2017年3月17日金曜日

『ハミルトン』とヒップホップ

これまた、何というか、今さらなテーマなんですけれども・・・。

ハミルトンと同じカリブ海地域のジャマイカに生まれたクライヴ・キャンベル(のちのDJ Kool Herc [そう、Hercules!])が家族とともにニューヨーク、ブロンクスに渡ったのが1967年。その後、1970年代にブロックパーティーのDJとして活躍を始めた彼が、ターンテーブル(『ハミルトン』Creative Team、とくに舞台デザイン、振付参照)を使ってブレイクビート(歌詞のあいだのリズムパート中心の部分)をくりかえす手法を編み出し、新しい文化運動「ヒップホップ」誕生の中心的原動力となります。ミュージカル『ハミルトン』の時代設定は1776年から始まりますが、それからほぼ二百周年がヒップホップ生誕に当たっているんですね。リン‐マヌエル・ミランダたちもこうした歴史的偶然にも後押しされながら、『ハミルトン』を作りあげたのでしょう。ヒップホップの初期の発展に関しては、ドキュメンタリー映像がたくさんネット上で見つかるのでそちらを(例えば、こちら)。

"15. Ten Duel Commandments"で(またそれ以降、ほぼ『ハミルトン』の最後まで)活用されている、"Ten Duel Commandments"ですが、これは1997年発表の The Notorious B.I.G.の『ライフ・アフター・デス』より。The Notorious B.I.G.、別称 Biggy Smallsといえば、東海岸を代表するギャングスタ・ラップの代表として活躍。ニューヨーク生まれなのになぜか西海岸を代表することになった 2Pac(トゥーパック・シャクール) と、今となっては(当時も?)なんだかよくわからないビーフあるいはduel 状況になって、まずは 2Pac、ついで Biggy が銃弾に倒れることになります。三度の決闘が物語の流れを決定づけていく『ハミルトン』にぴったりといえばぴったりの背景。PBS ドキュメンタリー Hamilton's America で、ミランダが、ロン・チャーナウの本を読んだときのことを、「こりゃあ2Pacだ、Biggyだ、ヒップホップの物語だ」と思ったと言ってましたね。

ミランダによる引用は圧倒的にニューヨーク、東海岸に偏っているのがいいですよね。2PacよりはBiggy、EminemよりはJay Z、それに、Busta Rhymes。Busta Rhymesといえば、"Gimme Some More"。このPVは最高ですねえ。といって、引用元を探していくオタク的楽しみも『ハミルトン』体験の一部なんでしょうが、きりがないですので、いくつかネット上からの情報で、Genius.comによる動画がこちら、

9 Classic Rap References In Hamilton

もっと詳しい情報をというかたはこちら。

All the Hip-Hop References in Hamilton: A Track-by-Track Guide

をどうぞ。

とはいっても、ヒップホップから言葉やリズムをとってきた、というだけでは、数多くのヒップホップ・ミュージシャンたちが『ハミルトン』を支持するということにはならなかったはず(逆に、パクってんじゃねえよ!と怒られる可能性大ですよね)。また、『ハミルトン』の曲を聴いていくと、ヒップホップ以外のジャンルからの音楽もたくさん使われている。そう考えてみると、このミュージカルが「ヒップホップ・ミュージカル」と呼ばれる所以は単にラップのスタイルを使っていたり、引用を行っていたり、ということを越えた何かがあるはず。

私が考えるに、その何かとは、ミランダたちの作品を作り出すアプローチ自体が、ヒップホップ的であるという点にあります。ヒップホップがNYローカルのカルチャーでありながらアメリカを、そして他の地域を制覇していったのはなぜか? 自在な文化的引用を行いながら独自の解釈を示すことができること、音楽的でありながら日常会話的であること、その他さまざまな理由があげられるとは思いますが、20世紀後半から可能になってきた情報の共有のかたち、さまざまな文化的領域を等価なものとして自由に行き来するようなありかたが一番大事ではないかと思います。かつては「ポストモダン性」や「間テクスト性 intertextuality」などと呼ばれ、それまでの「モダン」「近代」への高度な批評として扱われていたものが、今ではすっかり一般的なもの、インターネットを中心とする情報環境とともに生きる普通の生活そのものになっている。『ハミルトン』の世界はまだ閉鎖的だったブロードウェイ・ミュージカルという世界、ある意味ヒップホップ・ジャンルがその在り様を体現しているこうしたあり方を接続した作品として評価されるようになるのではないか。

ちょっと抽象的なお話になってしまいました。ここからは、ヒップホップ作品をどう測るか(正確には、ヒップホップの詩としての価値をどう見るか)の基準をちょっと借りてきまして、『ハミルトン』を判定してみたいと思います。

