとはっきりとしたコンセプトが見えにくいものが多いような気がしますが、ミランダの『イン・ザ・ハイツ』、『ハミルトン』はこれ以上ないぐらいはっきりしたコンセプトがあります。「移民」であったり、「遺産」であったり・・・。もちろんそれだけに留まらないところが作品としての価値にかかわるわけですが、成功したヒップホップ・アーティストと同じく、『ハミルトン』大成功の一因がコンセプトの明確さであったことは間違いないところ。したがって、これも◎。

10.ラップは独創性と先行アイデアの再利用を同時に活用している。
 ("10. Rap Relies on Originality and Recycling, All at Once")
そもそもが先行する音楽の引用(リミックス)によりながら、強烈にオリジナリティを希求するというのが、ヒップホップというジャンルの矛盾したあり方。ラッパーもほかのラッパーから盗む("bite")するのはご法度、と一方では言いながら、延々と引用しあっているわけです。簡単にいえば、パクっても使い方が新しくて面白ければOKの世界。この点、上でも紹介した 9 Classic Rap References In Hamilton を聴いてもらうとよくわかると思いますが、ミランダとラカモアによるヒップホップ・ソースの利用は、どれもうまい捻りが効いています。ちょっとトーンを変えるだけで、ミュージカルの世界にマッチした響きになってるんですよね。ということで、これも三重丸、というか、五重丸ぐらいつけたいところ。

というわけで、トニー賞では全部門獲得といかなかった『ハミルトン』ですが、上のリストでは10項目中10個にあてはまり、満点でした。もちろん、エンターテインメント作品なので好き嫌いはあると思いますが、音楽やライムにていねいに施された工夫を見るならば、『ハミルトン』にどのぐらいの価値があるかは議論の余地がないのではないでしょうか。また、それがヒップホップ・ジャンルとミュージカル・ジャンル、双方の富を最大限に活用して達成されたということも。

2017年3月15日水曜日

"18. Guns and Ships" from Hamilton: An American Musical

さて、ここから独立戦争終結に向けて怒涛の流れに。ハミルトンも自宅謹慎になったと思ったら、あっという間に呼び戻されて、命をかけた戦場へ。もうちょっと家族サービスもしておいたほうがいいと思いますけどね・・・。

"18. Guns and Ships" はラファイエット役のいちばんの見せ場。オリジナル・キャストでは役者よりラッパーが本業である唯一のキャスト、ダヴィード・ディグズが実力を見せつけます(でも、演技もダンスもキャラもいいですけどね―ートニー賞最優秀助演男優賞(Featured Actor in A Musical)受賞ですから)。

<あらすじ>
ラファイエットの活躍で戦況は徐々に好転。ラファイエットはさらにフランスからの援助をとりつけることに成功。最終決戦となる「ヨークタウンの戦い」に向けて、不可欠な戦力であるハミルトンを呼び戻すようにワシントン将軍に進言する・・・。

曲はどこかで聞いたことがあるフレーズから始まります。そう、ミュージカル冒頭の "1. Alexander Hamilton"の冒頭部分のリプリーズです。もちろんバーのラインなわけですが、レズリー・オゥドム・ジュニアのトーンがまったく変わっていて、同一人物とは思えないぐらい。変幻自在ですね。

[BURR] How does a ragtag volunteer army in need of a shower
Somehow defeat a global superpower?
How do we emerge victorious from the quagmire?
Leave the battlefield waving Betsy Ross’ flag higher?
Yo. Turns out we have a secret weapon!
An immigrant you know and love who’s unafraid to step in!
He’s constantly confusin’, confoundin’ the British henchmen
Ev’ryone give it up for America’s favorite fighting Frenchman!
[COMPANY] Lafeyette!
[バー] 恵みの雨が入り用だったおんぼろ志願兵軍が
どうやって世界最強国を倒すのかって?
泥沼からどうやって勝利をつかんで抜け出すか、
ベッツィー・ロスの旗を振って戦場を後にできるのか?
ヨオ。俺たちには秘密兵器があることが判明したぜ!
あんたたちもご存じで大好きな移民さ、恐れ知らずに戦いへとびこみ
イギリスの子分どもを混乱させて、度肝を抜きまくるんだ。
アメリカ一番お気に入りの戦うフランス人のお出ましだ!
[全員] ラファイエット!

