上の箇所を除くと、『ハミルトン』全体としてはキリスト教や聖書への結びつきは強くないようですが、べつの側面でこの作品はイエス・キリストと関係が深そうです。それは、先行のミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』(初演1970年)と、さまざまな点で類似が指摘されているから。『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、イエス・キリストが十字架に磔になるまでを描いた、アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Loydd Weber; b.1948)によるロック・ミュージカル。日本でも舞台・映画で何度も上映されているので見た人も多いと思います。今でいうと、2012年のアリーナ・ツアーのDVD/BDが手に入りやすい。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』と『ハミルトン』の類似点としては、①全編ほぼ歌による構成(sung-through musical)だということ、②用いられた音楽がそれまでミュージカル・ジャンルではうまく活用されてこなかった新しめのポピュラー音楽ジャンル(ロック/ヒップホップ)であること、③タイトルに名前があがった主人公の敵役になる人物が最初から一種の語り手役をつとめること(ユダ/バー)、④③の人物が作中でも裏の(受け取り方によっては真の)主人公であるように描かれること、などなどがあります。コンセプト・アルバム(ミックステープ)として最初の構想が進んで、そのあとミュージカルへと発展した、というのも共通していますね。
とりわけ重要かなと思うのが、リプリーズの使用。リプリーズは「くり返し」という意味の語で、西洋音楽やミュージカルでは、作中ですでに使われたメロディや音型をふたたびとりあげて用いること。『ハミルトン』では、"4. The Story of Tonight"⇒"12. The Story of Tonight (Reprise)"、"14. Stay Alive"⇒"40. Stay Alive (Reprise)"と、曲目に明示されたリプリーズが二か所あります。ただし、一度聞いただけでも気づくと思いますが、それ以外にも大小さまざま、アレンジの変化もさまざまのリプリーズが全体にはちりばめられています。そのことで、いろいろな音楽ジャンルやテーマをとりこんだ作品がひとつの作品としてまとまりをもち、ミュージカルが進行するにつれてモチーフ・テーマの重みが雪だるま式にふくれあがっていく・・・。
個人的には、このリプリーズを用いた緊密な構成が『ハミルトン』という作品のいちばん重要な達成だと思っています。いわゆるライトモチーフ(テーマや人物を示す数音から成る音型)で考えると、冒頭のドアのきしむ音から、アンジェリカが登場する際にかならずといっていいほど再現される上昇下降の音型、ワシントンを示すドラムロールなど、聞き逃しそうな部分にも無意識的に働きかけてくる仕掛けがこらされているのが分かります。大きな規模のものでは、"How does ~"("1. Alexander Hamilton"初出)、"I imagine death so much ~" ("3. My Shot"初出)、それに数字のカウント(とくに"15. Ten Duel Commandments"から)など、これまた効果的に用いられていますので、注目。
さて、『ジーザス・クライスト・スーパースター』でも、このリプリーズが効果的に使われています。とくに、マグダラのマリアが歌う”Don't Know How To Love Him”(日本語では「私はイエスが分からない」と訳されている。"how to love"が重要だと思うんですが・・・。1973年版映画/Melanie C [2012年アリーナ・ツアー、マグダラのマリア役]ヴァージョン)が、後になって、ユダによってリプリーズされる箇所("Judas' Death"、2000年度版映画)。『ハミルトン』でもそうですが、リプリーズはそのままではなく、まったく違った立場、まったく違ったコンテクストでくり返されると、前に登場したときの意味を引き継ぎながらひねりが加わって効果的。おそらく、ミュージカルでは、ウェバーがこの作品で実現するまでは、前半のキャッチ―な曲をお話に決着がついてからくりかえすというのが基本パターンで、ここまでうまく使われていなかったのではないかと思います。
(小山内伸著『進化するミュージカル』(論創社、2007)、『ミュージカル史』(中央公論新社、2016)で、ミュージカル技法の発展におけるリプリーズの重要性が指摘されています。著者は身ゼニを切ってNY、ロンドン、東京とミュージカルを見続けてきたそうです。実際、日本語のミュージカル関連の文献では、私が読んだなかではいちばん説得力があると感じました。おすすめ。)
まとめると、『ハミルトン』は、創成期からのブロードウェイ独自の流れもひきながら、停滞期以降のなかで培われた富―リプリーズの使用、音楽ジャンルのヴァラエティ、スペクタクル的ダンス、など―も活かして、新しい時代の幕を開けたブロードウェイ・ミュージカル、というところでしょうか。
『ハミルトン』にないものねだりをすると、ソンドハイムにあるような大人のひねった味がないことですかね。古典的なブロードウェイ・ミュージカルは一見華やかなだけに見えて、どこかに、東欧ユダヤ系を中心とした作り手がアメリカ主流を表象してつくる、というちょっとねじれた出自からくるそこはかとない「暗さ」(ヒーローもののアメコミにも共通ですね)をもっていたと思うんです(人によっては、これこそブロードウェイの味で、そうした人には『ハミルトン』人気は歯がゆいかも)。まあ、同じ新しくきた移民といっても、19世紀終わりから20世紀初頭のユダヤ系と、20世紀後半から現在までのラティーノ(ヒスパニック)のノリはまったく違うよな、ということで・・・。
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『ジーザス・クライスト・スーパースター』の「ユダの死」で、ユダヤ教の司祭がユダに、
[PRIEST] The mob turned against him - you backed the right horse
[司祭] 群衆もやつに反感をもちはじめたーお前が乗ったのは勝ち馬だ。
という歌詞がありますね。ここは、『ハミルトン』の "23. Non-Stop"で、ハミルトンに『フェデラリスト・ペーパーズ』計画への協力を乞われたバーが、
[BURR] And what if you’re backing the wrong horse?
[バー] じゃあ乗ろうとしてるのが負け馬だとしたら?
と言う箇所を思い起こすところ。ミュージカル・マニアのミランダの作品にこうした対応をみているとキリがないのですが、たまたま気がついたので書いておきます。
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