ミランダが "17. That Would Be Enough" を「君へのメッセージだよ」と言って妻のヴァネッサさんに聴いてもらったところ、「ふーん、あなたは私にこんなふうに言ってもらいたいわけね」と言われて、いやいやいや俺が言いたいことなんですけど!と慌てて弁解(?)したらしい。なんとも、現実は甘くないですなあ・・・。
という微妙なイントロで、今さらながら、『ハミルトン』脚本・作詞作曲・オリジナルキャスト主演をつとめたリン−マヌエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)について。
1980年1月16日、ニューヨーク市マンハッタン生まれ。父ルイスさんはプエルトリコからの移民で政治アドバイザーとして成功をおさめた、NYのヒスパニック系コミュニティでは尊敬を集める人物(ミランダによると、ルイスさんがお亡くなりになったら葬儀はちょっとしたパレードになるだろう、とのこと)。母ルース・タウンズさんは精神科医。
(お母さんの家系についての興味深い記事がこちら。Megan Smolenyakというルーツ探索専門家(そんな職業があるんですねえ)による調査で、18世紀末から19世紀(ちょうどハミルトンらの時代ですね)を生きたミランダの母方タウンズ家の先祖に、白人男性と黒人女性(ヴァージニア州出身の逃亡奴隷)のカップルがいたというもの。人種間の関係が許される(少なくとも大目に見られる)土地をもとめてルイジアナへ、さらに当時はメキシコだったテキサスに移り住む。その後、1836年、テキサス共和国誕生と同時に有色人種の市民権は剥奪、さもなくば土地を離れなければならないことに・・・、その危機を乗り越えた一家だったがやがてテキサスやメキシコの各地に散らばっていく、とまさに波乱万丈。当時の南部から西部のアメリカの状況や人種についての考え方や具体的な政策の変遷もわかる詳しい記事です。記事の最後に、ミランダからのメッセージと、Meganさんが『ハミルトン』キャストといっしょに撮った写真が載っています(ミランダ公認記事ですね)。ともあれ、たまに書かれているミランダの両親ともプエルトリコからの移民という情報は間違い。お母さんはメキシコ(もしくは元メキシコ地域)に由来をもつラティーナですね。[訂正:と書いたのですが、さらに調査を続けたところ、ミランダのお母さんLuzさんはプエルトリコ人の母とメキシカン・アメリカン(チカーノ)の父のあいだに生まれて、幼少時にアメリカ合衆国へ移民をしてきたようです。「プエルトリコからの移民」は正しかったわけで、誤情報まことに済みません。この地域の人たちの系譜はほんとうに錯綜していて興味深いです。国家の枠組みを平気で越えているのですね。ミランダ自身の認識では、彼のアイデンティティはプエルトリコ+メキシコのようです。]
ニューヨークの知的に才能のある子供たちを集めた Hunter College Elementary School に入学、Hunter College High Schoolに進学・卒業後、Wesleyan Universityへ。と書くと、超エリート・コースみたいで、確かにそうなんでしょうが、インタビューなどを読んだり聞いたりしていると、周りがあまりに優秀なんで困ったこともあったようです。勉強ではかなわない連中ばかりなので、他の道を、ということで、芸術の道へ進むことになった、とも。ちなみに、高校時代にすでに、ブロードウェイの重鎮スティーブン・ソンドハイムの知己も得ています(なんと恵まれた環境でしょう・・・)。また、大学在学中に、大学の劇団で活躍、『イン・ザ・ハイツ』をすでに書き始めていて、ラップグループ「フリースタイル・ラヴ・シュプリーム」にも参加しています(リンクの写真、後列にクリスファー・ジャクソンもいますね―こちらではラーメンについてのフリースタイル・ラップが聴けます。流行ってるんですかね、実際に人気店らしいTotto Ramenにみんなで食べにいきすます。が・・・)。
2002年より、生まれ育ったニューヨーク、ワシントン・ハイツのヒスパニック・コミュニティを舞台にした『イン・ザ・ハイツ』の制作に参加、作詞作曲を担当(脚本はキアラ・アレグリア・ヒュディス(Quiara Alegría Hudes)が担当)。2005年のコネティカット、2007年からのオフブロードウェイを経て、2008年からブロードウェイ上演が始まり、ブロードウェイオリジナルキャスト主演をつとめる。ミランダは同年のトニー賞の最優秀作曲賞(Tony Award for Best Original Score)、作品は作品賞(Tony Award for Best Musical)を受賞。主演男優賞にもノミネートされるが受賞は逃す(『ハミルトン』でも主演男優賞はエントリーのみでとれませんでした。ここまで当たり役で無理ならパフォーマーとしての受賞は厳しいのか・・・。レズリー・オドゥム・ジュニアのような超プロフェッショナルと競うわけなので、個性だけではきついんでしょうね)。
2008年、空港で買ったチャーナウの『アレグザンダー・ハミルトン』を休暇中に読み、「これはまさにヒップホップだ!」と感激、ハミルトンの人生を語るコンセプト・アルバム制作を決意。同年、ホワイトハウスに招かれた際、イベントのトリをつとめ、『イン・ザ・ハイツ』からの曲を披露する予定を急遽変更し、ミュージカル『ハミルトン』の第一曲となる "Alexander Hamilton"をアレックス・ラカモアとともにパフォーマンス。録画された映像がインターネットにアップされて、大きな話題を呼ぶ。
2011年、Tom KittとAmada Greenとともに作詞作曲を担当した Bring It On: The Musical (2000年公開の同名映画ミュージカル化)が上演(ブロードウェイ上演は翌年)。ダンスパフォーマンスは高い評価を受ける・・・。なんとなく、『イン・ザ・ハイツ』から『ハミルトン』へと直で、輝かしいヒット街道がつづいている印象をもってしまいますが、ミランダの人生がすべて大ヒットでもない、という意味で書いておきましょう。他にも、テレビ・ドラマに出演したりもしています。
2008年のホワイトハウスのパフォーマンスから一気に『ハミルトン』が出来たかと思いきや、そうではないようですね。始めは一年に2曲といったペースで、ようやく2012年ごろになって、まとまった曲での披露が可能になったようです。そこから、『ニューヨークタイムズ』などですでに絶賛の記事が書かれて、どんどん期待が高まっていった。そして、2015年より、オフブロードウェイの The Public Theaterでのトライアウト、熟成期間をへて、ついに2015年8月5日、ブロードウェイへ(その記念すべき日の様子は動画 "Hamilton Opening Night - Cast Perspective"で―ラモスとジョーンズの『ハミルトン』カップルの仲睦まじい様子がほほえましい)。以降のことは、まさにブロードウェイの歴史、アメリカの文化史の1ページという感じ。これからもさまざまに物語られていくことでしょう・・・。
ミランダ、私生活では、ヴァネッサさんとの間に、2014年に息子さんが生まれていますね。ハミルトンとバーが初めての子供に語りかけて歌う歌、"22. Dear Theodosia"は子供ができたから書けたんでしょ?と言われるらしいのですが、曲は子供より先にできて披露もされていました。じつは、愛犬を思って書いた歌だそうですよ。
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