移民だよ、みんな知っているよ、とオーディエンスに「ハミルトン登場かな?」と思わせておいて肩すかし。リプリーズのうまい使い方の一例ですね。ベッツィー・ロス(Betsy Ross; 1752-1836)は、最初のアメリカ合衆国国旗を縫ってそのデザインを決定したとされる女性。13邦(州)のときなので星は13個ですが、基本デザインは現在の星条旗にも受け継がれています。

さて、ここから、"2. Aaron Burr, Sir" では英語がろくに話せず、フランス語交じりのライムだったラファイエットが、英語ラップの最速ラップ(ブロードウェイ・ミュージカル史上最速のヴァース)を叩きだします。というわけで(?)、ここからは、この曲でのラファイエットのラップのリズム分析をしたいと思います。その前に、英語の詩歌の基本をおさらい。“A Sailor Went To Sea”という子供向けの歌を参考にします(同じリズムの曲は山ほどありますが、NHKの子供番組でたまたま見たので・・・)。歌詞は以下の通り。

A sailor went to sea, sea, sea
to see what he could see, see, see
But all that he could see, see, see
was the bot-tom of the deep blue sea, sea, sea.

文学研究の分析では、弱い・強いのリズムが4つで、弱強4歩格(iambic tetrameter)。最終行に変則があると考えます。これを4分の4拍子の小節(基本、一音節が8分音符で、16分音符になることろは下線で示す)に合わせると、

                                                  A ||
sai-lor | went to | sea, sea, | sea to ||
see what | he could | see, see, | see. But ||
all that | he could | see, see, | see was the ||
bot-tom of the | deep blue | sea, sea, | sea. * |

定期的に「強」が表れ、「弱」に関しては弱く速くいうことで、一拍(4分音符)に4音まで入れることができます。「強」「弱」の波が交代する波ができることに注目。基本、ストレスが置かれる音節が拍子の頭、そして、弱音は前の小節や拍子にひとまとまりに組み込まれます。この歌では(よくあるかたちですが)最後の行の始め(3小節目の終わり)からスピードが2倍速になることによって、この4行がひとまとまりだと自然に分かるようになっています。("Rapper's Delight"でも最終行("are gonna"のところ)でスピードアップがありましたね。このあたりは英語を話す以上、ふつうにそうなる、という感じ。)このスピードのアップ/ダウンを効果的に使うことで、さまざまなことが可能になります。

さて、以上の超基本パターンを見てもらったうえで、"18. Guns and Ships"へ―。表記の仕方が試行錯誤中で、前の記事と違うのはご寛恕ください。今回は、下線なしは8分音符(一小節の1/8)、下線のところは指定がある以外は16分音符(一小節の1/16)。緑の部分がラファイエット、青がワシントン、黄色はコーラスのパート。右に指定があるところは、16分音符3個分の長さだったり、4分音符や8分音符の長さに3音を入れたり(三連符 triplets)です。

La-fay- | -ette. I’m | ta-kin this | horse by the ||
reins ma-kin’ | Red-coats | red-der with bloo- | -ood-stains ||     stains=3/16
La-fay- | -ette. And I’m | ne-ver gon-na | stop un-til I ||
make ‘em drop and | burn ‘em up and | scat-ter their re- | -mains, I’m ||
La-fay- | -ette. * | Watch me en- | gag-in’ em ||
es-cap- | -in' em, en- | -ra-gin’ | em. I’m ||
La-fay- | ette. I go to | France for mo- | -ore funds ||                  funds=3/16        
La-fay- | ette. I come | back with mo- | -ore guns ||                   guns=3/16

*  *  | *  And | ships *  | *  and ||
so the | ba-lance | shifts. * | * We ||
ren-dez- | -vous with | Ro-cha-/-am-beau, ||                 Rochambeau: 1/2に3音
con-soli- |-date their | gifts.| We can ||
end this | war at | Yo-ork | to-own, ||
cut them | off at | sea, * | but * ||
* For | this to | suc-ceed, | * there's ||
some-one | else we | need: I | know * ||

Ha-mil-|ton. Sir, he | knows what to | do in a ||
trench in-ge-| -nui-tive and | fluent in Fre- | -ench, I mean ||
Ha-mil- | -ton. Sir, you’re | gon-na have to | use him e-ve- || 
en-tual-ly | What’s he gon-na | do on the be- | -ench? I mean ||
Ha-mil- | -ton. No one | has more re- | -si-lience or ||                 triplets: 1/4に3音
mat-ches my | prac-ti-cal | tac-ti-cal | bril-li-ance ||
Ha-mil- | -ton. You wan-na | fight for your | land back? ||
Ha-mil- | -ton. I need my | right hand | man back! ||