借用元は、Adam Bradley, The Book of Rhymes: The Poetics of Hip Hop (Basic Civitas Books, 2009)。ヒップホップのライムの価値を説得力をもって解説してくれる好著です。ラップ、ヒップホップ好きだけではなく、英詩好き、英語の表現をくわしく理解したい人にもおすすめ。そのエピローグの部分にBradleyは "the Ten Rap Commandments of Poetry" (pp.207-212)として10項目をあげています。1項目ずつ見ながら検討していくと・・・、

1.ラップは単調さではなく、リズムによって生命を得る。
     ("1. Rap Thrives on Rhythm, Never on Monotony")
まずは、リズム、音楽の核です。先に書いたように「ブレイクビート」の反復(単調さ)がヒップホップ音楽を生み出したわけですが、ラップの言葉がそこに自在な揺らぎを生むことで生命力をもったリズムが生まれます。—『ハミルトン』では、登場人物のタイプや感情、場面の状況、物語の進行にしたがって、同じラップといっても様々なリズムが活用されています。また、ひとつのヴァースであっても、"18. Guns and Ships"のラファイエットのように伸縮自在のリズムが用いられることも・・・。ラカモアによるアレンジも音数が少なめでシンプルながら、というか、それもあってリズムの多様性を際立たせていますよね。というわけで、この点については問題なくクリア。

2.ライム(韻)はラップの存在意義そのものである。
  ("2. Rhyme is Rap's Reason for Being")
とりあえずリズムに乗って韻を踏みさえすれば、それはヒップホップのライム(良し悪しは当然、天地ほどに生まれるわけですけども)。ここまでの記事で見てきたように、リン‐マヌエル・ミランダのライムが韻についてこの点に異論はでないでしょう。ミランダの場合、ヒップホップだけではなく、ミュージカルの師匠スティーヴン・ソンドハイム(偏執的?な韻で有名)の影響もありますが、ともあれ、『ハミルトン』を聴く/見る、場合によっては読む楽しみには、この韻(ライム)が大きな要素としてあるのは確実です。よってこれも当然、◎。

3.ラッパーは新しい事柄を古い方法で言い、古くからの事柄を新しい方法で言いなおす。
  ("3. Rappers Say New Things in Old Ways and Old Things in New Ways")
『ハミルトン』はすでに語られつくされたと思われていた「建国の父たち」を、ヒップホップその他の新しい音楽を軸に語りなおしてみせた。また、それは韻文の復活という意味で、近代演劇から追放されてしまった古い要素を取り戻したといことも意味します。ラップのライムがナーサリー・ライム的な古くからの英語のリズムを活用することでテイクオフし、やがて現在のような複雑なライム・スキームに至りついた。ここには新旧が複雑に絡み合う、まさに今を生きている文化の面白さが凝縮されています。マイノリティ中心のキャストも古い物語を更新させるひとつの仕掛けとして機能して、古くからのしかし決して過ぎ去ってはいない人種差別や移民問題というったテーマを浮かび上がらせている。この3の項目は、『ハミルトン』がここまで話題になったその理由を表現してみせたものにもとれますね。というわけで、答えは言わずもがな。

4.ラップは明瞭さに重きをおく。
  ("4. Rap Values Clarity")
これは他の音楽ジャンルの歌詞に比して、ということですが、ヒップホップ(ラップ)は音楽でもあるし語りの芸でもあります。漫才師が何を言っているかわからなければ致命的なのと同じように、スタイルは様々でも何を言っているか伝わる、というのがラップの大事なところ。『ハミルトン』に関して言えばさらに、長い物語を進行していかなければならないわけで、通常のラップよりも明瞭さについてはよりていねいに気を配っている。また、オリジナル・キャストだけではなく、のちのキャストが演じてもOKじゃないと、ミュージカルとしては欠陥品なので、ある程度、誰がパフォーマンスしても大丈夫だというわかりやすさが(複雑さと両立するかたちで)ライムにも見て取れます。これも◎。

5.言葉づかいの巧みさはラッパーの技術の高さを測る一番良い基準である。
  ("5. Verbal Dexterity Is the Best Measure of a Rapper's Virtuosity") 
一つ一つのヴァースを歴史上、また、現代の最高峰のラッパーたちと比べて、となると、さすがに厳しいですが、ミランダのヴァースは18世紀の言葉づかいや文書をとりこむ、という難易度の高い課題を乗り越えています。また、"2. Aaron Burr, Sir"の80年代風ラップから後の多彩なスタイルへと展開していく、という達成もしていますので、これもクリアしているとみるべきでしょう。それに当然、ミュージカルとしての全体の物語を邪魔しないような、それでいて納得できるラップなわけですからすごいですよね。

