ミュージカル『ハミルトン』の中で、語り手や道化役をつとめながら、さらには登場人物でもあるバー。この あたりから、その登場人物としてのバーが、じつはハミルトンと並ぶもうひとりの主人公であることが明らかになっていきます。"13. Wait For It" は、ハミルトンの生き方を表現した"3. My Shot" と対になって、裏の主人公バーの慎重な生き方の理由を明かす重要な曲。歌詞としては、
"I am not throwing away my shot."(ハミルトン) ⇔ "I'm willing to wait for it." (バー)
<あらすじ>
バーは自分の現在・過去・未来を思い、ハミルトンが攻めの姿勢でどんどん成り上がるのに焦りを感じながらも、危険を避けて確実なチャンスを待つ自分の姿勢をあらためて確認する。
ここでは、2番目のパートを訳してみます。
[Burr] My grandfather was a fire and brimstone preacher. But there are things that the homlies and hymns won't teach ya. My mother was a genius, my father commanded respect. When they died they left no instructions, just a legacy to protect.
[バー] 爺さんは火と硫黄で地獄の恐ろしさを説く牧師だった。でも説教と讃美歌が教えてくれないこともある。母さんは天才だった、父さんは尊敬を集めていた。三人とも、どうすればいいかを言い残してくれなかった、ただ守るべき遺産だけを残して死んでいった。
ここで言及されているバーのお爺さんは、バー本人より格段に有名な人物、ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards; 1703-1758―リンクはイェール大学のジョナサン・エドワーズ・センターのサイトより)。アメリカ文化やアメリカ文学史を学んだことがある人なら、聞いたことがある名前ではないでしょうか。アメリカ18世紀中盤の宗教リバイバル期に活躍したアメリカが生んだ最大の神学家で、「怒れる神の手のうちにある罪人たち」("Sinners in the Hands of an Angry God"; 1741)という説教で知られている。アメリカの子供は学業のどこかでこの説教を聞かされて、その恐ろしさに悪夢にうなされることになるらしい(ほんとの話)。天才のお母さんはこのエドワーズの娘、お父さんはプリンストン大(正確に言えば、当時は The College of New Jersey)の学長でした。
ただし、この三人とも、バーが子供の頃に死んでしまった。偉大な一家という名声だけを残して・・・。そこからバーの基本姿勢が生まれてきます。
[Burr] Death doesn't discriminate between the sinners and the saints. It takes and it takes and it takes. And we keep living anyway. We rise and we fall and we break and we make our mistakes. And if there's a reason I'm still alive when everyone who loves me has died, I'm willing to wait for it. I'm willing to wait for it.
[バー] 死は罪人も聖人でも区別はしない。ひたすらに奪い、奪い、奪いとっていく。それでも俺たちは生きることをやめない。立ち上がり、倒れ、粉々になり、過ちを犯していく。もし俺を愛する人たちがみんな死んだのに、俺がまだ生きているというのなら、俺は待ち続けるんだ。チャンスを待ち続けるんだ。
[バー] 爺さんは火と硫黄で地獄の恐ろしさを説く牧師だった。でも説教と讃美歌が教えてくれないこともある。母さんは天才だった、父さんは尊敬を集めていた。三人とも、どうすればいいかを言い残してくれなかった、ただ守るべき遺産だけを残して死んでいった。
ここで言及されているバーのお爺さんは、バー本人より格段に有名な人物、ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards; 1703-1758―リンクはイェール大学のジョナサン・エドワーズ・センターのサイトより)。アメリカ文化やアメリカ文学史を学んだことがある人なら、聞いたことがある名前ではないでしょうか。アメリカ18世紀中盤の宗教リバイバル期に活躍したアメリカが生んだ最大の神学家で、「怒れる神の手のうちにある罪人たち」("Sinners in the Hands of an Angry God"; 1741)という説教で知られている。アメリカの子供は学業のどこかでこの説教を聞かされて、その恐ろしさに悪夢にうなされることになるらしい(ほんとの話)。天才のお母さんはこのエドワーズの娘、お父さんはプリンストン大(正確に言えば、当時は The College of New Jersey)の学長でした。
ただし、この三人とも、バーが子供の頃に死んでしまった。偉大な一家という名声だけを残して・・・。そこからバーの基本姿勢が生まれてきます。
[Burr] Death doesn't discriminate between the sinners and the saints. It takes and it takes and it takes. And we keep living anyway. We rise and we fall and we break and we make our mistakes. And if there's a reason I'm still alive when everyone who loves me has died, I'm willing to wait for it. I'm willing to wait for it.
[バー] 死は罪人も聖人でも区別はしない。ひたすらに奪い、奪い、奪いとっていく。それでも俺たちは生きることをやめない。立ち上がり、倒れ、粉々になり、過ちを犯していく。もし俺を愛する人たちがみんな死んだのに、俺がまだ生きているというのなら、俺は待ち続けるんだ。チャンスを待ち続けるんだ。
[Burr] I am the one thing in life I can control.
[バー] 俺だけが人生で俺がコントロールできるものだ。
から。この後、「ハミルトンの立場だったらどんな気分なんだろう」("What is it like in his shoes?")と揺れる気持ちを吐露しながらも、自分自身の信条をさらに歌い上げていきます。
から。この後、「ハミルトンの立場だったらどんな気分なんだろう」("What is it like in his shoes?")と揺れる気持ちを吐露しながらも、自分自身の信条をさらに歌い上げていきます。
第二幕の "28. The Room Where It Happens" (こちらはバーの本当の "I want" song)と並んで、ミランダが「自分が今までに書いた一番いい曲」にあげています。オリジナル・キャストでバー役のレズリー・オゥドム・ジュニア(Leslie Odom, Jr.)の歌唱が素晴らしいこともありますが、ほかのキャストにも評判が高く、このミュージカルのベスト・ソングの一つであることは疑いなしです。
主人公ハミルトンを殺す役回りであることが始めから明かされているバーですが、この曲あたりから、オーディエンスはバーにも感情移入していくことになります。ミュージカルのもとになったチャーナウによる伝記 Alexander Hamilton ではバーはかなりの悪役に描かれていて、バーの子孫の方々はそうとうご立腹らしいのですが、ミュージカル『ハミルトン』については悪くないんじゃない、という感想らしい。確かに、この "13. Wait For It"からのリプリーズで締めくくられる "45. The World Was Wide Enough" (『ハミルトン』最後から2番目の曲)を聞いた後は、ハミルトンにではなく、バーに同情して涙を流す人がかなりいるのではないか。とくに、判官びいき傾向のある日本人は、どちらかというと、バーに傾くのではないかなあ(私も含め)。
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