Ha-mil- | -ton. Uh, get ya | right hand | man back || 
* You know you | got-ta get ya | right hand | man back ||
* I mean you | got-ta put some | thought in-to the | let-ter but the ||
soo-ner the bet- | -ter to get your | right hand | man back! ||

何だか、えらいことですが・・・(笑)。とりあえず頑張って分析しましたが、スピードに合わせてパフォーマンスするには長い長い修業が必要そうです。ちなみに、『ハミルトン』ではラファイエット役が踊ったり、飛び跳ねたり、机の上に乗ったりしながら、これだけのヴァースを吐き出します。"11. Satisfied"のアンジェリカのラップも大変ですが、リズムの変化が多い(特に三連符の使用に注目)ですし、他の人たち(ワシントン役、コーラス)と合わせないとダメだしで、難易度としてはこちらのほうが上でしょうね。ライム(韻)では、"in French, I mean"~"him eventually"~"on the bench? I mean"のところが面白い。
[この曲の練習用動画がYouTubeにアップされていたのでこちらにリンクを: Part 1 / Part 2。この動画のおかげで、私も「それなり」にスピードに合わせて読めるようになりました。感謝。]

さて、ラファイエットによる怒涛のラッピングの後、ふたたび 、“1. Alexander Hamilton”からのリプリーズ(最後の部分より)。ワシントン将軍が「アレグザンダー・ハミルトン、兵士たちが戦場で君を待っている」(”Alexander Hamilton, troops are waiting in the field for you")と、ハミルトンを呼び出してーー。第一幕のクライマックスへ向けて、さらに盛り上がっていきます。

2017年3月14日火曜日

今さらながら、Lin-Manuel Mirandaについて

ミランダが "17. That Would Be Enough" を「君へのメッセージだよ」と言って妻のヴァネッサさんに聴いてもらったところ、「ふーん、あなたは私にこんなふうに言ってもらいたいわけね」と言われて、いやいやいや俺が言いたいことなんですけど!と慌てて弁解(?)したらしい。なんとも、現実は甘くないですなあ・・・。

という微妙なイントロで、今さらながら、『ハミルトン』脚本・作詞作曲・オリジナルキャスト主演をつとめたリン−マヌエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)について。

1980年1月16日、ニューヨーク市マンハッタン生まれ。父ルイスさんはプエルトリコからの移民で政治アドバイザーとして成功をおさめた、NYのヒスパニック系コミュニティでは尊敬を集める人物(ミランダによると、ルイスさんがお亡くなりになったら葬儀はちょっとしたパレードになるだろう、とのこと)。母ルース・タウンズさんは精神科医。
(お母さんの家系についての興味深い記事がこちらMegan Smolenyakというルーツ探索専門家(そんな職業があるんですねえ)による調査で、18世紀末から19世紀(ちょうどハミルトンらの時代ですね)を生きたミランダの母方タウンズ家の先祖に、白人男性と黒人女性(ヴァージニア州出身の逃亡奴隷)のカップルがいたというもの。人種間の関係が許される(少なくとも大目に見られる)土地をもとめてルイジアナへ、さらに当時はメキシコだったテキサスに移り住む。その後、1836年、テキサス共和国誕生と同時に有色人種の市民権は剥奪、さもなくば土地を離れなければならないことに・・・、その危機を乗り越えた一家だったがやがてテキサスやメキシコの各地に散らばっていく、とまさに波乱万丈。当時の南部から西部のアメリカの状況や人種についての考え方や具体的な政策の変遷もわかる詳しい記事です。記事の最後に、ミランダからのメッセージと、Meganさんが『ハミルトン』キャストといっしょに撮った写真が載っています(ミランダ公認記事ですね)。ともあれ、たまに書かれているミランダの両親ともプエルトリコからの移民という情報は間違い。お母さんはメキシコ(もしくは元メキシコ地域)に由来をもつラティーナですね。[訂正:と書いたのですが、さらに調査を続けたところ、ミランダのお母さんLuzさんはプエルトリコ人の母とメキシカン・アメリカン(チカーノ)の父のあいだに生まれて、幼少時にアメリカ合衆国へ移民をしてきたようです。「プエルトリコからの移民」は正しかったわけで、誤情報まことに済みません。この地域の人たちの系譜はほんとうに錯綜していて興味深いです。国家の枠組みを平気で越えているのですね。ミランダ自身の認識では、彼のアイデンティティはプエルトリコ+メキシコのようです]

