2017年3月17日金曜日

ブロードウェイ・ミュージカルとアメコミ―アメリカ的ジャンルの非アメリカ性

『ハミルトン』では、"20. Yorktown (The World Turned Upside Down)"でヒーローたちの戦場での大活躍はおしまい。以降は地味かなと思える政治的駆け引きの話へと移行していきます。その地味な部分を飽きさせずに見せるのが、ミュージカル作品として優れているところなんですけどね。けっこうありますもんね、第一幕はいいんだけど、第二幕はなんだか長いな、こんなに要らないじゃないのっていう作品。大声でいうとファンが多いので嫌われそうですが、『レント』は、舞台は別でしょうけど映像で見ていると 第二幕の幕が上がり、"Seasons of Love"でぐっと盛り上がって・・・、そのあとの後半はちょっときつい(違う!っていう人がいたらすみません)。

アメリカ合衆国という国、そして国民が、英雄、ヒーローに並々ならぬ情熱を注いできたことはみなさんもご存知のとおり。何といっても、アメリカン・コミックが描くスーパーマンやキャプテン・アメリカ、バットマンやアイアンマン、スパイダーマンの活躍は、いかにもアメリカだなあと私たちが考える文化の大きな部分をなしています。たぶん、アメリカが嫌いだという人が理由にあげそうでもありますね。『ハミルトン』もちょっとマンガ的なところがありますね。そういえば、日本アニメ風の女の子たちが主人公ヴァージョンの "Yorktown (The World Turned Upside Down"のビデオがYouTubeにあって面白かったんですが、いま調べると見つかりません・・・。けっこう検索上位にきてたんですがどうしたのでしょう?[追記:見つかりました、こちら。ついでに、"Wait For It"のも。)

さて、ここではそうしたアメリカン・コミックとブロードウェイ・ミュージカルがアメリカを代表するエンターテインメントという以外にも、歴史的に共通点が多いことを見てみたいと思います。

まず両ジャンルともに、1920年代から30年代というアメリカが好景気から大恐慌へとジェットコースターのようにアップダウンした時期にかたちを成していったということ。そして初期のクリエーターの多くが移民、特に19世紀末から20世紀にかけて新しく移民してきた東欧ユダヤ系だったという点。代表例がスーパーマンを生み出したジェリー・シーゲルとジョー・シュースターのコンビや、ミュージカルのロジャーズ&ハマースタイン。アメリカ合衆国という国家が20世紀の、真に世界一の国力を誇る国になっていく過程で、これまでの国家・国民イメージを乗り越えるようなヴィジョンを提出したのが、どちらかというと日陰の存在であるユダヤ系移民(しかももっと前にやってきた裕福なユダヤ系ではなく、貧しい労働者層)だったとというのは重要なポイント。ここから、底抜けに明るかったり、臆面もなく正義を主張したりといったイメージでとらえられがちなミュージカルやアメコミが、じっくり見てみると実は暗い影を宿しているという複層性が生まれてきます。アメコミ主人公の出自を見てみると、孤児だったり(スパイダーマン、バットマン、スーパーマン、みんなそう)、故郷の崩壊を体験(スーパーマン)していたりします—ハミルトンとの共通点ですね。

歴史が進んで1940年代、両ジャンルとも黄金時代を迎えます。これは第二次世界大戦と、それによって喚起されたアメリカのナショナリズムが関係しています。というより、ミュージカルにせよ、アメリカン・コミックにせよ、ナショナリズムが生んだというよりは、ナショナリズムの高揚を生み出していく原動力になっていきます。当時のアメコミの東洋人描写は見られたものではないですが、ただし、いろいろ見ていくと、この点でも意外とニュアンスに富んでいるのが面白いところ。ロジャーズ&ハマースタインのミュージカル『南太平洋』(1949)は太平洋戦争当時の南洋での日米の衝突を描いているのですが、日本兵の奇妙な描写は一切出てきません(映画版(1958)の話です、失礼)。この傑作ミュージカルからアーロン・バーが引用(?)している歌がこちら、"You Got To Be Carefully Taught"。人種偏見はアメリカ社会が「教育」して後天的に植えつけるものであると歌われるシリアスな曲です。それだけではなく、この戦争に勝つことに本当に意味があるのか、という疑問を将校たちが語り合ったり、さらに戦争よりも恋愛が上、な展開であったり。戦後の作品だからかも知れませんが、アメリカのナショナリズムにもいろいろ屈折があり、エンターテインメントもそれを反映しています。ロジャーズ&ハマースタイン『回転木馬』(1945)の映画版(1956)を見ると、漁師町に様々な地域からの移民、主にアイルランド移民と東欧移民(ユダヤ人含む)が住んでいます。この二つの陣営でダンスバトルが勃発したりして、のちのヒップホップダンス映画とダンス場面だけは似ていたり・・・。あと、この時代には「赤狩り」(マッカーシズム)の嵐が吹き荒れて、アメリカのエンターテインメント界は自主規制へと走るのですが、そうした状況と黄金時代がかぶっているのも不思議なことです。

そして1960年に入ると、両ジャンルともに徐々に斜陽に。これには居住環境の郊外化やテレビの登場、新しい若者文化(ロック)などが関わっています。それまでの都市構造や家族関係と結びついていた前世代のエンターテインメントとして、時代に取り残されたようになっていく。ただし、この時期に新しい展開がなかったわけではなく、音楽の世界に遅れて1970年代からはミュージカル、1980年代からはアメコミの世界に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の波が押し寄せます。ミュージカルの世界ではアンドルー・ロイド・ウェバー、アメコミではアラン・ムーア(Watchmen (1986-1987))が代表例。アメリカ人が自分たちが生んだエンターテインメント・スタイルをすり切れたものと感じていたところに、イギリス人たちが新鮮な感覚をもって乗り出してくる。また、子供向けや甘ったるいと思われていた従来のイメージを振り切って、新しいオーディエンスである成人層を獲得。1990年代以降の両ジャンルの新しい展開を準備することになります。

そして、1990年代〜2000年代にかけて、ブロードウェイとアメリカン・コミックに再生の兆しが。これもおそらく1960年代のテレビと同様、メディア環境の変化が大きい要因でしょう。インターネット・メディアによって、誰にでもうける薄っぺらいメジャー・エンターテインメントよりも、それまで「オタク(geek)」的、マイノリティ的と見られていた領域のほうが様々な楽しみがあるという雰囲気が生まれてきます。ちょっと脱線しますが、ヒップホップという元はニューヨークの地域ローカルのカルチャーが現在の世界的広がりを見せるようになったのも、ネット上で伝説的アーティストのパフォーマンスが簡単に聞けたり、Genius.comのようなサイトで本当はその地域で若者文化と触れていなければわからないはずのスラングを手軽に調べ、少なくとも表面上は理解できた気になれるようになった、という背景があってのこと。

アメリカン・コミックの歴史的展開については、次の動画をどうぞ。
Super Heroes A Never Ending Battle 2013 Season 1 Episode 1

『ハミルトン』のヒットは、この21世紀にかけて展開してきた様々な流れが合わさって実現したものでしょう。複雑な歴史を背景に積み重ねられてきたエンターテインメントの富を前に、ミュージカル好きはヒップホップの名曲をネット上に訪ね、ヒップホップ好きはミューカルの名場面をのぞき見る。そして、これまで交わったことのない領域同士の対話がいつまでも続いていく・・・。これ以降、20世紀始めから展開してきたアメリカ文化のこうした「遺産 legacy」がどのように受け継がれていくか、そのことを考えるうえで重要な作品になることでしょう。

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