6.ラップでは声が重要な意味をもつ。
 ("6. Voice Matters in Rap")
この点については、『ハミルトン』オリジナル・キャストが作品を越えて人気を博したことを考えれば、三重丸ぐらいつきそうです。ルネ・エリーズ・ゴールズベリ、ダヴィード・ディグズ、オキエリエテ・オナオドワン・・・、オリジナル・キャスト・アルバムを聴いていると、彼女・彼ら抜きでは、アンジェリカ、ラファイエット、ハーキュリーズ・マリガンはちょっと考えにくくなる(のちのキャストの舞台を見たら、まあ、意見はかわるのでしょうが)。また、そこにそれぞれに割り当てられたヴァースに施された綿密な仕掛けが働いているわけです。実在の人物の声と、劇作上のキャラクター、そしてラップのヴァースが連動して、それぞれの魅力が生まれているわけです。

7.ラップのリリカルな内容を形作るうえで、テーマの展開は必須である。
 ("7. Thematic Development Is Essential in Shaping Rap's Lyrical Content")
これも本職ラッパーの、1ヴァース1ヴァースごとが勝負の世界を見るとちょっと雰囲気が違うわけですけれども、"2. My Shot"のハミルトン、"11. Satisfied"のアンジェリカのヴァースなどでは、16バー(小節)の中でも構成を重視して、うまい展開がみられることが分かると思います。そしてもちろん、曲の連なりの中で、リプリーズによって積み重ねられていく物語とテーマ上の展開については言うまでもないところ。ポピュラー音楽のジャンルでもかつてはバラッド(物語詩)がメインだったのが、感情を歌上げるものへと変遷してきたのを、ラップは言葉をたくさん使えるという強みを活かして、ストーリーテリングを復活させた。ヒップホップ・ジャンルが築いてきた「物語を語る storytelling」ための富を、ミランダはミュージカル作品でふんだんに活用している。というわけで、これも◎。

8.ラップはジョークではないが、人を面白がらせることも可能である。
 ("8. Rap Is No Joke, But It Can Definitely Be Funny")
OBCアルバムを聴いているだけではわかりませんが、さまざまな動画を見ると、劇場の公演では作品全体を通して笑いがおきています。アルバムだけでもよく耳を傾けていると、シリアスなシーンにもちょっと笑えるしかけがあったりする。先ほども書いたように、ラップは語りの芸でもあるわけで、スタンダップ・コメディなどと共通した要素も多い。ミランダいちばんお気に入りだろう The Notorious B.I.G.は超こわもての、ギャングスタ ・ラップ代表格ですが、彼のヴァースにユーモアを感じない人はいないのでは? というわけで、ここでもラップの自在な語りの要素、意外な韻の面白さなどを、ミランダはミュージカルへと移すのに成功していると思います。というわけで、クリア。

9.ラップは志の高いコンセプトもコンセプトも含むことが可能だが、コンセプトなしのラップはありえない。
 ("9. Rap Can Be High Concept or Low Concept, But It's Never No Concept")
芸術作品にわかりやすい、誰にでも一目でわかるコンセプトが必要か、というのは、議論を生みそうな話題ですけども・・・。たしかに、コンセプトのないラップは「何が言いたいねん!」となりますようね。師匠スティーヴン・ソンドハイムのミュージカルはちょっとはっきりとしたコンセプトが見えにくいものが多いような気がしますが、ミランダの『イン・ザ・ハイツ』、『ハミルトン』はこれ以上ないぐらいはっきりしたコンセプトがあります。「移民」であったり、「遺産」であったり・・・。もちろんそれだけに留まらないところが作品としての価値にかかわるわけですが、成功したヒップホップ・アーティストと同じく、『ハミルトン』大成功の一因がコンセプトの明確さであったことは間違いないところ。したがって、これも◎。

10.ラップは独創性と先行アイデアの再利用を同時に活用している。
 ("10. Rap Relies on Originality and Recycling, All at Once")
そもそもが先行する音楽の引用(リミックス)によりながら、強烈にオリジナリティを希求するというのが、ヒップホップというジャンルの矛盾したあり方。ラッパーもほかのラッパーから盗む("bite")するのはご法度、と一方では言いながら、延々と引用しあっているわけです。簡単にいえば、パクっても使い方が新しくて面白ければOKの世界。この点、上でも紹介した 9 Classic Rap References In Hamilton を聴いてもらうとよくわかると思いますが、ミランダとラカモアによるヒップホップ・ソースの利用は、どれもうまい捻りが効いています。ちょっとトーンを変えるだけで、ミュージカルの世界にマッチした響きになってるんですよね。ということで、これも三重丸、というか、五重丸ぐらいつけたいところ。

というわけで、トニー賞では全部門獲得といかなかった『ハミルトン』ですが、上のリストでは10項目中10個にあてはまり、満点でした。もちろん、エンターテインメント作品なので好き嫌いはあると思いますが、音楽やライムにていねいに施された工夫を見るならば、『ハミルトン』にどのぐらいの価値があるかは議論の余地がないのではないでしょうか。また、それがヒップホップ・ジャンルとミュージカル・ジャンル、双方の富を最大限に活用して達成されたということも。

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