ニューヨークの知的に才能のある子供たちを集めた Hunter College Elementary School に入学、Hunter College High Schoolに進学・卒業後、Wesleyan Universityへ。と書くと、超エリート・コースみたいで、確かにそうなんでしょうが、インタビューなどを読んだり聞いたりしていると、周りがあまりに優秀なんで困ったこともあったようです。勉強ではかなわない連中ばかりなので、他の道を、ということで、芸術の道へ進むことになった、とも。ちなみに、高校時代にすでに、ブロードウェイの重鎮スティーブン・ソンドハイムの知己も得ています(なんと恵まれた環境でしょう・・・)。また、大学在学中に、大学の劇団で活躍、『イン・ザ・ハイツ』をすでに書き始めていて、ラップグループ「フリースタイル・ラヴ・シュプリーム」にも参加しています(リンクの写真、後列にクリスファー・ジャクソンもいますね―こちらではラーメンについてのフリースタイル・ラップが聴けます。流行ってるんですかね、実際に人気店らしいTotto Ramenにみんなで食べにいきすます。が・・・)。

2002年より、生まれ育ったニューヨーク、ワシントン・ハイツのヒスパニック・コミュニティを舞台にした『イン・ザ・ハイツ』の制作に参加、作詞作曲を担当(脚本はキアラ・アレグリア・ヒュディス(Quiara Alegría Hudes)が担当)。2005年のコネティカット、2007年からのオフブロードウェイを経て、2008年からブロードウェイ上演が始まり、ブロードウェイオリジナルキャスト主演をつとめる。ミランダは同年のトニー賞の最優秀作曲賞(Tony Award for Best Original Score)、作品は作品賞(Tony Award for Best Musical)を受賞。主演男優賞にもノミネートされるが受賞は逃す(『ハミルトン』でも主演男優賞はエントリーのみでとれませんでした。ここまで当たり役で無理ならパフォーマーとしての受賞は厳しいのか・・・。レズリー・オドゥム・ジュニアのような超プロフェッショナルと競うわけなので、個性だけではきついんでしょうね)。

2008年、空港で買ったチャーナウの『アレグザンダー・ハミルトン』を休暇中に読み、「これはまさにヒップホップだ!」と感激、ハミルトンの人生を語るコンセプト・アルバム制作を決意。同年、ホワイトハウスに招かれた際、イベントのトリをつとめ、『イン・ザ・ハイツ』からの曲を披露する予定を急遽変更し、ミュージカル『ハミルトン』の第一曲となる "Alexander Hamilton"をアレックス・ラカモアとともにパフォーマンス。録画された映像がインターネットにアップされて、大きな話題を呼ぶ。

2011年、Tom KittとAmada Greenとともに作詞作曲を担当した Bring It On: The Musical (2000年公開の同名映画ミュージカル化)が上演(ブロードウェイ上演は翌年)。ダンスパフォーマンスは高い評価を受ける・・・。なんとなく、『イン・ザ・ハイツ』から『ハミルトン』へと直で、輝かしいヒット街道がつづいている印象をもってしまいますが、ミランダの人生がすべて大ヒットでもない、という意味で書いておきましょう。他にも、テレビ・ドラマに出演したりもしています。

2008年のホワイトハウスのパフォーマンスから一気に『ハミルトン』が出来たかと思いきや、そうではないようですね。始めは一年に2曲といったペースで、ようやく2012年ごろになって、まとまった曲での披露が可能になったようです。そこから、『ニューヨークタイムズ』などですでに絶賛の記事が書かれて、どんどん期待が高まっていった。そして、2015年より、オフブロードウェイの The Public Theaterでのトライアウト、熟成期間をへて、ついに2015年8月5日、ブロードウェイへ(その記念すべき日の様子は動画 "Hamilton Opening Night - Cast Perspective"で―ラモスとジョーンズの『ハミルトン』カップルの仲睦まじい様子がほほえましい)。以降のことは、まさにブロードウェイの歴史、アメリカの文化史の1ページという感じ。これからもさまざまに物語られていくことでしょう・・・。

ミランダ、私生活では、ヴァネッサさんとの間に、2014年に息子さんが生まれていますね。ハミルトンとバーが初めての子供に語りかけて歌う歌、"22. Dear Theodosia"は子供ができたから書けたんでしょ?と言われるらしいのですが、曲は子供より先にできて披露もされていました。じつは、愛犬を思って書いた歌だそうですよ。

"17. That Would Be Enough" from Hamilton: An American Musical

緊張感がつづいた前曲の流れから、ストリングスの響くゆったりした曲調へ。ハミルトンとしては穏やかな気分ではないですが、オーディエンスとしてはほっと一息というところ。何と言っても、次の曲から、独立戦争終結への怒濤の流れが始まりますので・・・。

