"5. The Schuyler Sisters" でアンジェリカが読んでいると言っていたトーマス・ペイン『コモン・センス』。アメリカの独立は人類の歴史上の必然であることを説いて、アメリカ独立においてワシントンの軍事的貢献に劣らないほどの力を発揮したといわれる文書です。「アメリカの主張はほとんど全人類の主張である。これまでに多くの事件が生じたが、これから先も生じることだろう。それは一地方の事件ではなく、世界的な事件である。すべての人類愛に燃える者がこの事件に関心を抱き、温かい目でその成り行きを見つめている。」(「はしがき」、引用は小松春雄訳の岩波文庫版より)あたりの力の入り具合は、『ハミルトン』のワシントン将軍の "History has its eyes on you." というセリフとかぶる、というか、元ネタのように見えます。
ただし、ペインの考え方は以降のアメリカ合衆国の展開、また『ハミルトン』の世界とはちょっとズレているようです。「はしがき」への新版での追記で、「このパンフレットの筆者がだれであるかは、読者には知る必要が全くない。注目すべきは主張そのものであって、筆者ではないからだ。」(小松訳では、「主張そのもの」と「筆者」に傍点)とペインは述べていて、自分の名前を伴った "legacy" にこだわるハミルトンの姿勢は、ペインにとっては嫌悪するべきものだったかもしれません。イギリスの労働者だったペインは、1774年にベンジャミン・フランクリンの薦めと援助でアメリカに渡り、言論活動と兵士としての戦争参加で独立革命に貢献、資金援助を求めるためにジョン・ローレンズ(ラファイエットではなく)に付き添ってフランスに渡ったりもしています。しかし、1787年にはヨーロッパに戻って、1789年から始まるフランス革命の熱烈な支持者となって、1793年には革命政府の内紛に巻き込まれて逮捕・・・。ハミルトンとはまた別の波乱万丈の人生を通して、その姿勢は「理念」を一番において平等を追及することで一貫していた。ハミルトンなどから見ると、無政府主義(アナーキズム)に近づくという意味で煙たい存在だったでしょう。ジョージ三世が "21. What Comes Next?"で歌っているように、ハミルトンらの時代にはアメリカが安定した社会を作れるかどうかは未知数だったわけですから。
実際、フランス革命は権力を握ったものが理念を盾にしながら政敵を粛清、血で血を洗う凄惨なものとなっていきます。そして、フランスにおける人民の自由・平等をめざす闘争は、1799年からのナポレオンによる帝政や、1814年のブルボン王朝による王制復古、1830年の七月革命、ウィーン体制崩壊による1848年革命、1852年からのルイ・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオンの孫)の第二帝政を経て、現在の民主制へとつながる体制ができるのはようやく1870年の第三共和制になってから(これ以降も、パリ・コミューンなど民衆運動は続きます)。この100年近い紆余曲折は、アメリカが幸運にも、ある意味一度で「革命」を仕上げ、1860年代の南北戦争を除いては大きな動乱を経験せずに済んだのと好対照といってよいでしょう。
さてミュージカルの世界で、このフランスの状況を描いているのが『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)。フランス版初演は1980年ですが、私たちが観る機会が多いのは1985年初演の英語版でしょう。英語圏では、Les Miz(レイ・ミズ)と略されて呼ばれるほど親しまれている人気ミュージカル。原作はフランスのロマン主義の大作家・詩人ヴィクトル・ユーゴーの世界的傑作小説。1832年に起こった「6月暴動」を中心的モチーフとしています。「6月暴動」は民衆に同情的だと見られていた人気政治家ラマルク将軍の死去をきっかけに、パリで不満をもっていた労働者と学生が中心に武装蜂起した事件。上の歴史的過程では記さなかったように、歴史的には大事件にはほど遠いようですが、事件に同情的だったユーゴーがとり上げたことで広く知られるようになった。(ちなみにこの事件の際、すでに老年に入ったマルキ・ド・ラファイエットが現場にいたらしく、混乱を収めようと群衆に呼びかけたそうです。色んなところに顔を出す面白い人ですね。)というわけで、『レ・ミゼラブル』はみじめに失敗した疑似革命の話。『ジーザス・クライスト・スーパースター』と並び、全編歌でつづられる "sung through musical" として、『ハミルトン』に影響を与えたと考えられる作品で、同じく革命をとり上げているわけですが、一方は革命成功、もう一方は失敗というのが面白いところ。
また、『レイ・ミズ』と『ハミルトン』の違いは、アメリカとヨーロッパにおける個人と歴史の関係についての考え方の違いを表しているのではないか、と考えても面白いのではないかと思います。『ハミルトン』の世界は徹底して現世的・世俗的な原理に基づいています。アレグザンダー・ハミルトンの業績が個人のものとして後の世に語り継がれるか否か、そこには一種の英雄主義があって、アメリカ以外で『ハミルトン』が大成功しないとしたらここが一因になりそう。一方、すでに日本を含め世界的にヒットしている『レ・ミゼラブル』の世界では歴史の過程はほとんど不可抗力で、革命(正確には暴動レベルですが)への参加者は無名の民衆の正義という「理念」を頼りに命を懸けて散っていく。さすがにそれだけだと物語がもたないので、更生した元犯罪者ジャン・ヴァルジャンと彼を執拗に追い続ける警視総監ジャヴェールの対立というラインが置かれています(物語としては1815年を起点とするこちらがメイン)。最終的にはこの二人の対立は、宗教的レベルの許しや個人の内面において測られる善悪の問題として作品の結末を導いていきます。オーディエンスにとっては、革命の試みの政治的な敗北が個人的で宗教的な達成によって救われる、というかたちでカタルシスに導かれるわけです。こうした『レ・ミゼラブル』の世界を眺めてから『ハミルトン』の外面的な世俗性を見てみると、不確定な人間の歴史にどうしてそれほど重きを置けるのか、個人の業績にどうしてそれほどこだわるのか、少し不思議に見えてきます。これは「アメリカ的」としか言いようがない傾向なのではないか、とも。まあ、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールにも、何も死なんでええがな、と言いたいですけどね(笑)。
2010年にロンドンで行われた『レ・ミゼラブル』の25周年アリーナ講演(DVD/BDが入手可能)では、ヒロイン・コゼットの母フォンティン役をレア・サロンガ(10周年記念コンサート(1995)ではコゼットに憧れの人を奪われてしまうエポニーヌ役ですね)、ジャヴェール役はアフリカ系のノーム・ルイス(Norm Lewis)が演じています。シェイクスピア劇を見ても、カラー・ブラインド・キャスティングはヨーロッパのほうがアメリカよりも先行しているかなという感じ。『ハミルトン』の場合はカラー・インヴァ―ティッド(反転)・キャスティングって感じですしね。歴史にしろ、人種の取り扱いにしろ、ヨーロッパとアメリカではずいぶん違いがあるという事実を、二作品を比べてみると考えさせられます。トーマス・ペインが観たとしたら、さて、どちらのミュージカルを気に入るんでしょうね?
0 件のコメント:
コメントを投稿