といわけで、イライザが歌い上げる "17. That Would Be Enough"。

<あらすじ>
自宅謹慎命令を受け帰宅したハミルトンは、妻イライザの妊娠を知る。家族を養わなければならないのに今の状況は、と落ち込むハミルトンに、イライザは過去を考えれば今の状況で十分じゃないのとなぐさめる。

[Eliza] Look around, look around at how lucky we are to be alive right now. [...] Look at where you are, look at where you started. The fact that you're alive is a miracle. Just stay alive, that would be enough.
[イライザ] あたりを見回してごらんなさい、ほら、私たちが今生きているっていうのは幸運なことだわ。[・・・] あなたが今いる場所、それからどこから始めたのかを思い出してみて。あなたが今生きているっていう事実が奇跡だわ。ただ生きているってだけでも、それだけでも十分じゃないの。

最初の箇所は、"5. The Schuyler Sisters"のフレーズのリプリーズですね。革命騒ぎに浮かれていた元曲からはまったく違うトーンで、現状に満足しましょうよ、という意味になっています。「十分じゃないの」("That Would Be Enough")というのは、ハミルトンの "never satisfied"な性格にはまったく合わないわけですが、このシーンだけに関していうと、ハミルトンもずいぶん慰められているように感じます。

[Eliza] I don't pretend to know the challenges you're facing, the worlds you keep erasing and creating in your mind. But I'm not afraid, I know who I married. So long as you come home at the end of the day, that would be enough. We don't need a legacy, we don't need money, if I grant you peace of mind, if you could let me inside your heart. Oh, let me be a part of narrative in the story they will write someday. Let this moment be the first chapter, where you decide to stay, and I could be enough, we could be enough, that would be enough.
[イライザ] あなたが立ち向かっている困難がどんなものだか分かってるふりをするつもりはないわ。あなたが心の中でどんな世界を消したり描いたりしているのかもね。でも恐くはないわ、どんな人と結婚したかは私、よく分かっているもの。一日の終わりにあなたが家に帰ってきてくれるだけで、それだけで十分なの。私たちには遺産も、お金も必要ないわ、もし私があなたの心を穏やかにしてあげられて、あなたが心のなかに私を入れてくれるならね。ああ、誰かが将来書くあなたの物語の一部に私をしてちょうだい。この瞬間を最初の章にして、あなたはそこに留まるって決めるのよ、そうすれば、私は十分、わたしたちも十分だわ、それで十分なはずよ。

ここで、以降に向けていちばん重要な箇所は、「あなたの物語の一部に私をしてちょうだい」("Let me be a part of your narrative")でしょう。一歩引いた妻として、あなたの物語の一部であるだけで十分って、ちょと古くさいようですが・・・。このフレーズ、第二幕での展開に大きく響いてきます。

先ほども書いたとおり、ここでイライザが誘っていることは、ハミルトンの基本姿勢とは真っ向から矛盾するわけで、物語的には小休止の役割しか果たしません。「私たちには遺産も、お金も必要ないわ」("We don't need a legacy, we don't need money")あたりは優しいように見えて、厳しい条件から成り上がって何が何でも成功する意気込みのハミルトンに対する、スカイラー家のお嬢様イライザの無理解が見える気がしますね。イライザの優しさで心を落ち着けながらも、言葉の内容的には、十分なわけないじゃん、子供できたし金もいるしさあ、とアレグザンダーくんは心のなかで突っ込んでいるのかも。

2017年3月13日月曜日

ブロードウェイ・ミュージカルとアメリカン・ドリームの現在

貧しい移民として渡ってきた若者がチャンスをつかんで、一国の制度をつくりあげた「建国の父 Founding Father」の一人と呼ばれるまでに成り上がっていく・・・。『ハミルトン』のあらすじ(そしてアレグザンダー・ハミルトンという人物の人生)を一文で書くとこうなるわけですが、この分かりやすい「アメリカン・ドリーム」な展開が『ハミルトン』ヒットの一要因であることは間違いないでしょう。ミュージカル、ヒップホップといった芸能が移民やマイノリティたちの貢献によって成り立っている側面があることを合わせると、2015年からアメリカを席巻している『ハミルトン』現象に、新しい形での「アメリカン・ドリーム」の肯定を感じているアメリカ国民が多いのではないかと推測されます。

そこで、近年のミュージカルでこの「アメリカの夢」がどのように表現されているかを見てみるとーー。

まずは、The Book of Mormon (2011年初演)。2011年に作品賞(Award for Best Musical)を含めトニー賞9冠を達成して、現在もヒットが続いている人気作品。あらすじは、モルモン教徒の若者二人がチームとしてアフリカの紛争地域に派遣され、紆余曲折がありながらも独自の布教活動に成功する、というもの。人気アニメシリーズ『サウス・パーク』のクリエーター、トレイ・パーカー(Trey Parker)とマット・ストーン(Matt Stone)の脚本で、アニメと同じく下ネタも含めたギャグが連発され、モルモン教もアフリカの状況も過激に風刺する作品になっています。

このミュージカル、モルモン教を馬鹿にしているところがある、というか全編そうですね。ところが面白いことに、モルモン教徒たちには意外に好評。モルモン教はモチーフとして使われていますが、登場人物の若者たちを通して描かれるのは、白人マジョリティのアメリカ人に特有の、ほかの地域の人間からすれば傍迷惑な正義感や成功願望。どうやらこのミュージカルを見てモルモン教に入信する人もいるらしく・・・。ともあれ、作品では冒頭から主人公のひとりケヴィン(Elder Kevin Price)の根拠のない自信が炸裂します。

I've always had the hope
That on the day I go to heaven,
Heavenly Father will shake my hand and say:
"You've done an AWESOME  job, Kevin!"
Now it's our time to go out [...]
And set that world's people free!
And we can do it together,
You and me-
But mostly me!
You and me-but mostly me
Are gonna change the world forever.
Cause I can do most anything!
今までずっと夢に見ていたんだ
天国に行った日には
神様が握手してくれてこう言ってくれたらいいなって
「すばらしい仕事をしたな、ケヴィン!」
そしてついに出ていく時が来たぞ[…]
あっちの世界の人々を自由にするためにね!
俺たちが力を合わせればできるさ、
お前と俺でね―
まあほとんど俺がやるんだけど!
お前と俺ーまあほとんど俺がだけど
世界を変えてしまうんだ
だって俺は何だってできるんだもんね!
("You and Me (Mostly Me)")

"You've done an AWESOME  job, Kevin!"のあたりが、ニュース映像で戦場慰問にきた大統領に話しかけてもらってニコニコ顔の兵士を思わせて、その俗っぽさに笑える、とともに物悲しくなるところ。モルモン教徒かどうか関係なく、アメリカの一部の若者の特徴を戯画的に誇張して描いた像ですね。もちろん、アフリカの紛争地域ではこんな根拠のない自信でやっていけるわけがなく、ケヴィンは赴任早々挫折してしまいます。

さて、ここからがポイント。ケヴィンに代わって布教活動を成功(?)に導くのが、ケヴィンのパートナーであるアーノルド(Elder Arnold Cunningham)。みなに馬鹿にされる、嘘ばかりついてしまう、ケヴィンには邪魔だけはするな的に扱われていた若者ですが、彼がSFオタクとしての知識を活用してモルモン書の内容をアレンジ(というか完全に改変)して話すと現地人に大ウケ。アーノルドは布教を軌道にのせると同時に、可愛い彼女まで見つける。するとそれに乗っかってくるケヴィン。モルモン教の布教のはずが、とても個人主義のアーノルド教にいつの間にかズレてしまっているのですが・・・。

徹底的にコメディにしていて、どうにしてもありえないのでOKといえばOKなのですが、考えてみると、無邪気な思い込みで他地域に押しかけて、それが善意として通用する、というアメリカ的な帝国主義を、しかもとりあえずは成功例として描いているのですね。アフリカの人たちからはきつい批判がきてもおかしくないです。ギャグがよくできているのでずっと大爆笑してしまいましたが、それに気づくと微妙な気分にさせられる。このミュージカルがヒットしているのは、「アメリカン・ドリーム」を馬鹿にしているように見えて、最終的には肯定しているから、ですね。

次は、In the Heights (2005年初演[2008年ブロードウェイ初演])。2008年度のトニー賞で作品賞を含む5部門を受賞した、ご存じ、リン‐マヌエル・ミランダの出世作。舞台はミランダの地元、NYマンハッタンのワシントン・ハイツ、ラティーノのコミュニティ。ニナ(Nina)は家族や周りの人々の期待を背負って一流大学(スタンフォード大)に進学したものの、学費をまかなうためのアルバイトが忙しくてドロップアウト、家族に伝えられないまま帰郷する。一方、ラティーノ流コンビニ(bodega)を営むウスナヴィ(Usnavi)は育ててもらったアブエラ(おばあちゃん)が宝くじで大金を手にしたのを機に、アブエラとともに両親の故郷ドミニカへと戻る計画を立てる・・・。

このミュージカルで描かれる「アメリカの夢」は、The Book of Mormon やまた『ハミルトン』と比べても、地に足のついた、現実的なもの。移民の子として生まれたウスナヴィやニナがアメリカ合衆国という土地で、いかに自分自身のものといえる生活を築いていけるか・・・。また、前世代の移民第一世代、例えばニナの父のケヴィン(Kevin)はアメリカに渡って成功することがまさに「アメリカン・ドリーム」で、実際にタクシー会社の経営者にまでなっているのですが、現実は娘を大学にまで送ったものの、学費を払うには会社を売り払わなければならなくなる。

ネタばれになるので書きませんが、結末も含めて、大成功できるのは当たり前ですがほんのひと握りで、他の人たちにとっては前世代の期待も背負いながら、とりあえず少しよい暮らしに至りつけるかどうかが、まあ平凡ですがふつうのアメリカ人にとっての「アメリカン・ドリーム」なんでしょう。ただし、それが移民にとっては、自分のアイデンティティをある程度後にしてアメリカ流の成功に乗っかるかという選択(ニナ)であったり、ドミニカというルーツにこだわりながらアメリカに残ることができるかという迷い(ウスナヴィ)を伴うことを描いているところに、In the Heights の作品としての重み(『ハミルトン』にはちょっと欠けているような)がありますね。

最後に、Avenue Q (2003年初演)。2004年度のトニー賞作品、脚本、オリジナル・スコアの三部門を獲得した作品で、オリジナル・スコアで受賞したのは、ジェフ・マックス(Jeff Max)とフィリピン系の作曲家ロバート・ロペス(Robert Lopez)。ロペスはThe Book of Mormonでも作曲を担当し、トニー賞を受賞しています。一種の英語圏、アメリカの植民地だったこともある、ということで、フィリピン系の人たちの活躍はアメリカでちらほら見られますね。

Avenue Q は『セサミ・ストリート』大人版。人間とモンスターが仲良く暮らす、しかし冴えない地区(Avenue Q)に、大学の英文科を出たものの職が見つからない若者プリンストン(Princeton)がやってくる。そこでケイト・モンスター(Kate Monster)ら十人と出会い、ドタバタ劇をくり広げる。そのうち、ケイトと異種間の恋仲になって・・・。人形(パペット)と人間で演じるのですが、人形=モンスターではないのが面白いところ。日本人(かなり怪しい描きかたですけど)、なぜか名前はクリスマス・イヴ(Christmas Eve)という登場人物も登場して、多文化状況を楽しくとりあげた作品もあります。

主人公プリンストンは現実的にもっとも役に立たない(?)英文科(日本でいくと国文科ですね。失礼・・・)を卒業したて。そんな彼が登場すぐに歌うのが、"What Do You Do with a B.A. in English?"。

What is my life going to be?
Four years of college and plenty of knowledge
Have earned me this useless degree
I can't pay the bills yet 'cause I have no skills yet
The world is a big scary place
But somehow I can't shake the feeling I might make
A difference to the human race
僕の人生、これからどうなるんだろ?
大学に四年、知識を詰め込まれて
そのあげくがこの役立たずの学位なんてね
スキルがないから領収書がきても払えないし
世の中はでっかくて恐ろしい
でもなぜだかこの気持ちだけは消えないんだよな
いつか人類にでっかい貢献ができるはずさ

根拠はないけれど、世の中に偉大な貢献ができるんじゃないか、ここはThe Book of Mormonのケヴィンとも共通する、アメリカの若者のオブセッション。日本では「中二病」、「世界系」などと呼ばれる症状ですね。根拠はまったくないんですけどね・・・。他にも、どうやら才能はないらしいし、もう30代妻子アリなのに、いまだにコメディアンとしての成功を夢見るブライン(Brian)も登場します。

ただし、The Book of Mormonとは違い、Avenue Q ではそうした成功の夢を離れて、少しずつ現実へと着地する方向へと話が進んでいきます。唯一実現に向かいそうなのはケイト・モンスターのモンスターの子供向けの学校設立の夢。ただし、その夢を現実化させる資金は、引きこもりながらインターネットのポルノ商売で大儲けしている住人トレッキー・モンスター(Trekkie Monster; "trekkie"は「スタートレック」シリーズの熱狂的ファンを指す語)から提供されたもの。あくまで俗っぽく現実的です。

大成功としての「アメリカン・ドリーム」が実際には少数の人にしかもたらされず(そりゃあそうだ)、また、普通に満足できる暮らしに到達したり、またそれを維持していくこともなかなかに困難なのが、現在のアメリカ合衆国内の状況。Avenue Qのように、架空の世界を描きながらも、あくまで現実を映し出していく、このほうが、一見過激な The Book of Mormon やある意味アメリカの伝統ともいえる大成功を描く『ハミルトン』よりも、実をいうと、アメリカではラディカルなのかもしれません。

さて、『ハミルトン』現象と対になるのがドナルド・トランプ現象。ペンス事件(?)に代表されるように、この二つの現象はとくにメディア上では、リベラル/保守の対立軸を表すものとして対比されていました。「偉大な国」といいながら、自国で富の囲い込みをしようとするトランプの基本姿勢は、国の一種のアイデンティティである「アメリカン・ドリーム」という神話を捨ててでも、余計な責任のない「普通」の国になりたい、というアメリカ国民の欲求を表していたのかも。

2016年度大統領選では、こうした傾向が、『ハミルトン』と連動していたオバマ大統領の一見「アメリカン・ドリーム」の雰囲気を押し流したわけです。『ハミルトン』に熱狂すると、『ハミルトン』現象が陽、トランプ現象が陰と簡単に分けてしまいそうですが、現実に着地するという方向も説得力があるわけで・・・。『ハミルトン』の描く移民やマイノリティについても、ていねいに、現実にそくして検討してみる必要がありそうです。

”16. Meet Me Inside" (from Hamilton: An American Musical)

"15. Ten Duel Commandments"で響いた銃声の結果は―ーローレンズの弾がリーの脇腹に命中し、リーが降参。幸いにも命に別状はなく収まったようで、まあ、それほど悪くない結末か・・・、となったところで、ワシントン将軍再登場の”16. Meet Me Inside"。

<あらすじ>
止められていたにもかかわらず決闘騒ぎを起こしたハミルトンはワシントンに呼び出され、戦況を悪いくしただけだと叱責される。ハミルトンは秘書役にとどめられて戦場に出られない不満をぶつけ、「息子よ son」と呼びかけるワシントンに反発して激高。ついにワシントンから自宅謹慎を命じられる。

10歳の時に父親が出ていってしまって、父子関係が十分に体験できなかったハミルトンにとって、父親代わりになりそうな人物、そしてそれを十二分につとめてくれそうな人物がワシントン将軍。ただし、ハミルトンのほうは、ワシントンの父親面が癪にさわる様子。プライベート、とくに家族といった領域でうまく振る舞えないハミルトンの弱みは第二幕まで重要なテーマとして展開されていきます。しかし、

[Washington] Hamilton, meet me inside.
[ワシントン] ハミルトン、中で話があるから来い。

というのは、校長先生に呼び出される生徒といった感じで笑えますね。

家族テーマ以外でいうと、名声や成り上がり。これがハミルトンの苛立ちのもとなんですが、ワシントンとしては勝手に名誉を守られても困るわけで、

[Washington] My name's been through a lot; I can take it.
[ワシントン] 私の名前は不名誉や中傷もくぐり抜けてきた。私はそんなもの構わん。

ただし、ハミルトンとしては、ワシントンに倒れられたら自分も巻き添えをくって、ここまで這い上がってきたことが無になるわけで・・・。まあ、ワガママではありますが、こういう若者を使う以上は、しょうがないところかも。

ハミルトンの不満は実際には決闘云々とは関係なく、どちらかというと、戦場に出してもらえないことのほうに原因があるようです。

[Hamilton] If you gave me command of a battalion, a group of men to lead, I could fly above my station after the war.
[ハミルトン] もし大隊ひとつの指揮権をくださって、兵士たちを率いることができたら、私も戦後、はるかに高い地位につけるんですよ。

デスクワークでの貢献では、自分のような人間は目立てない。戦場に出てヒーローにならなければならないんだ、というわけです。ジェファソンなどは独立戦争中は(仕事はたくさんしていますけどね)逃げ回っていて、それでも第三代大統領になれたわけですが、"a bastard, orphan, son of whore"うんぬんのハミルトンの立場は別。

そんな焦りでいっぱいのハミルトンをなだめようと、ワシントンは「息子よ son」という言葉を連発しますが、ハミルトンにはこれが逆効果のようで、ついに切れてしまいます……。で、自宅謹慎に。